武将の銅像と墓参り

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景徳院の武田勝頼のお墓

[武田勝頼] ブログ村キーワード

山梨県の景徳院には武田勝頼と北条夫人、信勝のお墓があります。

景徳院 武田勝頼のお墓

武田終焉の地に建てられた景徳院。天正10年7月、勝頼ら一族の菩提を弔うため家康が建立したお寺です。
ワタクシ、武将のお墓はそこそこ行っていますが、ここ景徳院では何だか特別な気持ちになりました。
別に勝頼ファンでもないですし、筋金入りの武田贔屓じゃないんですけど感受性が作用したようですw
そんなわけで他のお墓のエントリーよりとってもボリューミーにお送りしたいと思いますです。ハイ。


景徳院 武田勝頼のお墓

入ってほどなく見えてくる没頭地蔵。首級をとられ首のなかった勝頼、北条夫人、信勝ら
3人の遺骸はその無念さを偲んだ地元の人々がこの地蔵尊に安置したそうです。
動かせば祟りがあると言い伝えられているとか・・・無念も無念。気持ちわかります。


景徳院 武田勝頼のお墓

没頭地蔵の横には勝頼、北条夫人、信勝ら3人の辞世の句が彫られた石碑が建てられています。
恨みも悲しみも嫉みも蔑みも無念さも悔しさも怒りも・・こんな最期を迎えることになって
どろどろした色々な感情があるはずなのに、3人の辞世は潔く清々しくて儚げで・・・。

ワタクシ、勝頼は特別好きな武将とかいうことはないんですが、最期を迎えた地で話に聞き知っている
最期の様子を妄想しながら何度も辞世の句を読んでいたら、3人に初共感して涙が出そうになりました。

勝頼辞世の句
おぼろなる月もほのかに 雲かすみ はれてゆくえの 西の山の端
       
北条夫人辞世の句         
黒髪のみだれたる世ぞ はてしなき 思ひに消ゆる 露の玉の緒
       
信勝辞世の句
あだに見よ 誰も嵐の桜花 咲き散るほどの 春の夜の夢


景徳院 武田勝頼のお墓

早くも目をうるうるさせながら、お墓詣りをするため山門をくぐって境内に入ります。

景徳院は弘化・明治と2度の大火で本堂などは焼失しているものの、この山門だけは天正16年完成当時のまま
残っているのだそうです。門右側に「県指定史跡 武田勝頼之墓」と書かれた石碑が立っています。

上手い説明はできませんが、この終焉の地がどれほど悲しく切ない最期の場所かご紹介しておきます。

武田勝頼は天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の侵攻により新府城を焼き捨て、
重臣小山田信茂を頼み岩殿城へ落ちることを決めます。逃亡前の軍議で真田昌幸が自分の城である
岩櫃城入城を申し出ますが、重臣小山田の「譜代家臣でないため信用できない」という進言を聞き入れ、
勝頼は小山田の岩殿城へ向かうことを決定します。

勝頼主従は小山田に伴われ岩殿城へ向かうのですが、小山田は柏尾まで来ると城の準備を整えることを理由に
先行すると告げ、一行を離脱。勝頼は小山田を信じて待ちますが、7日経っても来ない迎えに痺れを切らし、
岩殿城へ向かうべく笹尾峠に差しかかります。するとそこには幟旗を立て、狼煙を上げて主を追い返そうとする
小山田の姿が・・勝頼は重臣の叛意を知り憤慨するも織田・徳川軍が迫る中どうすることもできず、
死に場所を求めて武田氏の先祖が自害したと伝えられる天目山を目指しました。

新府城を出た当初700いたと言われる家臣は次々に去り、天目山を目指す頃には家臣30人余と夫人を含む
女性17人になっていたと言われます。勝頼らは日川を遡り、天目山を目指しますが田野に至って力尽き、
天正10年(1582年)3月11日。武田勝頼は北条夫人、信勝らとともに自刃。武田家は滅亡しました。


景徳院 武田勝頼のお墓

その3人のお墓がこちら。

中  勝頼   景徳院殿頼山勝公大居士
右  北条夫人 北条院殿模安妙相大禅定尼
左  信勝   法雲院殿甲厳勝信大居士

勝頼のかけた墓石が物悲しい・・これを見ると何だか鼻水まで出てきます。


景徳院 武田勝頼のお墓

辞世の句が書かれた碑がまた建てられています。

北条夫人は当時19歳。元は政略結婚で嫁いだ後妻でしたが、勝頼に北条家へ戻るよう説得されるも
共に果てる道を選んだ人です。

「私たちの縁は一つ蓮の上の縁と信じています。この思いは、
 生のあらん限りは元よりも・・・死して後も変わりません」

自害の前日、北条夫人は勝頼にこのようなことを言ったそうです。

愛って言葉がやけに薄っぺらく感じられました。愛なんて使わなくても気持ち伝わるのね。
こんなこと言われた勝頼、胸が張り裂けそうだったでしょうね・・号泣。涙腺大解放です。

