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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

2014年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年07月

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延命寺の里見三代の墓と八遣臣の墓

千葉県館山市の延命寺には里見氏のお墓があります。

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延命寺は永正7年(1510年)、里見家4代の里美実尭が開基した里見家の菩提寺。
曹洞宗の有名な古刹で、多くの雲水僧が修行した禅寺なんだそうです。


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里見といえば滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」が有名。江戸時代のベストセラー。
しかしワタクシちゃんと本を読んだことありません。正直、伝奇ってあんま興味がなく・・
なので戦国武将としての里見さんだわ~と思って墓所のある本堂横へ進んでいきます。


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本堂横には「此奥に里見氏の御墓あり」の石碑が。

里見氏は源氏の流れをくむ新田氏の庶流。里見氏は何代もいるけれど、
侵攻してきた北条氏と何度もやりあった挙句、撃退した義堯さんが印象強いです。


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本堂の後ろにある裏山を登って行くと・・・ありました。里見三代のお墓が。
冬の午後3時頃だったので、日差しの按配が悪くイケてない写真になりました(ノД`;)

6代義堯さんは戦上手で武将としての器量が高い人だったそうで、
北条氏を撤退させたこの頃に里見氏は領地拡大して全盛期を迎えます。

義堯さんの死後、北条討伐への遅参、私闘を禁ずる惣無事令違反により
上総下総を没収されてしまうものの、関ヶ原では東軍について加増され、
一時は関東最大の外様大名になります。が、そういう家を家康が残すはずもなし。

10代忠義さんは伯耆に改易>その地も取り上げられて29才で病死。
里見家は断絶しました。8人の家臣が殉死したそうです。(八遺臣)


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正安三年(1301)記銘がある板石塔婆は県指定文化財。後期里見氏の家祖とされた里見実堯(4代)、
里見の全盛期を築いた義堯(6代)そして義弘(7代)三人の墓所です。

まぁそれにしても行った時間が悪かったので、どんなに立ち位置変えようが、
露出を調整しようが、ワタクシの腕前じゃ写真はどうにもなりませんでしたわ・・。


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こちらの写真は里見氏の居城だった館山城跡にある八遺臣のお墓。

8人の戒名の上下には必ず心・賢の二字が配されているんですって。
だから八賢臣ともよばれ、里見八犬伝のモデルじゃないかとも言われているそう。


延命寺と館山城は遠くないので、里見氏めぐりはセットでどうぞ。


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