武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

2014年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年05月

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長慶寺の今川泰範と太原雪斎の墓

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静岡県藤枝市の長慶寺には今川泰範と太原雪斎のお墓があります。

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ナビには出てきたけど、車じゃなきゃとかなり厳しい感じもところにありました。
住宅街ではあるんだけど、電車やバスのアクセスがめちゃ悪そうなんです。


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長慶寺は嘉慶年間(1387~1388)今川氏三代の泰範が開創した由緒ある寺院。
今川泰範は足利義満に仕えて、駿河と遠江の守護職に任ぜられていたそうです。


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駿河今川氏三代 今川泰範菩提寺と書かれています。
ワタクシ的には太原雪斎様の方がむしろ興味なんですがw


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元は真言宗だったけど、太原雪斎が再興した時に臨済宗になったのだとか。
枯山水プラス紅葉で、こじんまりしてるけど素敵なお庭ですよ~


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お庭を眺めながら本堂の左に進むと、藤枝市指定史跡の案内板が見えてきます。
今川泰範の五輪塔と雪斎長老の無縫塔と書かれてますね。要するにお墓ですw


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案内板の奥に墓所があります。左が今川さん、右が雪斎さんのお墓です。


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今川さんは嘉慶2年(1409)76歳で亡くなり、遺骸は長慶寺に葬られたと言われているそうです。
そんなわけで五輪塔が残っているんですね。きれいなお花も活けられ手入れがされています。


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で、こちらが太原雪斎・・雪斎長老の無縫塔。無縫塔というのは僧侶のお墓のことなんですって。
太原雪斎は今川氏の家臣の出で、9才で富士の善得寺に入寺し、その後、今川義元とともに京都に上って
建仁寺や妙心寺で修行を積んだ人。今川義元も出家していて還俗して今川家を継いだんですよね。


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太原雪斎の無縫塔の後ろには小さな五輪塔がたくさん!!

太原雪斎は今川家を継いだ義元の軍師となって多くの戦に出陣しただけではなく、
外交にも秀で、人質時代の家康に兵法や帝王学の教育を行ったとも言われています。

諸説あるかと思うけど、まぁでもすごい人だよね。信長の野望で交渉に来られたわw

ちなみに今川義元が桶狭間で敗れた時、太原雪斎はすでにあの世の人でした。
雪斎さんがいたら、歴史変わっていたんですかね・・イフは禁止でも興味わきますw


長慶寺・・アクセスよくないのでセットでおすすめするところが近くにないの。
ワタクシは武田流築城術の残る諏訪原城の帰りに寄った感じで。


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誓願寺の片桐且元の墓

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静岡県丸子市の誓願寺には片桐且元夫妻のお墓があります。

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丸子城跡のすぐ横、とろろ汁で有名な「丁子屋」のすぐ近くです。
行くまでの道が細いけど、広い駐車場が完備で墓参り&城めぐりにおっけw


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山門をくぐると長い参道が続き、山を背に立つ本堂はちょっと日本昔話風の佇まいです。
駐車場も参道もどこもかしこも綺麗に手入れされた気持ちのよい境内でした。


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まだ3時くらいなんだけど秋の夕暮れは早く、誰もいないから非常にひっそりしてます。
お寺の創建は古く、建久年間(1190~1199)に源頼朝の両親追善のために建てられて、
天文年間に丸子城の戦火で類焼したのを惜しんだ武田信玄が再建したんだそうですよ。


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本堂の左手の方に進むと「片桐且元公の墓」と書かれた案内があります。
この後、本来の目的である丸子城跡に登らなきゃいけないのでさっさと行きましょう。


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案内板がところどころに出てるので迷うことはありません。4つぐらいあったかな?


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墓域の割りと奥まったところにありました。片桐且元夫妻のお墓。
子孫の片桐貞昌という人が建てたものらしいです。


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水平じゃなくてね、灯籠も石段も年季が入った感じになってます。
お花がないだけじゃなく、あまりお手入れされていないようでなんだかさみしげ。


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方広寺の鐘銘「国家安康君臣豊楽」は家康の名前を分断し、
豊臣の子孫繁栄を望む意味だと徳川方が難癖をつけたあの事件。

片桐さんは大阪の陣のきっかけになったこの「国家安康」の文字について、
駿府城の徳川家康に申し開きするため、この寺に滞在したそうです。


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片桐さんは海千山千の金地院崇伝や本多正純相手にすっごい頑張ったんだと思うよ。
それなのに豊臣方に裏切りモノ呼ばわりされて大阪城から追放されちゃってね・・

片桐さんが追放された翌年の大坂夏の陣で豊臣家は滅びてしまいました。
そして大阪落城から20日後、後を追うように片桐さんも病死したそうな。

自害じゃないのかな?とも少々思ったりしないでもないけど、
そんなにがっちり食いつくところじゃないからまぁいいかw


お寺のすぐ前は丸子城跡、すぐ近くにはとろろの丁子屋。
お腹空いてなくて行けなかったけど、とろろ飯食いたかったわ~




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