fc2ブログ

武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

前田家歴代藩主が眠る野田山墓所

[武将の墓] ブログ村キーワード

石川県金沢市の野田山墓所には前田家歴代藩主の墓所があります。

P1090604_R.jpg

野田山墓地はでかいんです。墓域のあちこちに入り口がいっぱいあるんです。
戦没者墓苑とか軍人の墓とか一般ピープルの墓とかあって分かりづらいったらヽ(`Д´)ノ
ウロウロした挙句それっぽい入口見つけて勇気を持って進み、やっとたどり着きましたw

P1090618_R.jpg

さすが本拠地の前田家墓所。利家やまつのみならず、利長さんや豪姫やら・・
前田オールスター勢ぞろいという感じになってるので大場所だけお参りする作戦。
敷地をキューキューで使わない、こしらえはケチケチしない前田イズムが感じられます。

P1090615_R.jpg

で、利家とおまつこと芳春院のお墓にお参り。墓所入って正面ドーンが芳春院のお墓、
旦那の利家さんと倅はその両サイドという布陣。パワーバランスが伺えますw
嫁もしくは母上を下にも置かなかったのね、おまつさんは百万石の功労者なんですもの。

P1090608_R.jpg

おまつこと芳春院さんのお墓がこちら。関ヶ原合戦の後(利家が亡くなった翌年)、
加賀藩存続のため進んで人質となって江戸に行った女傑ですよ。おまつさんは。
15年も江戸で加賀藩のために心を砕き、元和3年(1617)金沢で没。享年71才。

P1090612_R.jpg

で、こちらが芳春院さんの横っちょにあった前田利家さんのお墓。
14歳で信長に仕え、生涯40数回の戦で功績をあげ「槍の又佐」の異名を取った
加賀百万石の藩祖。時節がら黒田軍師官兵衛にスポット当たってますが、
秀吉が天下取れたのは、利家の存在も大きなものだったと思います。

P1090613_R.jpg

利家は慶長4年(1599)大阪城で死去。享年62才。関ヶ原の合戦が起きる前年のことでした。
利家の死をきっかけに家康はなりふり構わず天下取りへの道を突き進みます。
家康の腹を察していた利家は「自分の死後、三年は上方を離れるな」と嫡男利長に遺言します。
しかし利長は家康の口車に乗せられてわずか3ヶ月で金沢に帰ってしまったため
家康に交戦の口実を与えることとなり、母の芳春院を人質に出すハメになったのでした。

20140628_1237360.jpg

その利長さんの墓所がこちら。奥方または母上を挟んで父と倅が対峙するポジですw
利家さんはどう思っているか分かりませんが、案外、利長が凡庸でよかったのかも?
利家さんの遺言どおり、利長さんが大阪に3年居座ってても結局は家康に貫禄負けして、
結果はそんな変わらないどころか、百万石はなかったような気がしないでも・・www

野田山の前田家墓所は金沢城からも見えるような場所。
前田めぐりをする際はぜひセットでどうぞ。独特の空気感がありますよ。




応援お願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

| 武将の墓 | 20:09 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

Re: タイトルなし

piglet01さん こんにちわ♪

夏は確かにヤブ蚊だらけそうでしたわ。。

上杉家の廟所は荘厳な雰囲気がありますね!
歴代大名家の墓所では一番「らしい」です!

廟所ではないけど、皆川さんや長野さん代々のような
地元の菩提寺で大事にされているお墓もグッときますw

| あも | 2014/09/13 13:13 | URL |

おはようございます♪

「槍の又佐」のお墓は野田山の一番奥にありましたね。
人民の墓地と同じ場所でしたから、少々ビックリでした。

8月に行ったのですが、蚊の大群に襲われて早々に退散でした。

お墓も時々立ち寄っていますが、後世に整備してあるからでしょうか。
上杉家の墓所が整然としていて、一番お気に入りお気にいりのようです。^^

あもさんの推薦はどこでしょう(・∀・)

| piglet01 | 2014/09/13 08:14 | URL |















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://amoyoroshi.blog.fc2.com/tb.php/104-3cb43ee9

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT