武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

2015年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年03月

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日野町の蒲生氏郷の銅像

滋賀県蒲生郡日野町には蒲生氏郷の銅像があります。

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銅像があるのは「雲雀野公園」、住所検索はしづらいけど国道307号沿いで
このドデカイ看板が立っているので案外すぐ見つかりました。

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駐車スペースは公園の裏にあったのでそちらを利用。遠巻きにして銅像に近づきます。
氏郷さんはワタクシの好きな武将ベスト10に入るのでちょっとドキドキしながらw

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六角氏の家臣蒲生賢秀の子で幼名を鶴千代といい、13歳の時に織田信長の元に
人質として出されるのですが、ひと目で聡明さを見抜いた信長にとても気に入られます。
信長の烏帽子親で元服すると冬姫を与えられ、娘婿として重用されました。

本能寺の変後は秀吉の元で小牧長久手の戦いや伊勢平定で功を挙げ、伊勢国松ヶ島12万石、
会津40万石、後の加増で92万石の大大名となりますが、その4年後、40歳の若さで死去。

豊臣五大老と並ぶ大身だったけど、若くして亡くなり関ヶ原前後出番がないので
いまいち印象薄くなりがちなのが気の毒なのよね。

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濃いめの分厚いオッサンフェイスがワタクシのイメージを壊しかけているw
鳳の雛とか麒麟児と表現される氏郷さんって若くして亡くなってることもあるせいか、
ワタクシの中では勝手にだけど、凛々しい若武者のままのイメージなんですよねw

鯰尾の兜をかぶり戦場では常に先頭に立って敵に向かう勇猛さがある反面、
和歌や茶道を嗜む文化人でもあった氏郷さん。利休七哲の一人としても有名です。
キリシタンで洗礼名はレオン。ジュストの洗礼名を持つ高山右近とは仲良しだったとか

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後姿も・・・蒲生郡日野町は氏郷さんの出生地なので銅像の他、
遺髪塚のある信楽院、産湯の井戸、日野城跡などゆかりの場所が多いの。
地元愛を感じながら、ぜひぜひセットで「氏郷ざんまい」してください。




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| 武将の銅像 | 16:28 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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篠原古戦場 悲しみに暮れる木曽義仲の銅像

石川県加賀市には、悲しみに暮れる木曽義仲と家臣の銅像があります。

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篠原古戦場。古戦場といっても戦国ではなく源平の頃です。

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古戦場といっても広いフィールドではなく公園のようなところなので入れば銅像はすぐそこ。
実盛さんの死を知って悲涙にくれる「木曽義仲 with 家来たち」。さっそく参加しましょうw

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こちらは源氏の大将木曽義仲さん。斉藤別当実盛さんの首を抱いて号泣しているところです。

斉藤実盛は平家物語に登場する平家の武士。当初は源氏に仕えていてその折、合戦で討ち死にした
源義賢の子、駒王丸を匿い木曽に送ります。この駒王丸は後の源氏の大将木曽義仲です。

実盛は平治の乱で源義朝を助けて戦いますが敗北後、時の流れに従って平宗盛に仕え、
領地(熊谷市妻沼)を安堵された恩義を貫き、以降平氏の武士として戦うことになりました。

それから十数年跡、寿永2年(1183)倶利伽羅峠の戦いで源平が激突すると平家は敗北。
源氏の追跡をかわしながら、ここ篠原まで退いたところで総崩れとなってしまいます。

敵の大将がかつて助けた駒王丸・・木曽義仲と知った実盛は恩人として情けを受けることを
よしとせず、たった一騎で源氏方に挑み、見事な討死を遂げる覚悟を決めます。
この時、実盛73才。老武者と見られることを恥じ、白髪を黒く染めて覚悟の出陣でした。

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赤地錦の直垂に萌黄縅の鎧、鍬形兜で出陣した実盛は義仲の家来、手塚光盛と対峙します。
戦いは互いに名乗るのが礼儀。しかし実盛は名乗ることなく戦った末、討ち取られました。

義仲の元に届けられた首を見た家来の樋口兼光は「あなむざんやな、斉藤別当にてそうろう」
実盛であることに気づき涙します。実盛を良く知る兼光は「老武者に侮られないため若く見せて
出陣したいと言っていた、実盛に違いない」と言い、義仲が首を洗わせると白い髪が現れたので、
義仲は首を抱いて人目をはばからず号泣した・・・という「平家物語(巻七)実盛最期」の場面。

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こちらセンターポジで悲しみに暮れる樋口兼光さん。良く知ってる実盛の討死も痛ましいわ、
恩人の死を悲しみまくる主の義仲が居たたまれないわ、しょぼくれる光盛も気の毒だわ・・

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で、こちらが華々しい大手柄から一転、微妙な空気のどん底に突き落とされた手塚光盛さん。
この首もしや取っちゃダメだったとか。名乗らなかったし知らなかったらセーフじゃね?
でも義仲スゲー泣いてるし・・オレ恨まれないよね? 恩賞出ないとかマジありえねぇぇぇ!
と思ってるかどうかは知らないけど、何となく微妙な空気を読んでる表情してますよw

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銅像の前には実盛の兜も。本物は義仲によって実盛供養のため近くにある
多太神社に奉納されていて、なんと国の重要文化財なんですって。

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「義仲 with 家来たち」の銅像前には実盛の首を洗ったと伝えられる首洗池もあります。
ホントかどうかわからないけど、小芝居やってる銅像の前だけに雰囲気はあってよいですw

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こちらは古戦場にある実盛塚。木曽義仲が命の恩人だった実盛の遺骸をこの地に葬り、
設けた塚と伝わっています。支え棒が多いけど、立派な松の木の枝ぶりは実盛の兜の鍬チック。

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松の木の下の方をのぞくと墓石のようなものがあるけど、何かはわかりません。


斉藤実盛の銅像は埼玉県熊谷の妻沼聖天宮にあります。
たまには源平の世界もいいですね。





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