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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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長浜市石田町の石田三成供養塔

[石田三成] ブログ村キーワード

長浜市石田町には石田三成公一族及家臣の供養塔があります。

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一族の供養塔のある場所は石田町に着いたら八幡神社を目指します。車だと細い道なので注意!
八幡神社となっていますが境内に「石田神社」という標柱があるので三成ファンの方お見逃しなくw


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神社の横を抜けていくと、塀に囲まれた石田一族の供養塔がある一角があります。
造作もちゃんとしているし敷地も何気に広いです。綺麗に手入れされているのがすぐにわかります。
ワタクシが写真を撮っていると、地元の方らしきオジサンがやってきました。
オジサンまっすぐ供養塔に向かうと長いこと手を合わせます。三成ラブ度合にちょっと感動。


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昭和16年に八幡神社の地中より故意に破壊された五輪塔の残欠が発掘され、墓石の残欠が石田三成公の先祖に
関係のあるものと推定されました。関ヶ原の戦いの後、徳川方の追求を逃れるため、神社を隠れみのに
里人が密かに埋め隠していたものと考えられているのだとか。その後、仮の墓所で30年間供養していましたが、
昭和48年この地に「石田三成公一族家臣供養塔」が建てられたんだそうです。


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香炉堂なんかもある立派な供養塔です。ガラスもぴかぴか!地元に人の手入れなんでしょうね。
命日なんかは特に、全国から石田ファンが押し寄せる石田三成の聖地なんだそうですよ。
ワタクシ東軍より断然西軍。もちろん石田三成は好きです。頭がいいのだからもっと突き抜けて、
人を転がすためには何でも出来るバカになってしまえばいいのに、それが出来ない不器用さが何かねw


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大きな五輪塔の周りに小さな五輪の塔が置かれています。石の様子から時間が経っている感じがします。
三成は善政を敷いて領民に慕われたというから、三成ラブだった当時の人々が、徳川に見つからないよう
埋めたり壊したりして、大切に守ってきたものだったんだなという感じが伝わってきますよね。
ここでも遠藤直経のお墓同様、綺麗にシャンとしたお花が綺麗に活けてあるのが印象的でした。


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供養塔の近くには石田三成の辞世の句が掘られた碑も置かれていました。

筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり

筑摩江にともるかがり火が消えるように、自分も消えていくのだな・・

筑摩江は滋賀県の琵琶湖東北端にある場所を指すようです。三成が処刑されたのは京都の六条河原。
処刑場への護送中、のどが渇いたと言って柿を勧められ、痰の毒だと断ったエピソートが有名だけど、
どのタイミングで読んだのか・・辞世の句を見るとちょっとエピソートが示す印象と違う気もします。
でも死に際に及んで変にかっこつけたり気取ったお高い句を読んでいないところに逆に好感を持てたり。


近くには三成ファンの聖地 石田会館もあります。
長浜に行った際は、あるいは三成ファンの方はぜひ行ってみてください。



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