武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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興徳寺の蒲生氏郷のお墓

会津若松市の興徳寺には蒲生氏郷のお墓があります。

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興徳寺は大通りを入った商店街の奥にあって少々分かりづらかったよ。

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境内は狭いので奥に進めば目指すところはすぐ見つかります。

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利休七哲の一人だった氏郷さんの辞世の句は評価が高いんだって。

~限りあれば 吹かねど花は散るものを 心短き春の山風~

花はいつか散るのに春の山風はこんなにも短気に散らすものよ・・・って(泣)

悟りの境地だよ。40歳で無念だったろうけど、そういうの全然におわない。

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墓所に行きます。右側には氏郷公顕彰碑やお墓の説明、肖像画なんかもあります。

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氏郷死去の翌年、子の秀行が建塔した五輪塔で遺髪が納められています

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司馬遼太郎の「街道をゆく」で「姿が実にいい」と書かれている五輪塔。
当時は霊屋もあったんだけど、戊辰戦争で燃えちゃったんだって・・泣

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お墓の後ろでは氏郷が建てた頃の鶴ヶ城七層天守も見られます。


市内には子の秀行、孫の忠郷のお墓もあります。蒲生三代セットで!



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| 武将の墓 | 10:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大輪寺にて甘利昌忠の墓参り

i韮崎市には武田家臣甘利昌忠のお墓があります。

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せっかく韮崎武田めぐりに来たなら大輪寺にも立ち寄らないとね。

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甘利昌忠のお墓は本堂左手奥を入った正面墓域内にあります。

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センターのは昌忠の三男で父を開基として大輪寺を創建した慶受院日国聖人の墓碑。

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甘利昌忠は上田原合戦で討死した甘利虎泰の嫡男で13才で
虎泰の跡を継いで武田信玄に仕え、譜代家老衆として活躍しました。

昌忠も猛将と言われた父と同じくなかなかのツワモノ。
その豪傑ぶりを今に伝える「馬糞汁」というエピソード。

武蔵松山城攻めの際、腹を撃たれて深手を負った家臣に鉄砲傷に効くと
いわれる芦毛馬の糞をとかした汁を飲ませようとした昌忠。
家臣に「そんなの飲むなら死んだ方がまし!」と拒否られると
「生き延びて主君に仕えるのが家臣の務めじゃないか!」と叱り飛ばして
汁を二口飲んでみせ「うまし!」。それを見た家臣がしぶしぶ汁を飲むと
痛みが引いて命を取り留めたそうな・・・ちょw どうかしてるw

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部下からも信玄からの信頼も厚かったという武田有力家臣なのに没年不詳。
落馬により不慮の死を遂げたと言われていますが解せないのよね、なんか。

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大輪寺とその周辺は甘利氏の居館跡とも言われています。


韮崎市で武田めぐりをするならこちらもぜひ訪れてください。
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| 武将の墓 | 12:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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名古屋城能楽堂前の加藤清正銅像

名古屋城にある能楽堂前には加藤清正の銅像があります。

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中村公園の妙行寺熊本城にあるのと同じ「ザ・清正」ポーズの銅像。
もう本当に好きすぎて、不審者と思われるのも構わず前から後ろから
近くから離れたところから何度も何度もしつこくねめまわしてしまいます。


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今回は時間が失敗だった。コレ5月の朝なんだけど日差しの加減がよくない。
ここで清正銅像を綺麗に写真に収めるには昼以降の方がよさそうね。



そのうちリベンジしよ。 また来るからね待っててね(*°∀°)=3


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| 武将の銅像 | 15:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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自元寺にて馬場信春の墓参り

山梨県北杜市の自元寺には馬場信春のお墓があります。

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まずは旧馬場屋敷から移築してきたという門から。
当時、夫人が暮らしていたことから夫人の紋である笹りんどうがついてます。

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自元寺は元亀元年(1570)に建立された曹洞宗のお寺。馬場美濃守信春開基。

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馬場信春のお墓は本堂の左手の方へ進んでいったところにあります。

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天正3年(1575)5月、長篠の戦いで討死した馬場さんの形見が届けられ、
お墓を建てて菩提寺としました。ご位牌も安置されているそうです。

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これまでいくつかある馬場さんのお墓へお参りしているワタクシですが、
自元寺は墓だけでなく馬場さん自身が建立したお寺ってことに加えて、
近くには馬場を名乗る前、教来石屋敷跡もあるのでより思い入れます。

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少し車を走らせると教来石屋敷跡。ビューファーム鳥原を目指すとよいですね。

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この館跡は発掘調査で教来石氏が馬場を名のるまでのものと判ったそうです。


馬場さんのお墓参りほぼコンプリート。気が済みました。


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龍岸寺にて真田信尹の墓参り

山梨県北杜市の龍岸寺には真田信尹のお墓があります。

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ちょっとわかりづらいところで迷った末の到着。静かな里の中にあるお寺です。

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信尹のお墓は本堂の左手裏の墓域。真田丸が始まって案内がついたようです。

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信尹さんのお墓は一番右奥。お花が活けられているので分かりやすい。
信尹夫妻(正室は馬場信春の娘)幸政、幸信の三代が眠っています。

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真田信尹は兄昌幸と共に武田信玄に仕えましたが、信玄の命で加津野家を継ぎ、
加津野市右衛門を名乗って勝頼の近侍として活躍しました。

天正10年、武田家が滅亡後は真田姓に戻り、信尹を名乗って徳川に仕えます。
関ヶ原、大阪の陣などの戦功により甲斐で4千石を与えられ、
知行地の大蔵村に居住し、寛永9年(1632年)5月、86歳で死去しました。

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真田丸効果でものすごく訪問する方が増えたそうで前日も団体さんがバスで。
ワタクシが訪れる少し前も年配のグループがお参りに来ていたそうです。

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こちらのお寺の奥様が本当にとても素敵な方で、声をかけてくださったので
信尹のことはもちろん、真田丸で信尹を演じる栗原英雄さんが訪れていることなど
気さくに色々とお伺いしました。詳細は興味があれば本家ブログでご紹介してますので・・


大河って(私は見ないけど)その時ばっかり人がこぞって訪れてるけど
元から観光地としてメジャーとかじゃない限り、終るとそれっきりとかも多い。
今回は真田丸放映中のGW中だったけど人がいないタイミングでよかったです。



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