当信寺の阿梅の墓
宮城県白石市の当信寺には幸村の娘、阿梅さんのお墓があります。

こちらは白石城の二の丸大手二の門だったもの。明治7年(1874)白石城解体の際、
専念寺に売却され、その後、当信寺山門として移築されたものなのだそうです。
2階に「眼象窓」を設けたり、開口を無くするなどの工夫がしてあります。

当信寺は法然上人によって開かれた浄土宗の寺院で、白石が蒲生氏から片倉氏に移った時、
現在の場所に移りました。片倉家二代重長公の後妻、真田幸村の娘阿梅の方の菩提寺です。
本堂の右手の脇を進んで行くと墓所があります。

阿梅さんと大八さんのお墓。裏庭のような場所に入るとすぐ見えて分かりやすい。
元和元年(1615)の大坂夏の陣の際、討死の覚悟を決めた真田幸村は敵将ながら
智勇を見込んだ片倉重長に阿梅、阿菖蒲、おかね、大八の4児を託しました。
遺児たちは白石城二の丸でひそかに養育され、後に阿梅は重長の後妻となり、
阿菖蒲は田村定廣に嫁ぎ、大八は片倉守信と名乗って伊達家に仕えました。
おかねさんは詳しく分からないのですがどうも早逝したようですね・・・

人の形をしたのが阿梅さんのお墓。西国生まれの阿梅さんは西国人が多く通る
街道近くに埋葬されたいと願い、奥州街道沿いにあった当信寺に葬られました。
享年78歳。法号は泰陽院殿松源寿清大姉。大八さんは58歳で亡くなっています。
阿梅さんは両親の位牌もこの当信寺に安置したそうだから、こうして静かに
眠りについた今も、亡き父母のことを思っているのかもしれませんね。

阿梅さんの墓石は如意輪観音像で、頬杖をついて瞑想している姿が
歯痛のため頬を押さえているように見えることから、墓石を削って飲むと
虫歯に効くとの迷信が生まれたらしく・・相当削られてると見ました(泣)
阿梅さん白石では有名なので、白石城とセットで立ち寄ってください。

こちらは白石城の二の丸大手二の門だったもの。明治7年(1874)白石城解体の際、
専念寺に売却され、その後、当信寺山門として移築されたものなのだそうです。
2階に「眼象窓」を設けたり、開口を無くするなどの工夫がしてあります。

当信寺は法然上人によって開かれた浄土宗の寺院で、白石が蒲生氏から片倉氏に移った時、
現在の場所に移りました。片倉家二代重長公の後妻、真田幸村の娘阿梅の方の菩提寺です。
本堂の右手の脇を進んで行くと墓所があります。

阿梅さんと大八さんのお墓。裏庭のような場所に入るとすぐ見えて分かりやすい。
元和元年(1615)の大坂夏の陣の際、討死の覚悟を決めた真田幸村は敵将ながら
智勇を見込んだ片倉重長に阿梅、阿菖蒲、おかね、大八の4児を託しました。
遺児たちは白石城二の丸でひそかに養育され、後に阿梅は重長の後妻となり、
阿菖蒲は田村定廣に嫁ぎ、大八は片倉守信と名乗って伊達家に仕えました。
おかねさんは詳しく分からないのですがどうも早逝したようですね・・・

人の形をしたのが阿梅さんのお墓。西国生まれの阿梅さんは西国人が多く通る
街道近くに埋葬されたいと願い、奥州街道沿いにあった当信寺に葬られました。
享年78歳。法号は泰陽院殿松源寿清大姉。大八さんは58歳で亡くなっています。
阿梅さんは両親の位牌もこの当信寺に安置したそうだから、こうして静かに
眠りについた今も、亡き父母のことを思っているのかもしれませんね。

阿梅さんの墓石は如意輪観音像で、頬杖をついて瞑想している姿が
歯痛のため頬を押さえているように見えることから、墓石を削って飲むと
虫歯に効くとの迷信が生まれたらしく・・相当削られてると見ました(泣)
阿梅さん白石では有名なので、白石城とセットで立ち寄ってください。
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