武将の銅像と墓参り

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円光院の三条夫人の墓

[武田信玄] ブログ村キーワード

甲府の円光院には武田信玄の正室 三条夫人のお墓があります。

甲府 円光院 三条夫人の墓

ブログタイトル「武将の銅像と墓参り」で、カテゴリも「武将の墓」のまんまであえて夫人の墓ですΣ(゚Д゚)!
三条夫人は武田信玄の正室だからいいかな~と思ってw 武田神社(躑躅ヶ崎館)登城ついでに寄りました。
お墓があるのは武田神社から車で5分くらいのところにある円光院というお寺です。

もとは武田信玄の先祖、逸見太郎清光が創建した清光院という名前のお寺で現在の笛吹市にあったものを、
永禄3年(1560年)に信玄がこの地に移したそうです。元亀元年(1570年)に正室三条夫人が急逝すると
この寺に葬られ、その法名から「瑞巖山円光護持禅院」と改称されて現在の円光院になりました。


甲府 円光院 三条夫人の墓

円光院は一般の方のお墓もたくさんあるので、親切なこの目立つ看板がなかったら見つけられませんw
この案内板は大河ドラマ「武田信玄」で三条夫人が悪妻として書かれたことに不満を覚えた住職さんが
快川和尚が夫人について葬儀で語ったと言われている言葉を書いたものなのだそうです。


甲府 円光院 三条夫人の墓

三条夫人は三条左大臣公頼の次女として京都三条邸に生まれ今川義元媒酌のもと、
16歳で同年齢の武田晴信(信玄)に嫁します。三男二女に恵まれますが、長男義信は謀反を理由に
廃嫡され後に自害。次男は盲目、三男は早逝。三条夫人は元亀元年、信玄に先立つこと3年。
50歳でその生涯を閉じたと言われています。


甲府 円光院 三条夫人の墓

小説とかドラマなんかを見ていてると、勝頼を生んでいることもあるためか信玄は諏訪御料人・・
由布姫を大事にしてた印象ばっかり持っていたけど、三条夫人の葬儀は盛大だったというし、
信玄は寺に莫大な寄付もして、三回忌には住職に格式高い紫衣を着せようと朝廷に奏請までしたとか。

また自身が臨終を迎えた駒場では馬場信房に肌身離さず持っていた刀八毘沙門・勝軍地蔵を渡して
円光院に収めるよう託し、自分の遺体も円光院に葬るよう遺言したとも言われているそうで、
刀八毘沙門・勝軍地蔵2体の仏像は、ここ円光院の年末の御開帳で見られるらしいんです。すごい!

信玄さん、三条夫人をちゃんと正室として大事に扱っていたんだな~と思って見直しましたw

時代的に側室を持つことも理解できるし、本当に好きな女性が出来るのもアリだと思うけど、
ワタクシ女なので正室としての立場やメンツを大事にしてあげない感じの武将だと正直ドン引く。
御盛んすぎるイメージのある信玄だけど、このエピソードが本当ならちょっと素敵かな。


実をいうと円光院のすぐ近くには武田信玄のお墓(火葬塚とも言われる)があるんです。
すいません・・三条夫人は武田氏館のついでに寄りたい信玄のお墓のさらについででしたw
こちらについては次回のエントリーでご紹介しようと思います。

せっかくなので武田神社にお越しの際はみなさんもぜひセットでお参りください。


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