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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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革秀寺の津軽為信の霊屋

青森県弘前市の革秀寺には津軽為信の廟所があります。

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革秀寺は曹洞宗のお寺で津軽藩の菩提寺。慶長12年、2代藩主津軽信枚創建。
観光エリアから少し離れているのに、人が結構いたのにはびっくり。

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こちらが本堂。全国でも珍しい簡素な萱葺きの方丈形式で国重文。

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本堂の左手にある津軽為信霊屋は事前申し込みをしないと入れません。
ワタクシはもちろん申込なんかしてないので・・土手によじ登ることにしますw

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柵沿いに土手みたいなところをよじ登り、霊屋の正面にたどり着きました。
が・・うーん見えづらい! 申込制にする必要あるのかな?と首をかしげます。

元は南部氏に属していた為信さんでしたが、南部晴政死去による跡目争いで南部氏が
衰えたのを機に、謀略を持って一大勢力を築き、大浦為信から津軽為信に改めました。

為信さんは政治感覚が優れていたんでしょうね。勢力を築いた後は秀吉を取りまく
中央の大名とも親交を持ち、小田原攻めの時にもイチ早く参陣して秀吉に謁見し、
所領を安堵されました。関ヶ原では秀吉の小姓をしていた嫡男を西軍につかせて
自身は東軍につき、どちらにしろ家名を残す真田と同じ策でしぶとく生き残りました。

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土手の上をおどおどしながら少し横っちょの方に移動すると少し、
やっと少しまともに極彩色の霊屋の姿が見えました・・でも遠っ!

慶長7年(1602)、為信さんは病気の嫡男信建を見舞う為、京に入って死去。
享年58歳。(信建は父信為さんの到着を待たずに病死)

2代津軽信枚によって建てられた当時は質素な作りだったようですが、
文化年間の修理によって現在の極彩色な霊屋になったそうです。


予約して中に入れてもらいたかったけど行くのが盆の最中だったのでね。
まぁ何とか見られたので良しとしましょうw


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