武将の銅像と墓参り

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平林寺の松平伊豆守信綱の墓

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埼玉県新座市の平林寺には松平伊豆守信綱のお墓があります。

平林寺

禅修行の専門道場を持つ臨済宗妙心寺派の禅刹である平林寺。埼玉パワースポットのひとつよ。
檀家さんとかじゃない一般の観光客は総門から入ります。拝観料は500円。
中に入ると見えてくるのが山門。境内案内図を見ると本堂まで奥が深いようです。
山門は入母屋造茅葺の楼門で、左右に松永耳庵寄進の金剛力士像を配されています。

戦国武将ではないけれど「知恵伊豆」として有名な方なのでご紹介することにしました。


平林寺 松平信綱の墓

本堂より奥の小高い場所に松平信綱公一族の墓所があります。

平林寺は関東地方ではとても格式が高い臨済宗妙心寺派の歴史ある有名な寺院のひとつ。
600年前、岩槻城主・太田備中守によって建てられ、鎌倉建長寺の住持をしていた名僧
石室善玖禅師によって開基されました。当時は岩槻にあったお寺だったそうです。

天正18年(1590)5月、豊臣秀吉の関東経略による岩槻城攻めの際、兵火によって伽藍の大半を焼失。
翌年、江戸入りした徳川家康が鷹狩りで岩槻を訪れた際、休息で立ち寄り、名僧石室禅師開山による
平林寺の由緒を知り、伽藍再建のため朱印状を与えられました。

その後、徳川時代に川越城主松平伊豆守信綱の遺言により、子の輝綱によって寛文3年(1663)
新座市野火止に移され、現在の姿になったそうです。なぜに知恵伊豆が? と思いますが、
平林寺の檀那である大河内氏というのがいて、大河内秀綱が死去した際、葬送の地になったと。
信綱は秀綱の孫にあたり、長沢松平家へ養子に入った後、別家して大河内松平家を興し、
平林寺を祖廟とした・・・松平伊豆守信綱と平林寺にはそんな関わりがあるそうです。


平林寺 松平信綱の墓

信綱の墓です。松平伊豆守信綱は才知に富んでいたことから知恵伊豆とも呼ばれた三代将軍家光の老中。
川越藩主でもあり、藩政では武蔵野新田開発や野火用水の開削に力を入れた俗にいう名君ですね。
岩槻にあった平林寺を野火止に移すよう遺言し、川越ではなくこの地に静かに眠っています。


平林寺 松平信綱の墓

没年は1662年。その時からあるんですもんね。石灯籠にもそれぞれ古い元号がたくさん書かれてます。
少しでも知恵にあやかりたいと思い、墓前にておもむろに合掌・・・・墓所は静かで別世界のようです。


平林寺 松平信綱の墓

ずらーっと松平家のお墓が並んでます。大河内松平家の墓所は3000坪もあるそうです。
見渡す限りお墓と五輪の塔・・壮観です。平林寺には他にも電力王と呼ばれた安松松永安左エ門、
そして増田長盛のお墓や武田信玄の二女で穴山梅雪の正室見性院の供養塔などがあります。
こちらはまた別のエントリーでまとめてご紹介するつもり。

新座の街中にあるとは思えない別世界のように静寂な平林寺。見どころも多くおすすめです。


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