覚範寺の伊達政宗生母保春院と伊達宗清のお墓参り
仙台市の覚範寺には伊達政宗の生母保春院と伊達宗清の墓があります。

覚範寺は天正14年(1586)伊達政宗が父輝宗の菩提寺として創建したお寺で
伊達家と共に岩出山、仙台愛宕山に移って焼失し、慶長7年(1602)この地に
再建されました。で・す・が・ 非業の死を遂げた政宗パパのお墓はありませんw

本堂の左手の方の道を進むと「藩祖政宗公生母保春院殿御墓所」の案内発見!
案内ないと墓の中ウロウロしすぎるのも何か気が引けるし探すのも大変なんだ。

左の大きい供養塔が宗清さん、右の小さな墓石が保春院のお墓です。
保春院は山形城主最上義守の娘で義姫といい、米沢城主伊達輝宗に嫁いで
政宗と小次郎を生みますが、政宗を嫌って小次郎を当主にしようと画策。
政宗を毒殺しようとしたも言われる気位が高くて気の強い印象の女性です。
後継者争いで政宗が弟小十郎を成敗すると義姫は最上家へ出奔しますが、
晩年、最上氏の改易により仙台に戻って間もなく亡くなりました。享年76歳。
政宗の三男宗清は飯坂宗康の養嗣子となり黒川郡吉岡3万石を領しますが、
寛永11年(1634) 後継ぎのないまま35歳で亡くなりました。

保春院は仙台に戻って1年足らずで亡くなっています。
宗清は父政宗が亡くなる2年前に逝ってしまいました。
二人を一緒に仙台城下に葬ったのは政宗なり何かしら思いがあったのかもね。
近くには伊達政宗の霊屋 瑞鳳殿や仙台城、支倉常長のお墓がある光明寺などもあります。
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覚範寺は天正14年(1586)伊達政宗が父輝宗の菩提寺として創建したお寺で
伊達家と共に岩出山、仙台愛宕山に移って焼失し、慶長7年(1602)この地に
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左の大きい供養塔が宗清さん、右の小さな墓石が保春院のお墓です。
保春院は山形城主最上義守の娘で義姫といい、米沢城主伊達輝宗に嫁いで
政宗と小次郎を生みますが、政宗を嫌って小次郎を当主にしようと画策。
政宗を毒殺しようとしたも言われる気位が高くて気の強い印象の女性です。
後継者争いで政宗が弟小十郎を成敗すると義姫は最上家へ出奔しますが、
晩年、最上氏の改易により仙台に戻って間もなく亡くなりました。享年76歳。
政宗の三男宗清は飯坂宗康の養嗣子となり黒川郡吉岡3万石を領しますが、
寛永11年(1634) 後継ぎのないまま35歳で亡くなりました。

保春院は仙台に戻って1年足らずで亡くなっています。
宗清は父政宗が亡くなる2年前に逝ってしまいました。
二人を一緒に仙台城下に葬ったのは政宗なり何かしら思いがあったのかもね。
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| 武将の墓 | 12:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