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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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崇福寺の織田信長父子の廟所

岐阜市の崇福寺には織田信長父子の廟所があります。

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崇福寺は文明元年(1469)に美濃守土岐成頼とその家臣斎藤長弘によって
創建された臨済宗のお寺で、現在は織田家の菩提寺となっています。

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こちらのお寺は「安禅はかならずしも山水をもちいず心頭滅却すれば火もまた自ら涼し」
で有名な快川紹喜が住職を務めたこともある古刹。余談ですが快川紹喜はこちらにいる時、
武田信玄に招かれ甲斐の恵林寺に行き、後に織田信忠によって焼き殺されています。

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崇福寺はお寺の敷地内に入るのは自由拝観なんだけど、信長父子の廟所と本堂内を見るのに
拝観料がかかります。この200円をケチってはいけません。これを見なきゃ来た意味なし!
ってことで書いてあるとおり呼び鈴を押して受付をし、中に入れてもらいます。

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本堂内には色々なお宝が展示されているのですが撮影禁止なので血天井だけご紹介。
関が原合戦で西軍の猛攻を受けて落城した岐阜城の床板が血天井として張られてます。
当時の岐阜城主は信長の孫信秀。38名の城兵が戦死したそうで、その菩提を弔うため、
血痕の付着した床板を天井に張って供養しているのだそうです。リアルでなんか怖ーっ!

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本堂内の見学を終えると、信長父子の廟所をご覧くださいと入り口を案内されます。
入り口に生えているリュウゼツラン(竜舌蘭)が違和感だけど、まぁ気にせずに。

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何を表現したものかワタクシにはさっぱりわかりませんが、趣のあるお庭がありました。
お寺のすぐ前は大通りなんだけど、奥まった庭園は静寂そのもので気持ちが落ち着きます。

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お庭を回っていくと入り口があり、この先が信長父子の廟所があるようです。
本能寺の変で斃れた信長の遺体はなく、あちこちに墓や廟所はいくつもありますが、
こちらの廟所はらしい雰囲気で、高野山安土城での墓参りより厳かな気持ちになります。

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入って正面にあるのが信長父子の墓碑。縦に両分して父子の法名が左右に刻まれています。
信長が右に摠見院殿贈一品大相刻圀泰岩大居士、左に信忠の大雲院殿三品羽林高岩大禅定門。

案内板によれば6月2日本能寺の変後、6日には信長の側室お鍋の方から崇福寺に
書状が送られており、直ちに崇福寺に安置された・・とありました。

ワタクシそれを読んで正直「えっ何が安置された?」と思ったけど、それはいわぬが花。
教育委員会とか何やらが書くこういう説明ってのは本当にうまいな~と思いますねw

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墓碑の隣には立派な位牌堂もありました。中には入れませんが、この中には天正10年10月
京都の大徳寺で行われた葬儀で使われた位牌が安置されているんだそうです。

遺骨だ遺髪だがあるわけじゃなくても、お墓って故人を偲ぶためのものでもあるから、
あちこちにたくさん墓やら供養等やらのある信長サマはやっぱすごいってことよw
そう思ってオーマイカリスマ信長サマの墓碑と位牌堂に丁寧に手を合わせました。


斎藤道三の墓碑がある道三塚はここからすぐ近く。
拝観した後はふら~と歩いてぜひセットでご覧ください!



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