武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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天麟院の五郎八姫の霊廟

宮城県松島にある天麟院には五郎八姫の霊廟があります。

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天麟院と並びにある松島観光スポットとして有名な瑞巌寺、円通院と並んでますが
ひっそりとした佇まいです。五郎八姫の霊廟を拝めますが拝観料がないのでホッとしますw

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五郎八姫は伊達政宗と正室愛姫との間に生まれた長女で、結婚して15年経って
やっと生まれた子供でした。案内板には男名を付けると男子を授かることから
五郎八と名付けたとありますが、政宗が男の名前しか考えていなかったので
五郎八のまま読みだけ「いろは」にしたなんて説も聞いたことがあります。

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参道を登っていくと・・オーマイガーッツ! 修復中で全く見えないじゃないか!
と思ったけどシートのすき間があるのでちょいとのぞいてみちゃうことにします。 ※2014年時点

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霊廟に行き、すき間からシートの中をチラッとのぞくと上から声がして仰天!!
怒られるのかと思ったら「見学?入って見たらいいよ」と気さくなオジサン。

改修ではなく霊廟自体の建て替えたそうで、オジサンは漆を塗っているそうです。
当初は黒の予定だったそうですが住職さんの好みでこの色になったのだとか。
ここまで何度も塗り重ねて・・漆って乾燥した時期の方が乾きにくいんだって。
まだ壁の部分もむき出しだけど漆が終わったら白漆喰でキレイになるそうです。

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建て替え中のこのタイミングだからこそ扉あけっぴろげで中が丸見え!
普通の時だったら多分、扉は閉まっていてちゃんと墓石見えないと思うの。

五郎八姫は13才で家康の六男、高田61万石の松平忠輝の正室となりますが、
元和2年(1616)、大阪夏の陣の遅参などを理由に忠輝は改易されてしまいます。

五郎八姫は忠輝と強制的に離縁させられ、20代前半から68歳で亡くなるまで生涯
独身を貫き、仙台で暮らしました。五郎八姫さんはとても聡明な人だったそうで、
政宗は男に生まれなかったことを惜しんだなんて話も残っています。

こちらの霊廟は元は伊達家4代藩主綱村によって創建されたようですが
五郎八姫はキリシタン。リアルにお骨があるようだけど納得してるかなw


天麟院の並びには政宗の正室(五郎八姫の生母)愛姫の霊廟がある瑞巌寺、
政宗の孫 光宗の霊廟がある円通院もあります。セットでどうぞ。





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