武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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功山寺の高杉晋作の銅像

山口県下関市の功山寺には高杉晋作の銅像があります。

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元応2年(1320)に創建され、足利尊氏や大内氏の帰依を受けて隆盛を誇ったお寺。
総門は創建当初、室町時代に建てられたものとのことで年季があふれ出ています。


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毛利元就に敗れた大内義長が仏殿で自刃した大内氏終焉の場所でもあり、
高杉晋作が門前で義兵の旗挙げした維新発祥の地でもあるという古刹です。


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大内氏滅亡後、毛利秀元が修復、寺門を興隆して功山寺と改称したそうな。

ワタクシこの時、出張で下関に行って思いがけなく空いた時間が出来た所、
お客さんが少しでも観光してってと案内してくれたから情報とか何も知らないw

おまけに史跡の宝庫下関で、限られた時間めいっぱい案内してもらったので
1ヶ所の滞在時間10分とかw 天気も悪くてスマホでせかせか撮るから
せっかくあちこち「立ち寄れ」たのに、いい写真がないのが残念だったな。


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こちらが境内にある高杉晋作の銅像。武者ぶりはイマイチだけど頭よさそうw
ワタクシ幕末とか維新は戦国ほど興味がないので食いつけないけど(*°∀°)=3


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奇兵隊を結成したり活躍しながら若くに亡くなったよね。人気あるよね。
それは知ってるけど・・・ワタクシどちらかといえば佐幕に寄せちゃう方なんでw



さて。次のみもすそ川公園で、義経の八艘飛び銅像を見に行きますか!


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| 武将の銅像 | 07:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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東光寺の諏訪頼重と武田義信の墓

甲府市の東光寺には諏訪頼重と武田義信の墓があります。

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東光寺は臨済宗に帰依した武田信玄が開いた「甲府五山」の一つに数えられる名刹。


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お二方のお墓は本堂裏を上がった墓域の中にあります。


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階段を上ったところに、武田義信、諏訪頼重と二人のお墓が並んでいました。
前にスペースなさ過ぎて、二つ並んで正面からの写真が撮れなかったけど(*°∀°)=3


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まずは手前にある武田信玄の長男、義信さんのお墓からお参りします。

義信は信玄と正室三条夫人との間に生まれた長男。武田の跡取りとして養育されましたが、
家臣とともに信玄の追放を画策するも露見し、ここ東光寺に幽閉されました。

2年後の永禄10年(1567)10月、死去。享年30歳。死因や真相はわからないのだとか。


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諏訪頼重は信濃諏訪郡の領主。武田信虎の娘禰々(ねね)を正室に迎えて
武田との関係を強化していましたが、天文11年(1542)、父信虎を追放して方針転換した
晴信(信玄)によって桑原城を囲まれます。頼重は抵抗するものの、開城すれば
兵を引くという和議を受け降伏。甲州に送られ、東光寺で自害させられました。


井沢元彦の野望がこの辺のところ面白かった!



甲府市内だけに周辺には武田関連の濃い史跡が目白押し! 計画的にセットで見てください。


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| 武将の墓 | 11:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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逍遥院の武田信廉の墓

甲府市の逍遥院には武田信廉の墓があります。

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住宅街に溶け込んだ山門。車でうっかり通り過ぎそうになってしまいました。


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こちらのお寺では案内とかもなく、事前に調べてなかったら見つけられなかったかもな。
場所は本堂左に行ってすぐ。正確には墓じゃなく祠なんだって。


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武田信廉は信玄の末弟で武田二十四将の一人。
信玄と姿が似ていたことから影武者を務めていたとも言われます。

勝頼の代には飯田城代や大島城代などの重要拠点を任され、
天正3年(1575)には長篠合戦にも参陣。一族の重鎮として支えましたが、
天正10年(1582)、織田徳川による甲州侵攻が始まると甲斐に退却するも、
後に織田軍にとらえられ、甲斐府中で処刑されました。享年51歳。


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絵画が得意な人で「絹本著色武田信虎像」や「武田信虎夫人像」など
現存するいくつかは、国重要文化財に指定されてるほどの腕前。

信玄の死後、追放されていた父信虎を引き取って世話したというし、
ヘタレじゃないにしても武人には向かない優しい人だったんだろうなぁ。




近くには甲斐善光寺や東光寺など武田史跡が目白押しです。セットで是非!


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| 武将の墓 | 15:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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塩山駅北口の武田信玄

山梨県甲州市の塩山駅北口に信玄公の銅像があります。


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塩山駅は信玄のお墓がある恵林寺の最寄駅。
ロータリ前の通りからの遠目だと、思ってたのよりだいぶ小さく見える。


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甲府駅前のどっしり濃いやつと違って、鎧兜なしの入道姿。なんかかわいいw
塩山ライオンズクラブ寄贈で、長谷川等伯の書いた画を元に造られたんだって。


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佇まいがちょっとかわいいと思ったけど、アップで見たらやっぱ濃い!!
信玄の雰囲気がちゃんと表現されて、武将銅像レベルも高めだと思いました。


コレ見たら次は恵林寺 信玄の墓参りをするざます。


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| 武将の銅像 | 17:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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長久手古戦場の秀吉方武将討死の地

長久手古戦場跡周辺には秀吉方武将討死の地が残っています。

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古戦場公園で資料館を見て、マップをもらうと効率よく回れます。


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まずは公園内にある勝入塚。池田恒興(入道して勝入と号した)が討死した場所です。

信長の乳兄弟だった恒興は小牧・長久手の戦いで秀吉に味方し、
家康の本拠地である岡崎への中入を進言して自ら軍を率いて侵攻しますが、
途中の岩崎城攻めに手間取り、家康軍と激突、死闘の末討死しました。享年49歳。


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次は勝入の反対側にある勝入の長男、池田元助討死の地。
父勝入とともに奮戦の末、討たれました。享年26歳。庄九郎は元助さんの幼名。


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お次は公園から少し歩いて武蔵塚へ。恒興の娘婿でもある森長可討死の地です。
鬼武蔵と呼ばれる勇将でしたが、奮戦中、井伊隊の銃弾に斃れました。


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最期は勘解由塚。この場所わかりづらかった。大通り沿いで車だと通りすぎちゃってw

木下勘解由は岡崎侵攻の総大将、三好信吉(後の三好秀次)の家臣で、
家康軍と闘って、徒歩で逃げてきた信吉に自分の馬を与えて逃がし、
自身は兄木下助左衛門祐久とともに戦って討死した忠義の人ですよ。

そもそも走って逃げてくるみっともない信吉も「おいこら!」って感じだけど、
最初に可児才蔵に馬を貸せと頼んで断られてからの~地獄で仏の勘解由ですからね。

涙が出そうになります。ワタクシ心から合掌しました。


近くの常照寺には池田勝入と森長可のお墓もあります。お見逃しなく。



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| 武将の討死地 | 14:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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