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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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長浜市下多良にて大谷吉継の首塚

長浜市下多良には大谷吉継の首塚があります。

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場所は住宅街の入り口にある下多良神社の裏手に広がる広大な畑のど真ん中!
農道に大型車は入れないので車で行くなら神社にとめて案内板を見てゴー!です。


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関ヶ原で西軍として奮戦するも、小早川秀秋の裏切りによって敗北を悟った吉継は、
首を渡すまいと家臣、湯浅五助の解釈で自害。吉継の甥の僧、祐玄が首級を綿の袋に入れて
敦賀への逃亡の途上にこの地に埋め隠したと伝わり、地元の人が大切に守ってきたそうです。

奥にうっすら見えるのが石田三成が捕縛された伊吹山。
眺めているとフィールドの規模や空気感を感じられる気がします。


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案内板には平成23年って書いてあって、訪れる人が増えて整備されたようです。
義を重んじ、友情を貫いた吉継さんは、現在だって人気ある武将ですもんね。

関ヶ原の時には東軍に加わるつもりのところ、親友である三成に説得され、
無謀と知りながら西軍につき、それでも最期まで全力でその義を貫いてます。

病気で盲目な上、体も不自由だったので輿の上から指揮したっていうけど、
多勢を相手にしながら、大谷隊はめっちゃ強かったですよね・・・泣けますわ。


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覆屋の中には小さな五輪塔がありました。本当に首を埋めたとか埋めてないとか
そういうことはどうでもよく、偲ぶ人たちの気持ちが続いてるってとこが大事。


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ちなみにこちらが下多良神社。ワタクシはナビに出なくて一発でたどり着けず、
車で近隣を徘徊した後、ようやくたどりつきました。まぁワタクシだけだと思いますがw


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下多良神社についてしまえば、首塚への入り口には案内があるので安心!


前から気になっていたので、お参り出来てよかったです。


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長久手古戦場の秀吉方武将討死の地

長久手古戦場跡周辺には秀吉方武将討死の地が残っています。

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古戦場公園で資料館を見て、マップをもらうと効率よく回れます。


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まずは公園内にある勝入塚。池田恒興(入道して勝入と号した)が討死した場所です。

信長の乳兄弟だった恒興は小牧・長久手の戦いで秀吉に味方し、
家康の本拠地である岡崎への中入を進言して自ら軍を率いて侵攻しますが、
途中の岩崎城攻めに手間取り、家康軍と激突、死闘の末討死しました。享年49歳。


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次は勝入の反対側にある勝入の長男、池田元助討死の地。
父勝入とともに奮戦の末、討たれました。享年26歳。庄九郎は元助さんの幼名。


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お次は公園から少し歩いて武蔵塚へ。恒興の娘婿でもある森長可討死の地です。
鬼武蔵と呼ばれる勇将でしたが、奮戦中、井伊隊の銃弾に斃れました。


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最期は勘解由塚。この場所わかりづらかった。大通り沿いで車だと通りすぎちゃってw

木下勘解由は岡崎侵攻の総大将、三好信吉(後の三好秀次)の家臣で、
家康軍と闘って、徒歩で逃げてきた信吉に自分の馬を与えて逃がし、
自身は兄木下助左衛門祐久とともに戦って討死した忠義の人ですよ。

そもそも走って逃げてくるみっともない信吉も「おいこら!」って感じだけど、
最初に可児才蔵に馬を貸せと頼んで断られてからの~地獄で仏の勘解由ですからね。

涙が出そうになります。ワタクシ心から合掌しました。


近くの常照寺には池田勝入と森長可のお墓もあります。お見逃しなく。



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