武将の銅像と墓参り

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桶狭間古戦場公園の義元と信長の銅像

[織田信長] ブログ村キーワード

名古屋市緑区有松町の桶狭間古戦場公園には今川義元と織田信長の銅像があります。

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ここは桶狭間の戦いの中心地で、田楽坪とも言われ、今川義元最期の地です。
桶狭間の戦い450年を機に整備され、信長・義元両雄の銅像が建立されました。


P1070041.jpg

タイトルは「近世の曙」。この戦を境に時代が変わっていくということでついたそうです。
敵味方だった武将が銅像として一緒に建っているのは珍しいケースだと思います。

銅像を作る時は背格好の近い男性をモデルにし、ふんどし1丁から甲冑を着せていったんだって。
で、その甲冑も専門家の時代考証をを元に、当時にかなり近い形のものになっているんだそう。
清洲公園の信長像も同じ桶狭間出陣前の姿ですが、こっちより立派。盛ってあったのねw

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今川義元さん・・でっぷりしていて鉄漿をつけた公家風の印象とは違って精悍な感じです。
東海一の弓取りと言われた義元さんらしく、弓を手にして威風堂々の佇まい。
今川義元は地元の人には大変慕われていたそうですが、戦国時代が最後の盛り上がりを迎える前に
破れてしまったからでしょうね・・銅像があるのはここだけなんだそうです。


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で、こちらが若き日の織田信長・・桶狭間の時は26才とか27歳とか言われています。
遠・三・駿の太守、義元とは違って、この頃の信長は尾張一国やっと統一したところ。
義元さんに比べて若さはあるけど、貫録や迫力がない感じはよーく表現されてると思います。
ただし好みで言えば清洲公園の方がいいです。
でも信長様特別ルールにより4割増なので銅像点数は高めでw


P1070048.jpg

2人の後姿にも注目しておきましょう。当時の力や財力の差が歴然な背中ですw

銅像義元さんの差料は名刀「左文字」。義元を討った時から信長の愛刀になった刀です。
南北朝時代に作られ、三好宗三→武田信虎→今川義元を経て、信長に渡りました。


桶狭間古戦場公園には桶狭間の合戦の様子を再現したジオラマ(位置関係わかりやすい)の他、
義元の墓、駿公墓碣、馬つなぎの松、義元首洗いの泉、すぐ近くには義元本陣跡などもあります。


ボランティアガイドを頼むとものすごーく勉強になります。
ガイドさんとまわった公園史跡詳細はLove城!で紹介してます。

桶狭間古戦場公園
http://okehazama.net/

予約すれば一人からでもやってくれるんだって。

ワタクシは現地でたまたま掃除に来ていたボランティアガイドさんが声をかけてくれたので、
とってもラッキーでした。これは聞かなきゃダメだと思いましたよ。イヤ、まじで。



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