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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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宗安寺の木村重成の首塚

滋賀県彦根市の宗安寺には木村重成の首塚があります。

木村重成は大阪夏の陣で華々しく散った凛々しすぎる若武者。
女装しても気づかれなかったという噂のある超イケメンらしいけど、
ワタクシが食いついてるのはソコじゃないですw

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宗安寺は浄土宗のお寺で、井伊直政が箕輪十二万石を与えられた時、正室東梅院の
父母の菩提を弔うために安国寺として建立され、関ヶ原後の転封に伴い佐和山の麓へ。
そして彦根城築城の際、現在の場所に移されて宗安寺と改名されたんだそうです。
お寺の門は佐和山城の表門を移築したものなんだそうです。

P1090923_R.jpg

まずは本堂の横のお堂にある「血染めのすすき」。重成の首をくるんでいたすすきが
佐和山に根付いたもので、移植を繰り返しながら宗安寺に落ち着き、今フサフサしています。

木村重成は大阪冬の陣が初陣ながら井伊直孝を相手に戦って戦功をあげ、
和平交渉では徳川方への使者も務めました。そして大阪夏の陣で再び井伊軍と激突。
堀を埋め立てられた大阪方が勝機をつかむには積極的に打って出るしか道がなく、
重成は河内方面へ出撃し、激闘の末、庵原助左衛門に討ち取られました。享年23歳。

P1090929_R.jpg

重成の首は偶然その場に居合わせた安藤長三郎が「まだ功名がないので頂戴したい」
と申し出て譲り受け、その場に生えていたすすきに来るんで刀と共に持ち帰ったのだとか。

重成の首と言えば首実検をした家康がいたく感動したという逸話が有名。

重成の髪から焚きこめられた香が漂っていることに気付いた家康は、
「見苦しくないよう香を焚きこめたのはよき勇士の嗜みである」といい、
また兜の緒が解けないよう緒の端を切り落としてあることにも気づくと、
討死を覚悟していた証、立派な勇将であると褒め称えたと言われています。

P1090936_R.jpg

墓所を入って右奥へ進むと重成公首塚。お盆だけどお墓参りの人はいなくてひっそり。
ワタクシ的に大阪の陣では幸村さんに続き、あっぱれ度、切ない度、惜しい度の高い重成さん。

夏の陣でやっと2度目の出陣ながら、戦いぶりももちろん堂々として素敵だけど、
出陣前に髪に香を焚きこむだけじゃなく、首を取られた時に食べ物が出るのは見苦しいと
食事までも慎んだと言われる・・若いのに武人としての生き様や潔さに心が震えます。

P1090935_R.jpg

こちらが木村長門守重成公の首塚。首実検の後「懇ろなる弔いをせよ」との命を受け、
首を持ち帰った安藤長三郎が自家の菩提寺である宗安寺に手厚く葬ったんだそうです。

しかし公然と敵方の武将の墓を建てるわけにいかず安藤家の墓所に埋葬して塚を建て、
明治維新までは代々「先祖の墓」と言い張ってひそかに守られていたのだとか。
奥に3つ並んでいるのが安藤氏のお墓。代々の安藤氏の心意気もあっぱれです。


儚いような、それでいて一瞬の華やかさや鮮やかさのインパクトはものすごく・・
悲しくて美しいってこういうことをいうのかしらね。首塚の前でそんなことを思いました。


彦根城からキャッスルロード沿いにある宗安寺。
お土産や食事で通りを歩いたらぜひチェックしてみてください。






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