大泉寺の武田信虎の墓
甲府市の大泉寺には武田信虎の墓があります。

大泉寺は大永元年(1521)、信虎が天桂禅師を招いて開山した曹洞宗のお寺で、
法号「大泉寺殿泰雲存康大庵主」に因んで大泉寺とし菩提寺としたそうです。
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本堂左手の方に武田三代の御霊廟があります。
孫子の旗が武田ゆかりの地って感じを盛り上げてます。

自分を追放した息子と家を滅ぼした孫と三代として並ぶ信虎の心はいかに?
でも何にせよ、戦国○○三代の中では1,2を争うインパクト
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霊廟の真裏にお墓があります。真ん中が信虎、右が信玄、左が勝頼だそうです。

48歳で追放された後、一度も国に戻ることのなかった信虎は信玄の死後、
天正2年(1574)には子逍遥軒(信廉)が城代を務めていた高遠城に身を寄せ、
同年3月5日に病没しました。享年82歳。
葬儀はこの大泉寺で行われました。
暴君だったとか信晴(信玄)を廃嫡しようとしたとか色々言われているけど、
甲斐を統一して領土を広げたイケイケですからやっぱすごい武将ではありますよね。
近くには武田勝頼のお墓がある法泉寺や武田義信の眠る東光寺など
武田めぐりマストなお寺がわんさとあります。是非セットで!

大泉寺は大永元年(1521)、信虎が天桂禅師を招いて開山した曹洞宗のお寺で、
法号「大泉寺殿泰雲存康大庵主」に因んで大泉寺とし菩提寺としたそうです。

本堂左手の方に武田三代の御霊廟があります。
孫子の旗が武田ゆかりの地って感じを盛り上げてます。

自分を追放した息子と家を滅ぼした孫と三代として並ぶ信虎の心はいかに?
でも何にせよ、戦国○○三代の中では1,2を争うインパクト
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霊廟の真裏にお墓があります。真ん中が信虎、右が信玄、左が勝頼だそうです。

48歳で追放された後、一度も国に戻ることのなかった信虎は信玄の死後、
天正2年(1574)には子逍遥軒(信廉)が城代を務めていた高遠城に身を寄せ、
同年3月5日に病没しました。享年82歳。
葬儀はこの大泉寺で行われました。
暴君だったとか信晴(信玄)を廃嫡しようとしたとか色々言われているけど、
甲斐を統一して領土を広げたイケイケですからやっぱすごい武将ではありますよね。
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武田めぐりマストなお寺がわんさとあります。是非セットで!
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