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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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長久手古戦場の秀吉方武将討死の地

長久手古戦場跡周辺には秀吉方武将討死の地が残っています。

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古戦場公園で資料館を見て、マップをもらうと効率よく回れます。


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まずは公園内にある勝入塚。池田恒興(入道して勝入と号した)が討死した場所です。

信長の乳兄弟だった恒興は小牧・長久手の戦いで秀吉に味方し、
家康の本拠地である岡崎への中入を進言して自ら軍を率いて侵攻しますが、
途中の岩崎城攻めに手間取り、家康軍と激突、死闘の末討死しました。享年49歳。


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次は勝入の反対側にある勝入の長男、池田元助討死の地。
父勝入とともに奮戦の末、討たれました。享年26歳。庄九郎は元助さんの幼名。


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お次は公園から少し歩いて武蔵塚へ。恒興の娘婿でもある森長可討死の地です。
鬼武蔵と呼ばれる勇将でしたが、奮戦中、井伊隊の銃弾に斃れました。


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最期は勘解由塚。この場所わかりづらかった。大通り沿いで車だと通りすぎちゃってw

木下勘解由は岡崎侵攻の総大将、三好信吉(後の三好秀次)の家臣で、
家康軍と闘って、徒歩で逃げてきた信吉に自分の馬を与えて逃がし、
自身は兄木下助左衛門祐久とともに戦って討死した忠義の人ですよ。

そもそも走って逃げてくるみっともない信吉も「おいこら!」って感じだけど、
最初に可児才蔵に馬を貸せと頼んで断られてからの~地獄で仏の勘解由ですからね。

涙が出そうになります。ワタクシ心から合掌しました。


近くの常照寺には池田勝入と森長可のお墓もあります。お見逃しなく。



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