武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

2014年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年03月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

長岳寺の信玄と馬場美濃守の墓

[武田信玄] ブログ村キーワード

長野県下伊那郡阿智村駒場の長岳寺には武田信玄と馬場美濃守のお墓があります。


P1080062.jpg

信玄のお墓は以前、ご紹介した愛知県設楽の福田寺甲府の信玄公墓所とか
有名な恵林寺の他にも色々あるのですが、今回はリアリティある駒場の長岳寺でのお墓まいりです。


P1080064.jpg

こちら長岳寺は信玄を火葬にしたお寺なんだそうです。
甲府の信玄公墓所も火葬塚と言われていて「どゆこと?」と思いますけど、
野田城攻略中に病に倒れた信玄は甲府に戻る途中、駒場で亡くなったと言われます。

信玄は自分の死を「3年の間は秘密にせよ」としたそうだから、
実際にどの地点で亡くなり、遺骸や葬儀はどうだったのかハッキリしてません。
でも駒場で急逝したというのが定説のようなので、そういう意味でここはリアルよ。


P1080066 (3)

信玄のお墓は本堂から右手に回ったところにありました。

野田城攻略中に肺の病が重くなった信玄は、甲府へ戻る途中、駒場の山中で死去したため、
この地を守っていた馬場美濃守と図り、信玄公の死を秘めて身代わりを甲州に送り火葬にした

といった説明が書かれていました。


P1080069.jpg

お墓の下の部分には「武田信玄公供養塔」という文字が刻まれています。
この塔は四百年祭りに火葬塚より灰を移し、供養塔としたものなんだそうです。

駒場で亡くなって「火葬された」っていうのが多分アリなんだと思いますよ。
でも「諏訪湖に沈められた」ってのも大物ならではでロマンがあっていいけどねw


P1080072.jpg

で、ここでもやはり「信玄のあるところ美濃守あり!」ってな感じで、
設楽町の福田寺と同じく馬場美濃守信房のお墓・・というか供養塔もありました。

ちなみに馬場さんのお墓は長篠城近くにもあります。


P1080092.jpg

2つのお墓の位置関係はこんな感じで。信玄のお墓の右手に馬場美濃守の五輪塔があります。


このお寺には信玄の遺品があり、拝観料を払うと見られるとのことだったのですが、
ワタクシが訪問した時、住職さんがちょうど階段を下りてお出かけするところでした...orz
本堂横のお住まいらしき建物に声をかけてみたのですが、どなたもいないみたいで残念~


どっかの登城のついでに通りかかるような場所ではないんだけど、
もし機会があればぜひ、遺品を見に再訪問してみたいと思っています。




応援お願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村



Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
スポンサーサイト

| 武将の墓 | 19:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

正覚寺の小松姫の墓

[本多忠勝] ブログ村キーワード

沼田市の正覚寺には真田信之の夫人、小松姫の墓があります。

P1070649.jpg

立派な山門は万延元(1860)年建造、欅素木造り。周りは住宅街なのでめっちゃ目立ちます。

小松姫は本多忠勝の娘で、稲ともよばれたようです。ゲームで稲姫として登場しますね。
徳川家康の養子となり、天正17年(1589)に真田信之のもとへ嫁ぎました。
慶長5年(1600)の関ヶ原では東軍とし家康方につきました。


P1070660.jpg

小松姫のお墓は山門から奥に進んだ、墓地の左奥の方になります。
ワタクシ若干、うろつきましたが。墓地の中のお堂を目指すと分かりやすいです。


P1070652.jpg

しっかりものの・・いやものすご~く気の強そうな小松姫のお墓です。

敵味方に別れた信之の父、真田昌幸が「孫の顔が見たい」と沼田に立ち寄っても
自ら武装して「城には入れぬ」と追い返したエピソードが有名。

でも翌日、小松姫は子供を連れて昌幸の宿泊した寺を訪ねて対面させてやったり、
また関ヶ原の後、九度山に蟄居した昌幸・幸村に仕送りを続けたりもしたらしいから
気が強い反面、情に厚い心の豊かな女性だったのだろうとも思います。

さすが忠勝の娘! ワタクシこういう強い女性は大好きよ。
おまけに小松姫、容姿端麗だったというからパーフェクトだわw


P1070655.jpg

信之は徳川についたことで沼田3万石を加増され、上田沼田合わせて10万石となりますが、
上田は破却を命じられ、沼田城主を本拠としました。子孫は松代に移封し幕末を迎えます。

小松姫は内助の功で真田家を支えますが、元和6(1620)年に病いの療養のため
江戸から草津に来る途中、埼玉県の鴻巣で亡くなりました。享年48歳。

信之は「わが家の燈火が消えたり」といって悲しんだそうです。

小松姫の遺骸は火葬され、巣鴨勝願寺、沼田正覚寺、上田芳泉寺に分骨されました。

大蓮院殿英誉皓月大禅定尼 案内版には「大連院殿の墓」と書かれています。



正覚寺の近くには沼田城もあります。もうちょいいくと名胡桃城もあります。
真田太平記の世界を味わう際はぜひ、こちらの正覚寺にもお参りしてください!


応援お願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村



Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

| 武将の墓 | 12:30 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |