法泉寺の武田勝頼の墓
山梨県甲府市の法泉寺には武田勝頼のお墓があります。

鐘楼のある山門は寛永14年(1637)建立、甲府市の指定文化財。

墓所は本堂左手。案内があるので助かる。階段を登って先にあるようです。

法泉寺殿武田勝頼公之墓の標柱と勝頼軍団戦死将士供養塔があります。
天目山で自刃した勝頼の首は信長の命で京の六条川にさらされますが、
不憫に思った法泉寺の快岳禅師が京に行き、首を譲り受けて甲斐に戻ります。
本能寺の変後、織田軍が撤退すると山桜を植えて勝頼を葬った・・という。

法泉寺を勝頼の菩提寺と定めたのは本能寺の変後、甲斐を治めた家康。
武田領の民心をつかもうっていう腹黒い目的があったんでしょうねw

隣には武田信武の墓も。信武は甲斐武田中興の祖と言われる人。
足利尊氏に従って甲斐守護になって・・勝頼からだと10代遡るのかな。
近くには大泉寺や東光寺、甲斐善光寺など武田史跡が目白押し。セットで!

鐘楼のある山門は寛永14年(1637)建立、甲府市の指定文化財。

墓所は本堂左手。案内があるので助かる。階段を登って先にあるようです。

法泉寺殿武田勝頼公之墓の標柱と勝頼軍団戦死将士供養塔があります。
天目山で自刃した勝頼の首は信長の命で京の六条川にさらされますが、
不憫に思った法泉寺の快岳禅師が京に行き、首を譲り受けて甲斐に戻ります。
本能寺の変後、織田軍が撤退すると山桜を植えて勝頼を葬った・・という。

法泉寺を勝頼の菩提寺と定めたのは本能寺の変後、甲斐を治めた家康。
武田領の民心をつかもうっていう腹黒い目的があったんでしょうねw

隣には武田信武の墓も。信武は甲斐武田中興の祖と言われる人。
足利尊氏に従って甲斐守護になって・・勝頼からだと10代遡るのかな。
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