武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

2013年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年06月

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武田神社近くの武田信玄の墓

[武田信玄] ブログ村キーワード


甲府の武田神社(躑躅ヶ崎館)の近くには武田信玄公墓所があります。

甲府 武田信玄の墓

場所が難しいんですよね説明が。武田信玄公墓所という立派な史跡なんだけどお寺とかにあるわけじゃなく、
武田神社近くというタイトルにしたけど、信玄の正室 三条夫人の墓がある円光院の方が断然近いんです。
甲府市岩窪町って住所なんだけどアバウトすぎてナビではピンポイントで行けなかったワタクシ。
そこでまず円光院に行ったところ道すがら、武田信玄公墓所の看板見つけてたどり着けたって次第。
普通の住宅があるような狭い路地のところに、これだけ鎮座しているという佇まいでございますw


甲府 武田信玄の墓

信玄の墓は恵林寺だとばかり思っていましたが、武田氏館に登城するにあたって下調べしていて、
葬儀が行われたため公の墓所が恵林寺にあり墓は他にも・・でこの場所ももれなく来たわけです。

駒場の陣中で急逝した信玄の死は3年の間、秘密にされますが、遺体は円光院に近い土屋右衛門の邸内で
密かに荼毘に附され、埋葬されたといいます。そして江戸時代、安永8年(1779年)に甲府代官
中井清太夫によって発掘され、石棺の「法性院機山信玄大居士」法名から信玄の墓であることが分かり、
発掘されたこの場所に、現在の墓石が建立されたのだそうです。


甲府 武田信玄の墓

遺骨があるのかないのかの説明は案内板にはなく、正確には火葬塚だという場合もあるようだけど、
一時はここに信玄の遺骨が埋葬されていたのだと思えば、信玄が望んだ円光院ではないながらも
三条夫人の近くで眠りにつけたんだわ~などとロマンチストなことを思ってもみたりw

信玄のホームグラウンドだけに何もかもが何だかリアル。信玄ファンの方は是非どうぞ!

ちなみに4月12日の忌日の廻向など現在の供養は円光院で行っているそうですよ。



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| 武将の墓 | 21:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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円光院の三条夫人の墓

[武田信玄] ブログ村キーワード

甲府の円光院には武田信玄の正室 三条夫人のお墓があります。

甲府 円光院 三条夫人の墓

ブログタイトル「武将の銅像と墓参り」で、カテゴリも「武将の墓」のまんまであえて夫人の墓ですΣ(゚Д゚)!
三条夫人は武田信玄の正室だからいいかな~と思ってw 武田神社(躑躅ヶ崎館)登城ついでに寄りました。
お墓があるのは武田神社から車で5分くらいのところにある円光院というお寺です。

もとは武田信玄の先祖、逸見太郎清光が創建した清光院という名前のお寺で現在の笛吹市にあったものを、
永禄3年(1560年)に信玄がこの地に移したそうです。元亀元年(1570年)に正室三条夫人が急逝すると
この寺に葬られ、その法名から「瑞巖山円光護持禅院」と改称されて現在の円光院になりました。


甲府 円光院 三条夫人の墓

円光院は一般の方のお墓もたくさんあるので、親切なこの目立つ看板がなかったら見つけられませんw
この案内板は大河ドラマ「武田信玄」で三条夫人が悪妻として書かれたことに不満を覚えた住職さんが
快川和尚が夫人について葬儀で語ったと言われている言葉を書いたものなのだそうです。


甲府 円光院 三条夫人の墓

三条夫人は三条左大臣公頼の次女として京都三条邸に生まれ今川義元媒酌のもと、
16歳で同年齢の武田晴信(信玄)に嫁します。三男二女に恵まれますが、長男義信は謀反を理由に
廃嫡され後に自害。次男は盲目、三男は早逝。三条夫人は元亀元年、信玄に先立つこと3年。
50歳でその生涯を閉じたと言われています。


甲府 円光院 三条夫人の墓

小説とかドラマなんかを見ていてると、勝頼を生んでいることもあるためか信玄は諏訪御料人・・
由布姫を大事にしてた印象ばっかり持っていたけど、三条夫人の葬儀は盛大だったというし、
信玄は寺に莫大な寄付もして、三回忌には住職に格式高い紫衣を着せようと朝廷に奏請までしたとか。

また自身が臨終を迎えた駒場では馬場信房に肌身離さず持っていた刀八毘沙門・勝軍地蔵を渡して
円光院に収めるよう託し、自分の遺体も円光院に葬るよう遺言したとも言われているそうで、
刀八毘沙門・勝軍地蔵2体の仏像は、ここ円光院の年末の御開帳で見られるらしいんです。すごい!

