熊本城の加藤清正の銅像
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熊本城の行幸橋近くには加藤清正の銅像があります。

ワタクシが一番ときめいた銅像です。加藤清正の銅像は熊本市内だけで他に2体、
それ以外に名古屋城や中村公園にもありますが、清正の銅像としてもこれが一番!
そして銅像としてもウルトラスーパー完璧なものの一つだと思っています!!
いつもは「騎馬で2割増」とか言ってるけど、この佇まいならむしろ馬なんかいなくてよし!
賤ヶ岳の七本槍から54万石まで上り詰めた男の、武将の生き様がビシビシ表現されてる。

実はワタクシこの時は熊本に出張で来ていました。清正公に会う前日の朝は4時起きで飛行機、
熊本城を横目に1日中、市内を仕事でかけずりまわり、接待終わったのが午前様で2時就寝・・。
2日目だって仕事がある・・せっかく人生初熊本なのに仕事で見られないなんて生き地獄よ!!
なので根性で朝5時起床。そして日の出を待って鼻息荒く、熊本城に行った次第w
ホテルのフロントがやっていなかったので、どこにいるかも分からないくせにタクシーを探し、
「清正公の銅像のところまでお願いします!!」と伝え、待つこと10分。
写真を眺めている時から、これぞ清正!これぞパーフェクト銅像!と萌えていましたから
ようやく会えた清正公に思いもひとしお。早朝で誰もいないので見とれてしまいました。

清正は父親を早くに亡くし、9歳で秀吉の小姓になりました。賤ヶ岳の戦いで「七本槍」の1人に数えられ、
以降、数々の武功を立てると、天正16年、肥後北半国19万5000石の領主となって領地経営に力を注ぎます。
文禄・慶長の役では朝鮮に渡り主力部隊として7年間戦い、54万石の大大名となって熊本城を築城しました。
勇猛で戦上手な武将であると同時に、政治手腕も築城技術もあった清正。
仁智勇を兼ね備えた感じ、ワタクシは三国志の関羽のイメージを持っている。
地元の人に今もとても愛されているようで、載せてきてくれたタクシーの運転手さんはじめ、
熊本で仕事中に会った誰に聞いても、次から次へと清正公の自慢をきかせてくれました。
ワタクシなんか埼玉で北条支配ながら支城ですからね、自慢の殿様いるのが羨ましい限り。

後ろ姿ももれなく撮っちゃうわよ!! ああ・・かっこいい。膝の上に座りたいです。
清正と言えば長烏帽子形の変わり兜。高さが70センチくらいあったんだとか。
兜は黒漆が塗られた上に銀箔が押され、両側面には朱で日輪。
清正は大柄だったというから、戦場でひときわ目立っただろうね。

別にリアル清正じゃないけど、ワタクシたぶんガン見する目がハートだったと思います。
鐘馗髭はありませんが、思慮深そうな、そして大音声が出そうな迫力のあるお顔のつくり。
銅像を作った彫刻家さんのセンスに感謝せずにはいられないわ!!
熊本城と清正が好きで熊本城の一口城主になっているワタクシ。
結局、この出張中、仕事をまいて2時間ほど駆け足で登城することはできたんだけど、
そんなんじゃ満足できるわけがなく、他の清正公の銅像や菩提寺参りも含めて、
次に行く時は熊本に住民票置くか迷うくらい居つく覚悟での登城を目論んでいます。
威風堂々・・・熊本城の清正公マジかっこよすぎです。
応援お願いします!

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熊本城の行幸橋近くには加藤清正の銅像があります。

ワタクシが一番ときめいた銅像です。加藤清正の銅像は熊本市内だけで他に2体、
それ以外に名古屋城や中村公園にもありますが、清正の銅像としてもこれが一番!
そして銅像としてもウルトラスーパー完璧なものの一つだと思っています!!
いつもは「騎馬で2割増」とか言ってるけど、この佇まいならむしろ馬なんかいなくてよし!
賤ヶ岳の七本槍から54万石まで上り詰めた男の、武将の生き様がビシビシ表現されてる。

実はワタクシこの時は熊本に出張で来ていました。清正公に会う前日の朝は4時起きで飛行機、
熊本城を横目に1日中、市内を仕事でかけずりまわり、接待終わったのが午前様で2時就寝・・。
2日目だって仕事がある・・せっかく人生初熊本なのに仕事で見られないなんて生き地獄よ!!
なので根性で朝5時起床。そして日の出を待って鼻息荒く、熊本城に行った次第w
ホテルのフロントがやっていなかったので、どこにいるかも分からないくせにタクシーを探し、
「清正公の銅像のところまでお願いします!!」と伝え、待つこと10分。
写真を眺めている時から、これぞ清正!これぞパーフェクト銅像!と萌えていましたから
ようやく会えた清正公に思いもひとしお。早朝で誰もいないので見とれてしまいました。

清正は父親を早くに亡くし、9歳で秀吉の小姓になりました。賤ヶ岳の戦いで「七本槍」の1人に数えられ、
以降、数々の武功を立てると、天正16年、肥後北半国19万5000石の領主となって領地経営に力を注ぎます。
文禄・慶長の役では朝鮮に渡り主力部隊として7年間戦い、54万石の大大名となって熊本城を築城しました。
勇猛で戦上手な武将であると同時に、政治手腕も築城技術もあった清正。
仁智勇を兼ね備えた感じ、ワタクシは三国志の関羽のイメージを持っている。
地元の人に今もとても愛されているようで、載せてきてくれたタクシーの運転手さんはじめ、
熊本で仕事中に会った誰に聞いても、次から次へと清正公の自慢をきかせてくれました。
ワタクシなんか埼玉で北条支配ながら支城ですからね、自慢の殿様いるのが羨ましい限り。

後ろ姿ももれなく撮っちゃうわよ!! ああ・・かっこいい。膝の上に座りたいです。
清正と言えば長烏帽子形の変わり兜。高さが70センチくらいあったんだとか。
兜は黒漆が塗られた上に銀箔が押され、両側面には朱で日輪。
清正は大柄だったというから、戦場でひときわ目立っただろうね。

別にリアル清正じゃないけど、ワタクシたぶんガン見する目がハートだったと思います。
鐘馗髭はありませんが、思慮深そうな、そして大音声が出そうな迫力のあるお顔のつくり。
銅像を作った彫刻家さんのセンスに感謝せずにはいられないわ!!
熊本城と清正が好きで熊本城の一口城主になっているワタクシ。
結局、この出張中、仕事をまいて2時間ほど駆け足で登城することはできたんだけど、
そんなんじゃ満足できるわけがなく、他の清正公の銅像や菩提寺参りも含めて、
次に行く時は熊本に住民票置くか迷うくらい居つく覚悟での登城を目論んでいます。
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| 武将の銅像 | 21:22 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
Re: タイトルなし
本当にかっこいいです!名古屋のお寺は妙行寺ですね。お寺の境内と名古屋城の能楽堂前にも同じ銅像があって、
GWに行ってきたところです。熊本のと違い、確かに2体とも前立てついていました!どこで見ても惚れ惚れします。
| あも | 2015/06/14 14:08 | URL |