武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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常在寺の斉藤道三の供養塔

岐阜城近くの常在寺には斉藤道三の供養塔があります。

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常在寺は日蓮宗のお寺で、斎藤道三以後三代の菩提寺となっています。
こちらには供養塔があるとのことで立ち寄ったんだけど、
国重文の斉藤道三・義龍父子の肖像画も所有しているんだそうです。

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住職さんがいらっしゃると拝観料を払って肖像を見られると聞いたのですが、
お盆の最中でしたからね・・人がいる気配がなく今回は供養塔だけ探すことに。

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本堂の右手の方に道三の供養塔を見つけました。ヤブ蚊がめっちゃすごいです!

斎藤道三は僧侶から還俗して油売りとなり、寺院のつてを頼って守護大名の土岐氏の重臣
長井長弘の家臣となり主君筋を次々と倒して美濃一国の大名にのし上がったと言われます。
美濃のマムシ、戦国の梟雄と呼ばれ、下剋上の代名詞みたいに言われる御仁です。

最近は実は油売りじゃなかったという説もあるようですが、どっちにしても
成りあがったのは間違いないので、ワタクシ的にはその辺はどうでもいい的なw

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道三は濃姫を信長に嫁がせた後、息子義龍に家督を譲るのですが義龍や家臣に
隠居させられ、やがて追放されてしまいます。道三が信長贔屓であったことや、
裏切りや謀略で手段を選ばずのし上がった事実に家臣の支持を失ったためとも、
また道三が弟を溺愛したため義龍自身の危機感が加わったことも原因と言われます。

父子は長良川の戦いで対峙しますが、追放された道三に味方する家臣は少なく、
道三は美濃一国譲り状を織田家に届けさせた後、義龍に討ち取られました。享年62歳。

常在寺は斉藤道三以降三代の菩提寺とのことですが、こちらにあるのは供養塔。
菩提寺なのになぜ墓じゃないのか分からないけど、ヤブ蚊がすごいのでサッと合掌w

この後は墓碑があるという道三塚に向かいました。
常在寺からは離れていますがセットで見るのがおすすめです!



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