信玄さん、三条夫人をちゃんと正室として大事に扱っていたんだな~と思って見直しましたw

時代的に側室を持つことも理解できるし、本当に好きな女性が出来るのもアリだと思うけど、
ワタクシ女なので正室としての立場やメンツを大事にしてあげない感じの武将だと正直ドン引く。
御盛んすぎるイメージのある信玄だけど、このエピソードが本当ならちょっと素敵かな。


実をいうと円光院のすぐ近くには武田信玄のお墓(火葬塚とも言われる)があるんです。
すいません・・三条夫人は武田氏館のついでに寄りたい信玄のお墓のさらについででしたw
こちらについては次回のエントリーでご紹介しようと思います。

せっかくなので武田神社にお越しの際はみなさんもぜひセットでお参りください。


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| 武将の墓 | 22:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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津城にある藤堂高虎の銅像

[藤堂高虎] ブログ村キーワード

津城の本丸跡には藤堂高虎の銅像があります。

津城 藤堂高虎の銅像

ワタクシ的に激しくイケてる銅像です。騎馬というだけでまず2割増。イメージ通りで3割増しの計算w
躍動感があるわけじゃないけど、ワタクシの想像する在りし日の姿どおり。迫力もなかなかなものです。


津城 藤堂高虎の銅像

藤堂高虎はワタクシの好きな武将ベスト10に入る。力が強い、本職である戦がうまい、
築城とか内政、外交など戦う以外の能力にも長けている、知性が感じられる、品が感じられる他、
文学や茶の湯、能楽や句など文化人な一面と押しだしのある堂々たる体躯だったら武将として文句なしw


津城 藤堂高虎の銅像

遠目で惚れ惚れなのでガン見・・「やだ~かっこいぃ~」ってギャル風のじゃなくマジにかっこいいっす!

藤堂高虎といえば うさ耳 黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬりとうかんなりかぶと)。
身長が6尺2寸(約190㎝)もあったという高虎、銅像でも迫力だから戦場では相当目立ったわね。


津城 藤堂高虎の銅像アップ

顔のディテールまで相当イケてる銅像なのでアップもお楽しみくださいw

主君を何度も変えたとか家康に急速に接近とかイヤな感じに書かれることもあるけど、
伝わっている逸話やエピソードなどを見聞きすると、高虎は人となりがよく分かる武将。

放浪時代に餅屋で無銭飲食をした時、故郷に帰って親孝行しろと路銀を恵まれたことを忘れず、
大名に出征してから参勤交代の際に立ち寄って餅の代金を返したという話が残っていたり、
高虎が生前に遺した数々の教訓を家臣がまとめた遺訓二百か条を見ても納得なことも多く。

朝起きた時から今日は死ぬ番だと常に死を覚悟していれば心が動じることはない。

使っている者に良い者悪い者はない。それぞれの長所を見出して使えば人に屑はいない。
できない事を申し付けるからいけない。

ワタクシ死は覚悟しませんが、腹を括って仕事をしてますので非常に納得。
部下を持つ立場としても「馬鹿とハサミは使いよう」的理論にも非常に納得。

松下幸之助も似たようなこと言ってるので高虎も経営手腕すごかったのだと思う。


津城 藤堂高虎の銅像

藤堂高虎の銅像はワタクシがまだ未攻略の四国・今治城にもあることはリサーチ済みですが、
そちらは騎乗でも晩年の姿らしくノーノーヘアのようなのでワタクシ的にはこちらがベストということでw


津城に立ち寄った際は残っている石垣とともに、どうぞ忘れず藤堂高虎の銅像をご覧ください。


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| 武将の銅像 | 22:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大阪城内豊国神社の豊臣秀吉の銅像

[豊臣秀吉] ブログ村キーワード

大阪城内の豊国神社には太閤 豊臣秀吉の銅像があります。

大阪城 豊国神社 秀吉の銅像

戦前には大阪中之島に建っていたという秀吉の銅像。戦争中に金属供出されてなくなってしまい、
その後、ずいぶん経った2007年になって、現在の大阪城内にある豊国神社内に再建されました。

中村晋也さんという彫刻の第一人者と言われる方の作品で文化勲章受賞作なんだそうです。
高さは台座を入れて5メートルくらい。豊国神社の大鳥居の前にあるので非常に目立ちます。


大阪城 豊国神社 秀吉の銅像

秀吉さん、具足に陣羽織姿で五三の桐が入った軍配を手に何やら非常に勇ましげな風情です。
でもこんなカッコで戦にバンバン出ていた頃よりずいぶん年は食っちゃってるな・・という感じで。
陽気な人たらし、人気者の太閤さんというイメージとはちょっと違う・・・もしやダークサイド秀吉?

写真がある近現代の偉人や普通の人体彫刻と違って、武将って人それぞれイメージがあるから難しいわね。
ワタクシは別に秀吉贔屓じゃないけど、やっぱり秀吉は人の良さがデフォルメされてる方がいいなぁ。




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| 武将の銅像 | 14:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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景徳院の武田勝頼のお墓

[武田勝頼] ブログ村キーワード

山梨県の景徳院には武田勝頼と北条夫人、信勝のお墓があります。

景徳院 武田勝頼のお墓

武田終焉の地に建てられた景徳院。天正10年7月、勝頼ら一族の菩提を弔うため家康が建立したお寺です。
ワタクシ、武将のお墓はそこそこ行っていますが、ここ景徳院では何だか特別な気持ちになりました。
別に勝頼ファンでもないですし、筋金入りの武田贔屓じゃないんですけど感受性が作用したようですw
そんなわけで他のお墓のエントリーよりとってもボリューミーにお送りしたいと思いますです。ハイ。


景徳院 武田勝頼のお墓

入ってほどなく見えてくる没頭地蔵。首級をとられ首のなかった勝頼、北条夫人、信勝ら
3人の遺骸はその無念さを偲んだ地元の人々がこの地蔵尊に安置したそうです。
動かせば祟りがあると言い伝えられているとか・・・無念も無念。気持ちわかります。


