武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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大雄寺の伊達成実の廟所

宮城県亘理の大雄寺には伊達成実の廟所があります。

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大雄寺(だいおうじ)は曹洞宗のお寺で亘理伊達家の菩提寺です。
山門は文政年間に建てられたもので、亘理町の指定文化財なんだとか。
仁王さんもいる八脚門の立派なもの。寒いのでチラ見で進みます。

慶長7年(1602)亘理に入った伊達成実が福島にあった陽林寺を亘理城下へ移し
雄山寺としたのが始まりなのだとか。1646年に79歳で成実が亡くなるとここに葬られ、
以降、亘理伊達家代々の菩提寺となり、大雄寺に改名されたそうです。

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本堂の左手の方にある駐車場の奥に霊屋があります。
墓石と違って霊屋の場合はやっぱり近くには寄れない感じです。

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こじんまりした空間。柵に丸かぶりの正面にあるのが成実さんの霊屋です。

伊達成実さんは伊達政宗の従弟。幼名を時宗丸といい、政宗の父輝宗が
烏帽子親になって12歳の時に元服。藤五郎成実と名乗りました。

武勇の誉れ高く、政宗の父輝宗が二本松城主畠山義継に殺されたことに
端を発した人取橋の戦いでも成実はひとり踏みとどまって政宗が逃げるのを助け、
摺上原の戦いでも敵の側面を急襲して劣勢の味方を救うなどの武功を上げました。

そんなイケイケの成美さんの兜の前立ては百足。「決して後ろに退かない」
という百足の習性にあやかったものなんだってさ。さすが根性すわってる!

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柵から手を突っ込んで写真を撮ってみたけれど・・いい角度で手が入らないw
成実さんの霊屋は県指定重要文化財で、中には位牌と木像が安置されてるそうな。

秀吉に小田原への参陣を求められた時、成実さんは「今から行っても遅いから、
行って辱めを受けるより残って天下の優劣を争った方がいい、恐れることがあるか」
くらいのことを言って片倉景綱と対立したと言われます。結果、政宗は景綱の意見を
聞き入れて小田原に参陣、成実さんは黒川城の留守居・・大局を見る目は智の景綱
の方が上なんだろうけど、自分が正しいと思ったことはハッキリ言うってのは、
後戻りはしないという生き様の成実さんらしいのかな~なんて勝手に思います。

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殉死した方々の供養塔も一緒に。何人も追い腹切るのね。
あちこちで見るけどやっぱ殉死ってのはホントありえないわ・・

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こちら右が成実パパ実元さん、左にあるのが4代実氏さんの霊屋。
実氏さんは亘理伊達家中興の祖と言われた名君だったそうですよ。

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こちらが霊屋の隣にあるその他城主と奥方たちの墓所。怖いほどひっそり~
歴代廟所とかっていうのはどこに行っても独特の空気感があります。


11月初旬の東北。雨で寒いお参りでした。


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