武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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名古屋城能楽堂前の加藤清正銅像

名古屋城にある能楽堂前には加藤清正の銅像があります。

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中村公園の妙行寺熊本城にあるのと同じ「ザ・清正」ポーズの銅像。
もう本当に好きすぎて、不審者と思われるのも構わず前から後ろから
近くから離れたところから何度も何度もしつこくねめまわしてしまいます。


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今回は時間が失敗だった。コレ5月の朝なんだけど日差しの加減がよくない。
ここで清正銅像を綺麗に写真に収めるには昼以降の方がよさそうね。



そのうちリベンジしよ。 また来るからね待っててね(*°∀°)=3


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| 武将の銅像 | 15:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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自元寺にて馬場信春の墓参り

山梨県北杜市の自元寺には馬場信春のお墓があります。

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まずは旧馬場屋敷から移築してきたという門から。
当時、夫人が暮らしていたことから夫人の紋である笹りんどうがついてます。

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自元寺は元亀元年(1570)に建立された曹洞宗のお寺。馬場美濃守信春開基。

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馬場信春のお墓は本堂の左手の方へ進んでいったところにあります。

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天正3年(1575)5月、長篠の戦いで討死した馬場さんの形見が届けられ、
お墓を建てて菩提寺としました。ご位牌も安置されているそうです。

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これまでいくつかある馬場さんのお墓へお参りしているワタクシですが、
自元寺は墓だけでなく馬場さん自身が建立したお寺ってことに加えて、
近くには馬場を名乗る前、教来石屋敷跡もあるのでより思い入れます。

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少し車を走らせると教来石屋敷跡。ビューファーム鳥原を目指すとよいですね。

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この館跡は発掘調査で教来石氏が馬場を名のるまでのものと判ったそうです。


馬場さんのお墓参りほぼコンプリート。気が済みました。


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| 武将の墓 | 15:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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龍岸寺にて真田信尹の墓参り

山梨県北杜市の龍岸寺には真田信尹のお墓があります。

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ちょっとわかりづらいところで迷った末の到着。静かな里の中にあるお寺です。

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信尹のお墓は本堂の左手裏の墓域。真田丸が始まって案内がついたようです。

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信尹さんのお墓は一番右奥。お花が活けられているので分かりやすい。
信尹夫妻(正室は馬場信春の娘)幸政、幸信の三代が眠っています。

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真田信尹は兄昌幸と共に武田信玄に仕えましたが、信玄の命で加津野家を継ぎ、
加津野市右衛門を名乗って勝頼の近侍として活躍しました。

天正10年、武田家が滅亡後は真田姓に戻り、信尹を名乗って徳川に仕えます。
関ヶ原、大阪の陣などの戦功により甲斐で4千石を与えられ、
知行地の大蔵村に居住し、寛永9年(1632年)5月、86歳で死去しました。

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真田丸効果でものすごく訪問する方が増えたそうで前日も団体さんがバスで。
ワタクシが訪れる少し前も年配のグループがお参りに来ていたそうです。

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こちらのお寺の奥様が本当にとても素敵な方で、声をかけてくださったので
信尹のことはもちろん、真田丸で信尹を演じる栗原英雄さんが訪れていることなど
気さくに色々とお伺いしました。詳細は興味があれば本家ブログでご紹介してますので・・


大河って(私は見ないけど)その時ばっかり人がこぞって訪れてるけど
元から観光地としてメジャーとかじゃない限り、終るとそれっきりとかも多い。
今回は真田丸放映中のGW中だったけど人がいないタイミングでよかったです。



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| 武将の墓 | 23:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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八戸博物館前の南部師行の銅像

青森県八戸市の八戸市博物館(根城)前には南部師行の銅像があります。

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南部師行は元弘3年(1333)、後醍醐天皇の皇子義良親王を奉じて陸奥国司として
奥州に下向した北畠顕家に同行し、根城を築いた武将。後に足利氏に破れて討死しますが、
以降、代々八戸を拠点として住み続け、八戸発展の基礎を築きました。

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南部駒にまたがり颯爽としたお姿。この時代の奥州とかはあまり詳しくは知らないんだけど、
北方健三「破軍の星」 若き北畠顕家を支える南部師行の印象は誠実で知的で感じよかった。

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馬が躍動感あって堂々して見えるけど肝心な武将はこじんまりしてますかね・・
遠目に引いてみる方がウットリできる騎馬像です。


博物館の隣には根城跡もあります。こちらもぜひセットで見るとよいです。
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| 武将の銅像 | 09:56 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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願成寺にて武田信義の墓参り

山梨県韮崎市には武田の祖、武田信義のお墓があります。

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武田初代当主信義さん菩提寺のこちらが願成寺。韮崎武田めぐりマスト!

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山門入ったところにある武田家家臣招魂の碑。武田のルーツだから大事な演出。

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廟所は本堂の左手奥でわかりやすい。
「武田信義之墓 山梨縣」と書かれた立派な石柱と綺麗な説明版があります。

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撮り忘れたけど右手の石灯籠隣には「信義公八百回忌之塔」があるからお見逃しなく。

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中には入れないので、ここからガン見したり、手を合わせたりしますよ。

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真ん中がもちろん信義さんの。向かって左が夫人、右が乳母姫のお墓。
鎌倉時代初期の塔形として完全に近い形で資料的にも貴重なものなんだって。

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こちらは武田氏累代の廟所。新羅三郎義光からの義清、清光、そして4代信義。
それから代々続いて19代信玄、勝頼、信勝で滅亡しますね・・・・つらっ。

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こちらは武田氏初代信義さんから数えた数字でかかれていました。

武田めぐりのマストです。



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| 武将の墓 | 11:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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