景徳院 武田勝頼のお墓

没頭地蔵の横には勝頼、北条夫人、信勝ら3人の辞世の句が彫られた石碑が建てられています。
恨みも悲しみも嫉みも蔑みも無念さも悔しさも怒りも・・こんな最期を迎えることになって
どろどろした色々な感情があるはずなのに、3人の辞世は潔く清々しくて儚げで・・・。

ワタクシ、勝頼は特別好きな武将とかいうことはないんですが、最期を迎えた地で話に聞き知っている
最期の様子を妄想しながら何度も辞世の句を読んでいたら、3人に初共感して涙が出そうになりました。

勝頼辞世の句
おぼろなる月もほのかに 雲かすみ はれてゆくえの 西の山の端
       
北条夫人辞世の句         
黒髪のみだれたる世ぞ はてしなき 思ひに消ゆる 露の玉の緒
       
信勝辞世の句
あだに見よ 誰も嵐の桜花 咲き散るほどの 春の夜の夢


景徳院 武田勝頼のお墓

早くも目をうるうるさせながら、お墓詣りをするため山門をくぐって境内に入ります。

景徳院は弘化・明治と2度の大火で本堂などは焼失しているものの、この山門だけは天正16年完成当時のまま
残っているのだそうです。門右側に「県指定史跡 武田勝頼之墓」と書かれた石碑が立っています。

上手い説明はできませんが、この終焉の地がどれほど悲しく切ない最期の場所かご紹介しておきます。

武田勝頼は天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の侵攻により新府城を焼き捨て、
重臣小山田信茂を頼み岩殿城へ落ちることを決めます。逃亡前の軍議で真田昌幸が自分の城である
岩櫃城入城を申し出ますが、重臣小山田の「譜代家臣でないため信用できない」という進言を聞き入れ、
勝頼は小山田の岩殿城へ向かうことを決定します。

勝頼主従は小山田に伴われ岩殿城へ向かうのですが、小山田は柏尾まで来ると城の準備を整えることを理由に
先行すると告げ、一行を離脱。勝頼は小山田を信じて待ちますが、7日経っても来ない迎えに痺れを切らし、
岩殿城へ向かうべく笹尾峠に差しかかります。するとそこには幟旗を立て、狼煙を上げて主を追い返そうとする
小山田の姿が・・勝頼は重臣の叛意を知り憤慨するも織田・徳川軍が迫る中どうすることもできず、
死に場所を求めて武田氏の先祖が自害したと伝えられる天目山を目指しました。

新府城を出た当初700いたと言われる家臣は次々に去り、天目山を目指す頃には家臣30人余と夫人を含む
女性17人になっていたと言われます。勝頼らは日川を遡り、天目山を目指しますが田野に至って力尽き、
天正10年(1582年)3月11日。武田勝頼は北条夫人、信勝らとともに自刃。武田家は滅亡しました。


景徳院 武田勝頼のお墓

その3人のお墓がこちら。

中  勝頼   景徳院殿頼山勝公大居士
右  北条夫人 北条院殿模安妙相大禅定尼
左  信勝   法雲院殿甲厳勝信大居士

勝頼のかけた墓石が物悲しい・・これを見ると何だか鼻水まで出てきます。


景徳院 武田勝頼のお墓

辞世の句が書かれた碑がまた建てられています。

北条夫人は当時19歳。元は政略結婚で嫁いだ後妻でしたが、勝頼に北条家へ戻るよう説得されるも
共に果てる道を選んだ人です。

「私たちの縁は一つ蓮の上の縁と信じています。この思いは、
 生のあらん限りは元よりも・・・死して後も変わりません」

自害の前日、北条夫人は勝頼にこのようなことを言ったそうです。

愛って言葉がやけに薄っぺらく感じられました。愛なんて使わなくても気持ち伝わるのね。
こんなこと言われた勝頼、胸が張り裂けそうだったでしょうね・・号泣。涙腺大解放です。

黒髪のみだれたる世ぞ はてしなき 思ひに消ゆる 露の玉の緒
~黒髪のように世の中は果てしなく乱れ、私の思いは露のように儚く消えようとしています


景徳院 

北条夫人の生害石です。北条夫人は最期の時、黒髪をつかんで切り落とし、辞世の句を書いた紙に包むと
実家に届けるよう小者に頼んで自害。介錯を頼んだ家臣がためらう様子を見て懐剣を自らの口に含むと、
前向きに地面に倒れこみ命を絶ったという。苦しませてはならぬと夫人に駆け寄り、自らとどめをさした
勝頼は亡骸を抱きしめてしばらくの間、呆然としていたと伝えられているそうです。

儚げで弱々しそうな印象の北条夫人だけど実は思いを貫く芯の強い女性。
時代は違えど同じ女としてかくあるべきか・・いやぁ~ワタクシにはとても無理だわ。


景徳院 武田勝頼のお墓

こちらが勝頼の生害石。勝頼の最期には諸説あるらしく、華々しく戦って斬り死にしたとか、
疲れ切って鎧櫃に座っているところに切りかかられ討ち取られたなどとも言われているけれど、
ここにきて見ていると、やっぱり自害したっていうのが一番しっくり来るような気がします。

