武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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太田駅前の新田義貞の銅像

[新田義貞] ブログ村キーワード

群馬県の太田駅前には新田義貞と脇屋義助の銅像があります。

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勇ましげな新田義貞と兜を持って従う脇屋義助・・脇屋さん義貞さんの弟なんですが従者のようw
新田一族は館を構えたところの名を名乗るので、脇屋に居を構えた弟は脇屋さんなんですね。


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義貞さんは後醍醐天皇の挙兵に応じて生品神社で挙兵し、上野国府、小手指原、分倍河原の合戦に勝利。
鎌倉幕府を滅ぼします。後醍醐天皇による新政が始まりますが、論功行賞をめぐって武家の不満がたまり、
足利尊氏は天皇と袂を分かちます。しかし義貞さんは楠正成とともに後醍醐天皇に忠節を尽くし、
尊氏と闘います。一時は九州まで撃退するものの、勢力を回復した尊氏に追いつめられ、湊川の戦いで
楠正成は自刃。義貞は京へ敗走し、後醍醐天皇は都から追放され、吉野へ逃れて南朝を開きます。

義貞は後醍醐天皇の再起の希望を担って皇太子 恒良親王と尊良親王を奉じて越前国敦賀へ下向します。
しかし義貞はこの地の戦闘で乗馬もろとも転倒し、泥田に足をとられた兜の目庇の下に矢が刺さり戦死。
義貞は最後の気力を振り絞り、自らの首を泥田の中に掻き落としたと云われています。享年 38歳。

ワタクシ後醍醐天皇嫌い。かといって足利尊氏もどうもいまいち好きになれません。


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脇屋さんは兄の義貞が鎌倉幕府倒幕の兵を挙げると共に鎌倉の北条氏を攻め、
功績により駿河守に任ぜられました。南北朝内乱が起きると義貞と共に各地で戦い、
義貞の戦死後も新田党を率いて奮戦しますが南朝勢力回復はかなわず伊予で戦死しています。


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義貞さんや楠さんは天皇に最後まで忠節を尽くした忠臣ということで明治以降は特に
クローズアップされたみたい。教育なんかでね、ああ云う風にあるべきだって。

再開発できれいに整備された太田駅を見つめる義貞さんと脇屋さんの思いやいかに・・。
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