武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

2015年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年07月

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福蔵寺の織田信孝の墓

三重県亀山市の福蔵寺には織田信考の墓があります。

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福蔵寺は東海道五十三次の47番目の宿場「関宿」の中にあるらしく駐車場がない!
なのでナビで近くまで行き、観光用の無料駐車場に車を停めてちょいと散策。
宿場の町並みを散策するメイン通り沿いにあるのですぐに見つかりひと安心。
通りから奥まったところに山門が・・・車を停める空気の読めなさに泣けます。

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天正11年、本能寺の変で亡くなった信長の菩提を弔うため、信長の三男信孝が
旧家臣大塚長政に命じて創建した天台真のお寺で信孝の菩提寺となっています。

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本堂は昨今はやりのモダーンタイプのやつなので雰囲気はないけど、まぁいいかw
信孝さんのお墓は本堂の左手前の方にあるので、さっさとお参りしに行きましょう。

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信孝さんは織田信長の三男で、天正10年(1582)本能寺の変後の後継者争いで
三法師(信長の孫)を抱き込んだ秀吉と対立。居城であった岐阜城を包囲されて降伏し、
生母や娘を人質に取られてしまいます。天正11年(1583)賤ヶ岳の戦いが起きると
信孝も挙兵するものの柴田勝家らはあっけなく敗退。生母や娘は秀吉に処刑され、
岐阜城を明け渡した信孝は知多半島の野間に幽閉され、自害しました。享年26歳。

自害は兄信雄に命じられてのこと。主筋の信孝を直接殺すわけにいかない秀吉は
アフォの信雄をそそのかして自害に追い込んだんですよ~信雄がもっとかしこけりゃ。

昔より 主をうつみの野間なれば 報いを待てや羽柴筑前

信孝の辞世の句。後からの創作とも言われるけど、秀吉を恨んで憎んだ信孝の
気持ちはよく表れていると思います。信孝は切腹の際、はらわたをつかみ出し
床の間の掛け軸に投げつけたらしいから「恨み骨髄に達す」・・悔しいよね。

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信孝の法号「龍厳徳公大禅定門」が刻まれた墓石は新しいものです。

自害した信孝の首は神戸城で受け取りを拒否されたため、旧家臣大塚長政が福蔵寺に運び、
手厚く葬られ菩提寺となりました。信孝さんのお墓は自害した知多半島にもあります。
自害したお寺などもあるというので、そのうち行ってみようと思っています。

アフォ兄と違って男気と気概のあった信孝さんに合掌~信雄はつくづく残念な人です。



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