涙ぐみながら勝頼の最期をあれこれ妄想していたら、首実検をした信長が散々ののしった挙句、
鞭だか杖だかで首を2度3度ひっぱたいた話を読んだようなことを思い出しました。

・・信長、あんた本当ひどいね。でもマイフォーエバーカリスマ、そして好きだけどw


景徳院 武田勝頼のお墓

勝頼と北条夫人の生害石は松の根元に並んで・・夫婦は2世、主従は3世。
戦も命がけも名を残す義務もないあの世で、幸せに過ごしていることを願ってしまいます。


主従は3世といえば勝頼に最後まで従った家臣もすごかった。

自害の時間を稼ぐため追い迫る滝川一益勢に立ち向かったのが土屋昌恒。
この時、土屋昌恒が片手でツタを握りしめ、片手で奮戦したことから「片手千人斬り」
という伝説が生まれ、日川は三日間紅く染まったと伝わっているそうです。

また、長篠の合戦後、勝頼から咎めを受けて主従関係を切られていた小宮山内膳友晴も
勝頼の危急を聞きつけ、主君の最期を飾るため馳せ参じ最後まで奮戦したそうです。

アフォの小山田に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいですな。

ちなみに最期まで残った家臣の中には小山田一族が何人もいたそうですが、
いたたまれず身の置き所もない感じで、自身を盾に主を守るしか
お詫びのしようもなかったんだろうね・・必死の戦いをしたそうな。


景徳院のすぐそば横には、土屋さんの活躍で血に染まったという日川が流れています。
北条夫人に最後まで従った侍女16人が身を投げて殉死した姫ヶ淵もすぐ目の前にあり、
北条夫人を含めた17名を表した石碑が建てられています。

甲斐大和駅から景徳院に登ってくる道沿いには勝頼一行が足をとめた四朗作や
小宮山内膳友信らが織田軍の滝川勢と死闘を繰り広げた鳥居畑古戦場の石碑も。


武田終焉の地・・戦国好き、武田好きなら一度はお参りを。

物悲しくて切なくて・・武将のお墓詣りとしては胸が詰まるような初体験でした。



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| 武将の墓 | 22:09 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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米沢市の上杉家廟所

[上杉謙信] ブログ村キーワード

米沢市の米沢城址(上杉神社)ほど近くには上杉歴代藩主を祀った上杉家廟所があります。


米沢市 上杉家廟所

藩祖、上杉謙信から12代斉定公まで歴代藩主が埋葬されている上杉家の墓所。
昭和59年、全国大名墓所としては5番目に国の史跡に登録されたのだそうです。
謙信の、景勝の、鷹山のお墓があるというのに人がいなすぎてびっくりします。
高い杉の木立に囲まれてひっそり静寂でおごそか・・とっても独特な雰囲気があります。


米沢市 上杉家廟所

拝観料は300円。お墓を見るのに高いのか安いのかワタクシにはよく分かりませんが、
杉木立を抜けて懸り乱れ龍と刀八毘沙門の旗が見えると意味不明に気持ちは高揚しますw 


米沢市 上杉家廟所

謙信公のお墓が見えてきました。投票しなくても上杉人気ナンバーワンの謙信はもちろんセンターw
やっぱり拝観料がネックなんでしょうか? 人が全くいないので思い切りお参りが出来そうです。


米沢市 上杉家廟所 謙信の墓

林泉寺の謙信のお墓を紹介した際、上杉家の米沢移封に伴い、この地に移されたと紹介していますが、
どうも実際には謙信の遺骨は高野山にあり、この上杉廟所にあるのは分骨されたものと聞きました。

でも上杉好きにとってはある意味リアル聖地。今回も念入りにお参りしながらどさくさに紛れ、
「大好きです」と恋心もこっそり告白w カリスマ信長とはまた違う好きさなんですよね~


米沢市 上杉家廟所

謙信公の墓所を挟んですぐ左(写真は一番手前)が景勝公や奥の方に鷹山公の墓所が並びます。


米沢市 上杉家廟所

右側にも歴代藩主の墓所が並びます。これだけ歴代藩主の墓が並ぶと荘厳で圧巻です。


米沢市 上杉家廟所

ほら、こんな感じに。歴代藩主の廟屋が左右交互に建てられているのがわかります。


米沢市 上杉家廟所 鷹山公の墓所

こちらは鷹山公の墓所。9代重定公以降は遺骸もここにリアルに土葬されているのだとか。
観光化されたにぎやかなお墓と違って、歴代の藩主だけが眠る墓所は格調高くとても静か。


ワタクシは300円払ってもお参りして良かったと思いました。



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| 武将の墓 | 21:08 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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林泉寺の上杉謙信のお墓

[上杉謙信] ブログ村キーワード

新潟県春日山城の麓にある林泉寺には上杉謙信のお墓があります。

林泉寺 上杉謙信の墓

林泉寺内の謙信公のお墓の入り口からして、どことなく品がある。清々しく潔いイメージにぴったり。

林泉寺は明応6年(1497)越後国の守護代長尾能景の父、重景の17回忌に創建された長尾家の菩提所。
虎千代(後の謙信)は7歳から14歳までこの寺に預けられ、住職の天室光育から学問を学びました。
景虎が上杉氏を継承して輝虎を名乗った時、林泉寺は上杉氏の菩提寺となり、元亀元年(1570)
剃髪した際、師の諱から一字を取って「上杉不識庵謙信」と号した・・謙信の匂い炸裂のお寺です。