黒髪のみだれたる世ぞ はてしなき 思ひに消ゆる 露の玉の緒
~黒髪のように世の中は果てしなく乱れ、私の思いは露のように儚く消えようとしています


景徳院 

北条夫人の生害石です。北条夫人は最期の時、黒髪をつかんで切り落とし、辞世の句を書いた紙に包むと
実家に届けるよう小者に頼んで自害。介錯を頼んだ家臣がためらう様子を見て懐剣を自らの口に含むと、
前向きに地面に倒れこみ命を絶ったという。苦しませてはならぬと夫人に駆け寄り、自らとどめをさした
勝頼は亡骸を抱きしめてしばらくの間、呆然としていたと伝えられているそうです。

儚げで弱々しそうな印象の北条夫人だけど実は思いを貫く芯の強い女性。
時代は違えど同じ女としてかくあるべきか・・いやぁ~ワタクシにはとても無理だわ。


景徳院 武田勝頼のお墓

こちらが勝頼の生害石。勝頼の最期には諸説あるらしく、華々しく戦って斬り死にしたとか、
疲れ切って鎧櫃に座っているところに切りかかられ討ち取られたなどとも言われているけれど、
ここにきて見ていると、やっぱり自害したっていうのが一番しっくり来るような気がします。

涙ぐみながら勝頼の最期をあれこれ妄想していたら、首実検をした信長が散々ののしった挙句、
鞭だか杖だかで首を2度3度ひっぱたいた話を読んだようなことを思い出しました。

・・信長、あんた本当ひどいね。でもマイフォーエバーカリスマ、そして好きだけどw


景徳院 武田勝頼のお墓

勝頼と北条夫人の生害石は松の根元に並んで・・夫婦は2世、主従は3世。
戦も命がけも名を残す義務もないあの世で、幸せに過ごしていることを願ってしまいます。


主従は3世といえば勝頼に最後まで従った家臣もすごかった。

自害の時間を稼ぐため追い迫る滝川一益勢に立ち向かったのが土屋昌恒。
この時、土屋昌恒が片手でツタを握りしめ、片手で奮戦したことから「片手千人斬り」
という伝説が生まれ、日川は三日間紅く染まったと伝わっているそうです。

また、長篠の合戦後、勝頼から咎めを受けて主従関係を切られていた小宮山内膳友晴も
勝頼の危急を聞きつけ、主君の最期を飾るため馳せ参じ最後まで奮戦したそうです。

アフォの小山田に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいですな。

ちなみに最期まで残った家臣の中には小山田一族が何人もいたそうですが、
いたたまれず身の置き所もない感じで、自身を盾に主を守るしか
お詫びのしようもなかったんだろうね・・必死の戦いをしたそうな。


景徳院のすぐそば横には、土屋さんの活躍で血に染まったという日川が流れています。
北条夫人に最後まで従った侍女16人が身を投げて殉死した姫ヶ淵もすぐ目の前にあり、
北条夫人を含めた17名を表した石碑が建てられています。

甲斐大和駅から景徳院に登ってくる道沿いには勝頼一行が足をとめた四朗作や
小宮山内膳友信らが織田軍の滝川勢と死闘を繰り広げた鳥居畑古戦場の石碑も。


武田終焉の地・・戦国好き、武田好きなら一度はお参りを。

物悲しくて切なくて・・武将のお墓詣りとしては胸が詰まるような初体験でした。



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| | 2015/11/25 00:36 | |

Re: 凄い!

夫人に味もってくれるかも!?

新年からインフルエンザ流行ってますね。
どうぞお大事にしてください!

今後ともよろしくお願いします!

| あも | 2015/01/07 22:23 | URL |

凄い!

A型インフルエンザで寝込み中ですが、只今深夜の3時半近く…。余りの充実振りに見入ってしまいました。色んな場所に行かれているのも凄いけど、所感が素晴らしく感銘です。特に勝頼達のは共感です。
ちなみに私は甲府が終点の身延線沿線の富士宮の出身で、武田家にはむかしから愛着があります。女房が全く興味なしなんで余り行けませんが、田野には是非行きたくなりました。
ありがとうございました。死ぬと困るのでそろそろ寝ます。

| 佐野 忠之 | 2015/01/07 03:28 | URL |

Re: タイトルなし

コメントありがとう!ブログやってるんですね。
勝頼のところひとまず読ませていただきました。
土屋さんと小宮山さんはあっぱれもののふ!ですね。
タウン誌に掲載とは素晴らしいw
カメラはPanaのGF1ミラーレスです。綺麗に撮れてる時は運がいい時ですよw
ワタクシもブログ読ませてもらいますね!

| あも | 2013/07/06 22:08 | URL |

ちょうど勝頼公を書いていたので、記事を拝見しました。
写真がきれいですね!カメラが違うのかな。
逸話も感想も感じ入りましたよ。
これからも読ませていただきます。
コメントの書き方がうまくいってないようでしたらごめんなさい。

| 列伝 | 2013/07/06 20:58 | URL |















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