弘前城の津軽為信の銅像
弘前城東門前には津軽為信公の銅像があります。

弘前藩初代藩主だけど岩手の出身ですw 元は大浦姓で南部家に属していましたが、
跡目争いで南部家が衰えると反旗を翻し、津軽地方を中心に勢力を築き上げ、
津軽為信と名乗りました。地味だけど津軽で頑張ってた為信さんですw

立派なひげがあったことから「髭殿」と呼ばれていたらしい為信さん。
西国中心に見る戦国史にバンバン出てくることはありませんけど、
中央の大名と親交を持って秀吉に通じ、所領安堵されていたりとか、
関ヶ原では秀吉の小姓をしていた嫡男を西軍につかせて自身は東軍につき、
どっちが勝っても家名を残す真田と同じ策を取るなかなかのしたたかオヤジ。
津軽弁のなまりがきつくて、田舎大名と揶揄され悔しい思いもしたようですが。

武将銅像としてすごく素敵な類だと思います。威風堂々とした感じもいいし、
津軽さんの立ち姿が何とも言えず凛としてかっこいいんですよね。

こちらは弘前城前にある物産館?の中にいた津軽さん。
ねぶたの展示の隣におりました。目線の高さに見られるのがいいw

たぶんね、髭はもっとわっさー美しく長かったんだと思うのw
でも武将銅像としては面構えもよく、こちらのもよいです。
弘前城に行ったら、津軽為信さんの銅像2体も忘れずご覧くださいませ。

弘前藩初代藩主だけど岩手の出身ですw 元は大浦姓で南部家に属していましたが、
跡目争いで南部家が衰えると反旗を翻し、津軽地方を中心に勢力を築き上げ、
津軽為信と名乗りました。地味だけど津軽で頑張ってた為信さんですw

立派なひげがあったことから「髭殿」と呼ばれていたらしい為信さん。
西国中心に見る戦国史にバンバン出てくることはありませんけど、
中央の大名と親交を持って秀吉に通じ、所領安堵されていたりとか、
関ヶ原では秀吉の小姓をしていた嫡男を西軍につかせて自身は東軍につき、
どっちが勝っても家名を残す真田と同じ策を取るなかなかのしたたかオヤジ。
津軽弁のなまりがきつくて、田舎大名と揶揄され悔しい思いもしたようですが。

武将銅像としてすごく素敵な類だと思います。威風堂々とした感じもいいし、
津軽さんの立ち姿が何とも言えず凛としてかっこいいんですよね。

こちらは弘前城前にある物産館?の中にいた津軽さん。
ねぶたの展示の隣におりました。目線の高さに見られるのがいいw

たぶんね、髭はもっとわっさー美しく長かったんだと思うのw
でも武将銅像としては面構えもよく、こちらのもよいです。
弘前城に行ったら、津軽為信さんの銅像2体も忘れずご覧くださいませ。

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| 武将の銅像 | 09:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