林泉寺 上杉謙信の墓

謙信のお墓です。謙信の遺骸は甲冑をつけた姿で甕に納められ、ここに埋葬されましたが、
関ヶ原の後、景勝の移封に伴って米沢に移されて城内の御堂に安置されました。
そして明治4年の廃藩に際し、米沢市内にある上杉家廟所に移されているのだそうです。


林泉寺 上杉謙信の墓

今ここに謙信公は眠っていませんが、謙信が幼い時期を過ごしたこの清々しい雰囲気のお寺で
一時は埋葬されたお墓の前に立ったら、それだけで時をさかのぼるような興奮があるもんです。
ちょうど朝早くて人もいなかったので念入りに念入りに手を合わせました。
お墓ってお骨があるないとかよりも、お参りする人の気持ちだと思っていますので・・ハイ。


林泉寺 川中島戦死者供養塔

謙信公のお墓の近くには川中島戦死者供養塔も建てられています。
嘘かホントかはさておき、信玄VS謙信の一騎打ちがあったと言われる第4次川中島合戦では
ものすごい数の死傷者が出たと言います。こちらも丁寧に手を合わせておきました。


春日山城に登城する際はぜひ、林泉寺もぜひセットで行かれることをお勧めします。
拝観料数百円がかかりますが、謙信直筆の扁額や宝物館など他では見られないものも見れますよ!




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| 武将の墓 | 20:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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甲斐大和駅の武田勝頼の銅像

[武田勝頼] ブログ村キーワード

山梨県の甲斐大和駅前ロータリーには武田勝頼の銅像があります。

勇ましさ全く足らんです
甲斐大和駅 武田勝頼の銅像

JR中央本線 甲斐大和駅の小さな駅前にある、これまた小さなロータリーの片隅に建つ勝頼さん。

甲府駅前に鎮座するオヤジさんとは大きさも決めポーズもあまりに差があるの何だか気の毒。

普通に考えると太刀に手をかけ、軍配をかざす姿は勇ましいはずなのに、腰の据わりが足らんのか、
手足の長さが変なのか・・・むーん。ひょうきんに見えなくもないところが何だかとっても物悲しい。


風林火山の折れっぱなし放置はやめて
甲斐大和駅 武田勝頼の銅像

多分、地元のロータリークラブとかで建てた銅像だと思うんだけどスタイルは今さら仕方ないとして、
せめて折れた旗だけは何とかしてあげて!! 風林火山が泣いていますよ・・・(ノд-。)

甲斐大和駅は勝頼と北条夫人のお墓がある景徳院の最寄駅です。
すでに痛ましすぎる匂いを感じつつ、ワタクシは景徳院に向かいました。


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| 武将の銅像 | 14:08 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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甲府駅前の武田信玄の銅像

[武田信玄公像] ブログ村キーワード

山梨県の甲府駅前には武田信玄の銅像があります。

銅像にしてこのド迫力!!
甲府駅 武田信玄の銅像

どっしり腰の据わった感じはまさに「御館様」。さすが「動かざること山の如し」。
脂ギッシュ エネルギッシュさと貫録が表現されたこの銅像はホント素晴らしいと思います。


甲府城とセットでどうぞ。
甲府駅 武田信玄の銅像

この素晴らしい信玄の銅像は甲府城のある側の甲府駅前で見ることが出来ます。
甲府城の石垣も素敵なので武田信玄の銅像と必ずセットでお楽しみくださいw



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| 武将の銅像 | 09:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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徳勝寺~浅井三代の墓

[浅井長政] ブログ村キーワード

長浜の徳勝寺に浅井三代の墓があります。

徳勝寺 浅井三代の墓

滋賀県長浜市平方町にある徳勝寺。長浜では珍しい曹洞宗の禅寺で、戦国時代には医王寺の名で
小谷城下にあったそうです。永正15年(1518)浅井亮政の小谷城築城に伴い、菩提寺となりました。
浅井滅亡後20年近く経って秀吉が長浜に移し、寺領30石を与えて保護したのだとか・・


徳勝寺 浅井三代の墓

場所が駅からほど近い住宅街と商業街の中にあるため、お寺の後ろはでかいマンションが建ってます。
お寺の周りも住宅がギューギューΣ(゚Д゚)! 境内もそんなに広くない小さなお寺です。
秀吉が長浜に移した後も内藤さんやら伊井さんやらが場所を動かし、何度か移転して今ここにあるんだって。


徳勝寺 浅井三代の墓

左から長政、祖父の亮政、父の久政の墓。本当にお骨が入ってるかは分かりませんが、
そんなにあっちこっちに移されちゃ、あの世に行っても落ち着かないことこの上ないわ。


小谷 赤尾屋敷 長政自刃の地

ちなみにこちらは小谷城の赤尾屋敷跡にある長政自刃の地。ここで覚悟の切腹をした長政の頭蓋骨は
薄濃(はくだみ)にされたとも言われていますが、小谷山麓にあったこの寺に葬られたと聞くとホッとします。

