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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

2015年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年09月

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寒松院の藤堂家墓地

三重県津市の寒松院には高虎一族の眠る藤堂家墓地があります。

1_201411022226044a5.jpg

高虎さんの法号「寒松院」がついているのでデカいお寺を想像したんだけど、
地点登録してナビを頼りに車で走っても通りからは寺らしきものが見えず、
この辺なのにおかしいな~と思いつつ、信号で止まった横に墓所みっけw

でも大通り沿いなので車が停められず、付近を2週もウロウロした挙句、
やっと裏の入り口を見つけて車を停め、わざわざ表に戻ってきた次第。

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寒松院は藤堂家の菩提寺で、こちらの墓所には津藩と支藩の久居藩の藩主の墓が
並んでいます。津藩は初代高虎から10代までの藩主、久居藩は津藩の藩主になった者を
のぞいた藩主、そしてそれぞれの家族も一緒に眠っているそうです。(案内板より)

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こちらが初代高虎さんの五輪塔。2代高次が建立した昌泉院というお寺に高虎を祀り、
法号をとって寒松院と改められ、以降、藩主の菩提寺として藩費で維持されたそう。
写真だと分かりづらいかもしれないけど、結構大きくてなかなか迫力あるのよ。

6_20141102222601bab.jpg

で、高虎さんの隣が松寿院の五輪塔。高虎夫人って書いてあるけど松寿院は側室。
正室は四天王寺でお墓参りした久芳院さんの方。高虎より先に亡くなっているから
まだこちらの墓所はなく、当時、津城が見えた四天王寺に葬られたんでしょうね。
松寿院は2代高次を生んだ生母ってのもあるんでしょうけど何か切ないようなw

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墓域の裏にひっそりあるのが寒松院の本堂!?というかただのお堂ね・・建物はこれだけ。
しかもこのお堂自体、あちこち支えられて何とか建ってるような状態・・いいのか津市?
空襲で全ての建物が焼失し、戦後規模も縮小されてこんな感じになっちゃってるそうな。

10_20141102222732a48.jpg

伊予松という碑と小さな松の木が植わっていました。高虎が津に入る前の今治から
移したという松・・もちろん何代目かの後植えだろうけどコレも取ってつけたよう(´Д`)


後から知ったのでワタクシは見逃したんだけど、七代高朗公(たかあき)の墓碑には
空襲で受けた爆撃の跡が残っているそうな・・近代史ってリアルすぎて怖っ!!



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龍雲寺の武田信玄の霊廟

長野県佐久市の龍雲寺には武田信玄の霊廟があります。

P1100720_R.jpg

鎌倉時代の始めに臨済宗のお寺として建立されたものが戦火で荒れ果ててしまい、
永禄3年(1560)信濃に入った武田信玄によって再興されました。今は曹洞宗のお寺です。
信玄は信濃に出陣の際は必ず龍雲時に詣で、戦勝祈願をしたんだそうですよ。

総門にかかっている「東山法窟」という扁額。これ正親町天皇の勅額なんですって。

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立派な山門がドーン!。古刹っぽさ満載で安定感もバツグンですわ。
屋根にも扁額の下にも武田武田・・武田の紋がずらり。風格ありすぎですw

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信玄の霊廟を見に行きます。本堂右手の渡り廊下の奥なのでくぐりましょう。

昭和6年(1931)、寺の玉垣の支柱が壊れて修復のために掘った場所から
信玄のものと推測される遺骨や短刀、象牙造りの袈裟環が発掘されました。
それをお寺が霊廟を建てて大切に祀っている・・ものなのだそうです。

P1100733_R.jpg

茶釜が出土したという場所には五輪塔がありました。横の風林火山の案内版には
「信玄公遺骨出土の地」と書かれています。佐久市の観光アピール用みたいです。

龍雲寺から出土した遺骨やら何やらは正式な鑑定をしたのかしてないのか?
その辺がよく分からないんだけど、史跡指定にはならなかったようなんですね。

野田城攻略中に病に倒れた信玄は甲府に戻る途中に駒場で亡くなったと伝えられ、
阿智村の長岳寺に遺体を安置、荼毘に付されたと言われています。

「が」ですよ。長岳寺の灰塚供養塔はもとより、設楽郡にある福田寺にも墓あったし、
甲府市の武田神社近くにも火葬塚あったし、ワタクシまだ未墓参だけど恵林寺もあるしね。
だからいいのよ。信玄クラスのビッグネームならアチコチに墓あったって。
遺髪塚、火葬塚、灰塚、供養塔・・・ようは偲びたいと思う人が多いってこと。

P1100736_R.jpg

いいんだよ。学者じゃないから史跡めぐりは妄想と思い込みとロマーンがあれば。 
信玄ファンじゃないけど色んな意味でスゴイとは思うので、敬意をもって合掌です。


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