姉川古戦場の遠藤直経の墓
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姉川古戦場、信長が当初、陣を置いた竜ヶ鼻の近くの田んぼの中に遠藤直経のお墓があります。

姉川古戦場マップを頼りに竜ヶ鼻の陣跡に続いて、来てみたのですが最初「どこ?」と思いまして・・
地図と風景を首っ引きで長めていたら、真ん中に怪しげな「こんもり」を発見! ロックオンしました。

地元の方なんでしょうね、草木の手入れもされて切ったばかりのきれいな花が活けてあります。
以前は40m先の畑の中に遠藤塚と呼ばれる墓があったそうですが、平成9年に圃場整備のため
ここに移転されたのだそうです。少し移動してますが遠藤直経が討死した場所と伝えられています。

浅井の重臣である遠藤直経は喜右衛門と名乗り、磯野員昌と並ぶ力自慢・戦上手の武将でした。
小説などで書かれる直経に、ワタクシは自分の信念は曲げない豪気な男のイメージを持っています。
朝倉家の真柄直隆と力比べをするほど力自慢の猛将だけど、たしか智謀もなかなか・・信長の野望を思いだし中w
直経は浅井軍の敗色が濃くなると味方の武将首を持って織田軍になりすまし、信長陣中に忍び込みましたが、
あと一歩のところで竹中重矩(半兵衛の弟)に見破られ、討ち取られたと言われています。
ずっと若い頃、初めて小説でこのシーンを読んだ時、彼の壮絶な死に様はものすごいショックでした。
ワタクシには「討死を決めて突撃」以上のことに思えて、修羅になるってことが分かった気がしたから。
信長贔屓なんだけど、悲壮な覚悟に危うく直経を応援しかけ、討ち取られた時は残念にも思ったり。
そんなことを思いだしながら、直経さんに敬意を表し丁寧に合掌しておきました。
ちなみに朝倉家の真柄直隆も徳川軍と戦い、この戦で壮絶な討死をしています。
真柄さんのお墓は姉川にありませんが、死闘の繰り広げられた場所は「ちはら公園」として残っています。
姉川古戦場を訪れる際はぜひ合わせて行かれることをお勧めします。
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姉川古戦場、信長が当初、陣を置いた竜ヶ鼻の近くの田んぼの中に遠藤直経のお墓があります。

姉川古戦場マップを頼りに竜ヶ鼻の陣跡に続いて、来てみたのですが最初「どこ?」と思いまして・・
地図と風景を首っ引きで長めていたら、真ん中に怪しげな「こんもり」を発見! ロックオンしました。

地元の方なんでしょうね、草木の手入れもされて切ったばかりのきれいな花が活けてあります。
以前は40m先の畑の中に遠藤塚と呼ばれる墓があったそうですが、平成9年に圃場整備のため
ここに移転されたのだそうです。少し移動してますが遠藤直経が討死した場所と伝えられています。

浅井の重臣である遠藤直経は喜右衛門と名乗り、磯野員昌と並ぶ力自慢・戦上手の武将でした。
小説などで書かれる直経に、ワタクシは自分の信念は曲げない豪気な男のイメージを持っています。
朝倉家の真柄直隆と力比べをするほど力自慢の猛将だけど、たしか智謀もなかなか・・信長の野望を思いだし中w
直経は浅井軍の敗色が濃くなると味方の武将首を持って織田軍になりすまし、信長陣中に忍び込みましたが、
あと一歩のところで竹中重矩(半兵衛の弟)に見破られ、討ち取られたと言われています。
ずっと若い頃、初めて小説でこのシーンを読んだ時、彼の壮絶な死に様はものすごいショックでした。
ワタクシには「討死を決めて突撃」以上のことに思えて、修羅になるってことが分かった気がしたから。
信長贔屓なんだけど、悲壮な覚悟に危うく直経を応援しかけ、討ち取られた時は残念にも思ったり。
そんなことを思いだしながら、直経さんに敬意を表し丁寧に合掌しておきました。
ちなみに朝倉家の真柄直隆も徳川軍と戦い、この戦で壮絶な討死をしています。
真柄さんのお墓は姉川にありませんが、死闘の繰り広げられた場所は「ちはら公園」として残っています。
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