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越前大野城の金森長近の銅像

越前大野城の本丸前には金森長近の銅像があります。

小さいおじいちゃん
越前大野城 金森長近

銅像を見つけた一瞬、ヨーダを思い浮かべましたよワタクシ。いっぱしのメジャー武将なのに・・
だって信長の赤母布衆のひとりよ? でもまだ岐阜にいた頃の話じゃダメなのかもしれないね。

金森長近さんは結構すばしっこい人です。気を見るに敏というタイプですかね。
賤ヶ岳では勝家を見捨て、秀吉側にいたと思えば関ヶ原では東軍として参加。
この銅像は晩年の老獪な政治家チックなところを表現しているのかもしれませんねwww



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津山城の森忠政の銅像

津山城には森忠政の銅像があります。

どすこいどすこい
津山城 森忠政

森忠政さんは森可成の6男。鬼武蔵の異名を取った長男の長可は小牧長久手の合戦で戦死、
蘭丸・坊丸・力丸の3人の兄も本能寺で戦死。で結果、森家を継ぐことになった人なのです。

忠政さんが森家を継いだのは幼少の頃。幼少だからと領地の一部を召し上げた石田三成を
恨んでいたらしく、関ヶ原では徳川方へ。秀忠軍として信州上田攻めに加わっていましたが、
戦後には美作18万石へ移封。初代藩主として津山城を築きました。

そんな忠政さん・・・なんでこんな銅像にされちゃったんだろう? 
鬼武蔵と呼ばれた兄の激しさなし。イケメン蘭丸の面影皆無・・どう見てもおすもうさん風よ。


銅像を作った人のイメージなのか、発注主の好みなのか・・謎は深まるばかりです。



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上田駅前 真田幸村の銅像

上田城からほど近い上田駅前のロータリーには真田幸村の銅像があります。

歴女とあわやバトル勃発?
上田駅 真田幸村の銅像

言わずとしれた悲運のヒーロー真田幸村君。昔々・・戦国の当時から人気があった武将ですが
赤備えでイケメンに描かれた戦国無双のゲームでさらに女性ファン層を広げ、絶賛人気爆発中!!

上田駅というのがすごいんです。写真にあるような六文銭多様くらいなら町おこしでいいけれど、
戦国無双かBASARAのキャラ旗なんぞニョキニョキ立てて幸村をビジュアル系にのし上げているw
だからというわけじゃないんだろうけど、ギャル風の歴女さんが銅像の前で写メ大会を繰り広げ、
幸村君の銅像をピンで、好きな角度で撮りたいワタクシは待っている間、マジギレ寸前ヽ(`Д´)ノ

やだ~かっこいい~!! ちょっともう1枚一緒に撮ってぇ~★

みたいな感じで入れ違い立ち代り続く続く・・・

次の予定もあり先を急いでいたワタクシはアラフォーの図々しさ全開で一言。

「すぐ済むから先に1枚撮らして」で、瞬殺してその場を立ち去りましたとさw

どう考えても8頭身のアニメキャラより、この銅像の方がリアルにかっこいいと思うのだが。


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| 武将の銅像 | 01:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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新発田城の溝口秀勝の銅像

新発田城の本丸表門を入ったところには溝口秀勝の銅像があります。


新発田城 溝口秀勝の銅像

溝口伯耆守(ほうきのかみ)秀勝は新発田初代藩主。
藩主に恐れ多いからと当時の人は箒(ほうき)のことを「なで」と呼んだのだとか。

溝口秀勝さんは丹羽長秀に仕えていたところ信長の直臣に取り立てられて地道に頑張り、
慶長3年(1598)秀吉の命により、加賀大聖寺から6万石の新発田に入封。
関ヶ原で東軍について家康から領地安堵され、1610年この地で亡くなったそうです。

近くのお寺にお墓があるというのに新発田城や隣の自衛隊の敷地にばかり気を取られ、
詳しく知らない溝口秀勝さんについて写真1枚でうっかりスルーしてしまいました。

地元では今でも大変人気があるお殿様だそうですよ。



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| 武将の銅像 | 01:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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坂本城跡の明智光秀の銅像

[明智光秀] ブログ村キーワード

滋賀県の琵琶湖のほとりにある坂本城跡の一角には明智光秀の銅像があります。

ちょっぴり様子がおかしいようです
坂本城 明智光秀の銅像

ルイスフロイスが「安土城にも並ぶ美しい城」と書いた坂本城ですが今は遺構もほとんどありません。
公園としてひっそりと残る坂本城公園の一角に立つ光秀さんの銅像・・どうもイケてません。


しげしげと眺めてみました
坂本城 明智光秀の銅像

少し離れてしげしげと眺めてみました・・・む~これはどう見てもスタイルが悪すぎる!!
立ってる場所も佇まいもとってつけたような感じだし、信長がマイフォーエバーカリスマながら、
光秀も何気に好きなワタクシとしては、この銅像を見てかなり気の毒に思いました。


何もかもがダメ
坂本城 明智光秀の銅像

スタイルだけじゃなく、よく見たら着てるものも何だか変。甲冑なのかなんなのかハッキリして。
だいたい他の銅像と違って甲冑にしても立体感がなさすぎなのよ。立体感と言えば顔だってのっぺり。
朝青竜とかっぽくない? なんか日本人ぽくないのよ。作った人に悪いけどこれはひどすぎる。


