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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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正源寺にて鮭延秀綱の墓参り

山形県最上郡真室川にある正源寺には、鮭延秀綱のお墓があります。

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お寺は線路を超えたところに。タイミングが良ければ奥羽本線が見られますよ。
鮭延さんのお墓は総門をくぐらず、左手の墓域を進んだ奥の方です。


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境内の外だし案内板とかも特にないので、下調べしてなかったら見つからなかったかも。
お墓の前までくると標柱が立っているので一安心です。


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横手城主小野寺氏に仕えた佐々木貞綱の子として生まれた鮭延さんは
庄内大宝寺氏の侵攻を受けた際に捕らえられ、幼少期は小姓として仕え、
その後、大宝寺から解放されると、家督を継いで鮭延城主となりました。

天正9年(1580)、出羽を平定した最上義光の侵攻を受けると激しく抵抗するものの、
調略による切り崩しを受けて降伏。本領を安堵されて最上氏に仕えると、
最上領北方の要として、旧主小野寺氏攻略など交渉や戦の両面で活躍しました。


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慶長5年(1600)、関ヶ原に呼応して起きた慶長出羽合戦では直江兼続率いる
上杉軍2万に包囲された長谷堂城へ救援に駆けつけ、
城将志村光安を助け、獅子奮迅の働きで上杉軍の本陣に迫る活躍をします。

関ヶ原の後、最上義光がこの戦功により57万石の大大名になると、
秀綱も真室城1万1500石を与えられ、重臣として最上家を支えていきます。
しかし義光の跡を継いだ家規が36歳で亡くなると、家督をめぐって家中は対立。
お家騒動に発展し、最上家が改易されると、秀綱は老中土井利勝の預かりとなりました。


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土井利勝預かりになった鮭延さんには、乞食をしてでも殿を養いたいって家臣が
20人もついてきて、晩年までずっと支え続けたんですってよ。
かなり貧しい時もあったみたいだけど、肩寄せあって清く正しく暮らしていたそう。


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「正保3年6月古河卒去」の文字が。鮭延さんが亡くなったのは茨城県古河市。

鮭延さんは後に土井利勝に5000石で召し抱えられるんだけど、支えてくれた家臣に
全部分け与え、自分は家臣の家を1日置きに転々として暮らす晩年を送りました。

鮭延さんは生年がハッキリしないんだけど、おそらく享年は80代かと。
家臣たちは大いに悲しみ、鮭延寺(けいえんじ)にお堂を建て菩提を弔ったそうな。

武勇に秀でつつ、温厚篤実で家臣に慕われた鮭延さん。ステキ武将すぎ。

古河市の鮭延寺にも鮭延さんのお墓があるので、そっちもお参りにいかないとね。

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