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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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常楽寺の源義経と大道寺政繁のお墓

[源義経] ブログ村キーワード

埼玉県川越市の常楽寺には川越重頼、源義経と京姫、大道寺政繁のお墓があります。

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常楽寺は平安時代末~南北朝時代に、武蔵国(関東)で大きな勢力を持っていた河越氏の持仏寺。
常楽寺の真裏には国史跡の「河越館跡史跡公園」なんかもあって当時はこのお寺も館の一部だったとか。


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山門、鐘楼門を潜ると本堂に至る手前左側に川越重頼と源義経、京姫(郷御前)のお墓があります。

真ん中が河越重頼さん。平安時代末期にこの地で最も強い勢力を持っていた武将です。
源頼朝が伊豆で挙兵した際、頼朝の御家人となり平氏討伐に参戦、その縁から頼朝の弟、
義経に娘の京姫を嫁がせます。しかし後に頼朝と義経が不仲になると、義経に荷担したと目され、
重頼さんは誅殺されてしまいます。


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義経といったら静御前の方が吉野の別れとか、鎌倉での舞とか有名なエピソードが多いけど、
京姫は奥州藤原氏を頼って東北に都落ちする義経についていった義経最後の女性らしいです。
義経モテモテ。ワタクシ、頼朝か義経だとうっかり義経になるけど、男性としてはどうでもいいですw


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本堂の方へ進んで左手にある一般の墓地の中に北条氏の家臣だった大道寺政繁の墓もあります。
一般の墓地の中に紛れているので分かりづらいのなんのって・・探し回ってしまったわ。

大道寺さんは北条家の重臣で本家からの信頼が厚い武将でしたが、1590年の小田原攻めの際には
本領安堵を条件に籠城していた松井田城を開城したばかりか、豊臣方の北国勢に加わって
長年忠義を尽くしてきた主家、北条家の忍城攻めの先峰を務めてしまいます・・・


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松井田城は北条家にとってとても重要な拠点、そこを任されるほどの大道寺さんは
決しておバカさんではありません。家のため、家臣のためと思い、大道寺さんなりに
生き残る道を模索した結果、秀吉に上手く利用されたのかもしれません。

大道寺さんは北条家滅亡後、秀吉に不忠を責められ切腹を命じられています。
松井田城の前に城代を務めていた川越にあるここ、常楽寺で切腹をしたそうです。享年57歳。
政繁の子供たちは家康の懇願によって秀吉に許され、徳川の家臣として秀忠に仕えました。


となりにある国指定遺跡の河越館跡史跡公園とぜひセットで。



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