イメージを壊さないことが大切
坂本城 明智光秀の銅像

騎乗でさっそうとした姿とか、品ある智将イメージを大事にした佇まいとか・・
戦国時代きってのビッグネーム光秀なんだから、もっとイケてる銅像を激しく希望シマス。



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| 武将の銅像 | 01:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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郡上八幡城の山内一豊と千代の銅像

郡上八幡城の駐車場には山内一豊と千代の銅像があります。

日差し強すぎて色飛んじゃってますけど・・
郡上八幡 山内一豊と千代

山内一豊は今さら説明するまでもなく、関ヶ原前の小山会議で一番に徳川につくと表明した上、
掛川城も差し出すと言って、本番の戦いで武功がなくても24万石を得た武将。妻は賢妻と名高い千代。
嫁入りの時に持ってきた10両で夫一豊のために名馬を買い、信長の目を引いたというエピソードは有名。
近江八幡城の中には千代の良妻賢母ぶりや内助の功を称える展示が数多くありました。

一豊が凡将と言われながら土佐24万石の大名になれたのは妻を大事にして妻を信じたからじゃない?
この時代に後継ぎがいなくても側室も持たず妻一筋。それはそれである意味すごいことかなと思ったりw



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| 武将の銅像 | 00:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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千葉城の千葉常胤の銅像

千葉城の模擬天守前には千葉常胤の銅像があります。

白亜の天守に弓を引く姿は勇ましげ
千葉城 千葉常胤の銅像

千葉常胤さんは戦国よりもっと古い、鎌倉初期の頃に活躍した武闘派の坂東武者。
源頼朝が伊豆で挙兵し、石橋山の合戦に破れて安房に逃がれた時、一族を率いて助けた常胤さんは
鎌倉幕府成立の立役者。今、時を超えて参上・・ってなぜ千葉城に弓引いてんのかしら?


もしや天守を威嚇?
千葉城 千葉常胤の銅像 騎乗

鎌倉時代の城には天守なんてなかったから、武闘派としては立ちはだかるものはたとえ叶わずとも
立ち向かう的な勇ましき千葉常胤を表現したのでしょうw しかし騎乗の銅像はかっこいいです。


地元のヒーローです
千葉城 千葉常胤の銅像

時代はズレズレだって千葉常胤さん、頼朝の信頼も厚かった御家人筆頭ですから模擬天守よりむしろw

やあやあ 我こそは千葉常胤なり 遠からん者は音にも聞け 近くば寄って目にも見よ!


千葉常胤さんはこんな悠長で正々堂々とした戦の時代を駆け抜けたいかした武士でした。



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| 武将の銅像 | 00:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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山形城の最上義光の銅像

山形城の東大手門広場には最上義光の銅像があります。

長谷堂合戦で陣頭に立つ勇姿がモチーフ
山形城 最上義光

長谷堂城の戦いは関ヶ原で西軍の敗戦を知った直江兼続を追撃する最上君と、
上杉軍の殿を買って出た傾奇者前田慶次・水原親憲の激戦で有名。
最上君、陣頭に立って追撃したけど兜に鉄砲くらったという。お茶目じゃないかw


大河抜擢はアリだと思うのですが
山形城 最上義光 騎乗の像

最上義光さんは羽州探題の名門ながら衰退していた最上家を57万石まで押し上げたすごい武将。
刀の2倍の重さの鉄棒を振るう勇将であり、謀略説得も得意な智将でもあった。
「羽州の狐」「虎将」と呼ばれる武将だけど、細川幽斎にの次に連歌を残した文化人の一面も。
政宗と比べてメジャー度もヒーロー的イメージもイマイチだけどワタクシは何気に好きです。


騎乗の銅像は躍動感があってかっこよさ3割増し
山形城 最上義光の銅像

青空の日にもう1度見に行きたいと思う銅像でした。山形・・うう頑張らな。


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| 武将の銅像 | 00:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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武将の銅像リスト

これまでに見た武将の銅像の一覧です。クリックすると該当エントリーが表示されます。

【東北】

山形城 最上義光
米沢城 上杉景勝と直江兼続
米沢城 上杉謙信
米沢城 上杉鷹山公
青葉城 伊達政宗
青葉城 支倉常長
傑山寺 片倉小十郎景綱
弘前城 津軽為信
八戸博物館前の南部師行

【関東】

畠山重忠公史跡公園 畠山重忠
千葉城 千葉常胤
川越市役所 太田道灌
長福寺 太田道灌
熊谷駅 熊谷直実
新田荘歴史資料館 新田義貞
太田駅 新田義貞
菅谷館 畠山重忠
妻沼聖天宮 斉藤実盛
佐倉城 堀田正睦
大多喜行徳橋 本多忠勝


【甲信越】

武田信玄と上杉謙信一騎討ちの像
甲府駅 武田信玄
甲斐大和駅 武田勝頼
春日山城 上杉謙信
上田駅 真田幸村
新発田城 溝口秀勝
新発田城大手門前 堀部安兵衛
五郎山の仁科盛信
蛭ヶ小島 源頼朝と政子


