武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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四天王寺の信長生母と高虎夫人の墓

三重県津市の四天王寺には信長生母と高虎夫人の墓があります。

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四天王寺は曹洞宗のお寺で、推古天皇の勅命で聖徳太子が建立したと伝えられている古刹。
山門は寛永18年(1646)に再建されたもので、戦時の空襲を免れて今に残っているのだとか。

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立派な中雀門。創建以来、兵乱や戦火で焼失と再興を繰り返していた四天王寺は
元和5年(1619)津城に入国した藤堂高虎が改築、2代藩主高次が寺領を寄進したことで
寺領を取り戻し、藤堂家ゆかりの寺として今に続いているそうです。

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山門、中雀門と江戸時代の再建ながら年季の入った建物が続いていましたが、
戦後、再建されたという本堂はツルッとしすぎて何だか味も素っ気もない感じ。

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高虎夫人「久芳院」と信長生母「土田御前」の墓所は本堂左奥の墓域の奥のようです。
この案内版しかないので、余計な曲がりとかしないでまっすぐ進んでいきましょう。

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ずっと進んでいくと石段見えます。これを登ったところにお二方の墓所があります。

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まずは石段登って右側にある織田信長の生母「土田御前」のお墓まいり。

土田御前は信長の弟信行を寵愛したため、信長とは不仲だったと言われますが、
兄弟で争った末、信行が誅殺されると信長に引き取られ共に暮らしていたそうな。

本能寺の変で安土城から逃れた土田御前は孫である織田信雄の元に身を寄せ、
信雄が改易されると信長の弟信包を頼って安濃津城に移り、1594年に死去。
ここ四天王寺に祀られました。報春院花屋寿永大禅尼。享年は・・わかりませんw

土田御前ってドラマや小説で描かれ方がイヤな感じにされることが多いよね。
母親に遠ざけられたことが信長の人格形成に大きな影響を与えたって説もあるしね。
本当の人柄なんかは分からないけど、ワタクシはたぶん嫌いなタイプの女性ですw

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で、土田御前の隣り・・石段登って左側にあるのがこちら高虎夫人「久芳院」のお墓。

高虎夫人は一色修理太夫義直の娘。高虎が26歳の頃に娶ったんだそうな。
2人の間に子供は生まれず、高虎は長いこと側室を持たずにいたようですが、
後に長高連の娘、松寿を側室に迎え、44歳の時に出来たのが嫡男の高次でした。

側室を自らも勧めたという久芳院は慶長20年(1616)高虎に先立ち津城で亡くなり、
四天王寺に葬られました。久芳院殿桂月貞昌大禅定尼。

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高虎夫人の墓所は前の通路が狭くて撮りポジ取るのが難しい~なので角度強引!
それにしても普通の墓石っぽいし区画も狭いのでイマイチ雰囲気は出ないですw

ちなみに高虎さんの側室、松寿の墓は寒松院の藤堂家墓所にちゃっかり。
高虎より先に亡くなったとはいえ、自分だけ信長母と四天王寺・・微妙に気の毒なw


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