西山本門寺の織田信長の首塚
静岡県富士宮市の西山本門寺には信長の首塚があります。

西山本門寺は法華宗興門流のお寺で創建は康永2年(1343)。武田家や千葉原家、
水戸家出身の上人がいたり、徳川家の庇護や水尾天皇の姫常子内親王の帰依を受け
下馬下乗の禁礼を建てることを許されたりもした立派なお寺なんだそうですよ。

庫裏の横に案内板がありました。裏か!裏にいけばいいんだね!!(前のめり)
本能寺で討死した信長サマの首を本因坊算砂(日海上人)がここに埋葬させた・・
西山本門寺ではそういう話(伝説?)になっていて、首塚が築かれたんです。

進んでいくと見えるあのブルーシートはなに?
まさか首塚・・いや首は柊の根本だもんね・・・って、
あの先にあって今は入れないってオチはなかろうな・・
と不安におののきながら進みます。

ババーン! これが信長サマの首塚とされる大柊。すごい姿になってます。
柊は成長が遅くて、大物になるにはなかなか年月がかかるらしいです。
年取ると葉っぱの刺もなくなって丸くなるんだってさ。県指定の天然記念物。
ちなみにブルーシートかかってるのは宝物殿みたいなのの修築だったw

本因坊の意を受け、原志摩守宗安が炎上する本能寺より持ち出した信長の首を
ここ西山本門寺に納めて首塚を築き、魔除けに柊植えたと伝わっているようです。
信長サマの亡骸は見つからず、日本史最大のミステリーと言われたりもしますが、
光秀に首をとられないように外に持ち出されたってのは自然なのかもしれないね~
後延ばしになっていた信長サマの首塚にやっとお参りできてワタクシ満足!

西山本門寺は法華宗興門流のお寺で創建は康永2年(1343)。武田家や千葉原家、
水戸家出身の上人がいたり、徳川家の庇護や水尾天皇の姫常子内親王の帰依を受け
下馬下乗の禁礼を建てることを許されたりもした立派なお寺なんだそうですよ。

庫裏の横に案内板がありました。裏か!裏にいけばいいんだね!!(前のめり)
本能寺で討死した信長サマの首を本因坊算砂(日海上人)がここに埋葬させた・・
西山本門寺ではそういう話(伝説?)になっていて、首塚が築かれたんです。

進んでいくと見えるあのブルーシートはなに?
まさか首塚・・いや首は柊の根本だもんね・・・って、
あの先にあって今は入れないってオチはなかろうな・・
と不安におののきながら進みます。

ババーン! これが信長サマの首塚とされる大柊。すごい姿になってます。
柊は成長が遅くて、大物になるにはなかなか年月がかかるらしいです。
年取ると葉っぱの刺もなくなって丸くなるんだってさ。県指定の天然記念物。
ちなみにブルーシートかかってるのは宝物殿みたいなのの修築だったw

本因坊の意を受け、原志摩守宗安が炎上する本能寺より持ち出した信長の首を
ここ西山本門寺に納めて首塚を築き、魔除けに柊植えたと伝わっているようです。
信長サマの亡骸は見つからず、日本史最大のミステリーと言われたりもしますが、
光秀に首をとられないように外に持ち出されたってのは自然なのかもしれないね~
後延ばしになっていた信長サマの首塚にやっとお参りできてワタクシ満足!

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| 武将の墓 | 12:30 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