【北陸】

越前大野城 金森長近
北の庄城 柴田勝家
高岡古城公園 前田利長
高岡古城公園 高山右近
高岡駅南口 前田利長
安宅の関 義経・弁慶・富樫
篠原古戦場 木曽義仲


【東海】

岡崎城 本多忠勝
岡崎城 徳川家康
駿府城 徳川家康
浜松城 徳川家康
郡上八幡城 山内一豊と千代
津城 藤堂高虎
大垣城 戸田氏鉄
清州城公園 織田信長
津城 藤堂高虎
九華公園(桑名城跡) 本多忠勝
桶狭間公園 今川義元と織田信長 近世の曙
松平氏館 松平信親
甲良郡在土町 藤堂高虎
滋賀県日野町 蒲生氏郷
岐阜駅 ゴールデン織田信長
岐阜城 若き日の織田信長
妙行寺 加藤清正
常泉寺 豊臣秀吉
名古屋城能楽堂前 加藤清正


【近畿】

長浜河毛駅 浅井長政と市
長浜市役所浅井支所 浅井ファミリー
石田会館 石田三成
長浜駅 秀吉と三成三献の茶
長浜城 豊臣秀吉
大阪城 豊臣秀吉
坂本城 明智光秀
安土駅 織田信長
彦根駅 井伊直政
龍譚寺 石田三成
高虎公園の藤堂高虎の銅像


【中国】

津山城 森忠政



【九州】

熊本城 加藤清正




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武将の墓リスト

これまでに巡礼した武将の墓の一覧です。クリックすると該当エントリーが表示されます。

【東北】

上杉家廟所 謙信から12代斉成までの歴代上杉家当主
林泉寺 直江兼続と船 
林泉寺 甘粕景継 信玄の六男武田信清 景勝の実母(謙信の姉)仙洞院 鷹山公の側室お豊の方
飯盛山 白虎隊
傑山寺の片倉小十郎の墓
愛宕山の片倉家廟所
当信寺の阿梅の墓
瑞鳳殿の伊達政宗廟所
天麟院の五郎八姫廟所
瑞巌寺の愛姫の廟所
覚範寺の伊達政宗生母保春院の墓
光明寺の支倉常長の墓
大雄寺の伊達成実の廟所
皮秀寺の津軽為信の廟所
聖寿禅寺の南部家墓所

【甲信越】

円光院 三条夫人
甲府 岩窪町 武田信玄公墓所
典厩寺 武田信繁の墓
景徳院 武田勝頼と北条夫人 武田信勝
林泉寺 上杉謙信
林泉寺 堀秀政 秀治 秀重 堀三代
建福寺 由布姫の墓
長岳寺 武田信玄と馬場信房の墓
五郎山 仁科信盛の墓
龍雲寺の武田信玄の霊廟
西念寺の仙石秀久の墓
蕃松院の依田信蕃の墓

【関東】

畠山重忠公史跡公園 畠山重忠供養碑と五輪塔
満福寺 重忠廟碑
平林寺 増田長盛 
平林寺 松平伊豆守信綱
八王子城 北条氏照
正龍寺 北条氏邦夫妻
常楽寺 大道寺政繁 川越頼重 源義経・京姫供養塔
昌福寺 上杉房憲の墓
善導寺 榊原康政父子
来迎寺 長野氏一族の墓
長純寺 長野業政の供養塔
長年寺 長野業政の墓
正覚寺 小松姫の墓
崇福寺 織田信雄七代の墓
良玄寺 本多忠勝の墓
延命寺 里見氏三代の墓
真如寺 武田信興の墓
金剛寺 皆川広照の墓
佐野市 俵藤太(藤原秀郷)の墓
勝願寺 小松姫 仙石秀久の墓


【東海】

長篠城 馬場信房
守綱寺と随応院 渡辺守綱の墓
浄土寺 本多忠勝の墓
福田寺 武田信玄と馬場美濃守の墓
岡崎 本多忠勝生誕地
長慶寺 今川泰範と太原雪斎の墓
誓願寺 片桐且元夫妻の墓
撰要寺 大須賀康高の墓
常在寺 斉藤道三の供養塔
崇福寺 織田信長父子の廟所
岐阜市道三町 道三塚
西山本門寺 織田信長の首塚
医王寺 山本勘助の墓
願成就院 北条時政の墓


【北陸】

野田山墓地 前田家歴代の墓
瑞龍寺 前田利長の墓
瑞龍寺 織田信長・信忠・利家の分骨堂
篠原古戦場 斉藤実盛塚


【近畿】

長浜石田町 石田一族
徳勝寺 浅井長政 久政 亮政 浅井三代
安土城 信長廟所と織田信雄供養塔
姉川古戦場 遠藤直経の墓
筒井順慶歴史公園の筒井順慶の墓
達磨寺 松永久秀の墓
大和郡山 大納言塚(豊臣秀長の墓)
宗安寺 木村重成の首塚
信楽院 蒲生氏郷遺髪塚
上行寺 藤堂高虎他藤堂家歴代の墓
四天王寺 織田信長生母と藤堂高虎夫人の墓
寒松院 藤堂家墓地
福蔵寺 織田信考の墓 
岐阜市道三町の道三塚
崇福寺の信長父子の廟所
本宗寺の石川数正の墓
常勝寺の池田父子と森長可の墓
常在寺の斉藤道三供養塔


【高野山】
高野山奥の院 上杉謙信廟 武田信玄・勝頼 伊達政宗 結城秀康 島津家 浅野内匠頭
          石田三成 明智光秀 榊原康政 本多忠勝 豊臣秀吉 織田信長 筒井順慶
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