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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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大和郡山市の豊臣秀長の墓

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奈良県大和郡山市には豊臣秀長のお墓、大納言塚があります。

P1060805.jpg


住宅街の中にあり、駐車場はありません。通り沿いに業務用スーパーがあるので
そちらの駐車場に停めさせてもらい、帰りにジュースとおやつを買って感謝の意をw
その業務用スーパーから歩いて3分くらい。住宅街の中の月極め駐車場の奥にひっそりあります。


P1060806.jpg

ちゃんとしてます。お寺とかの中にあるわけじゃなく「大納言塚」として存在するんだけど、
ものすごいちゃんと整備されている感じです。敷地内から五輪塔のある中に門をくぐって入ります。


P1060813.jpg

安永6年(1777)に五輸塔が建てられ、昭和50年、市指定文化財になったそうです。

天正13年(1585)豊臣秀長は大和郡山100万石の城主となりますが、51 歳で他界しました。
秀吉が大光院を建立しますが、元和元年(1615)の豊臣家滅亡後、大光院は藤堂高虎の手により、
京都大徳寺の塔頭として移築され、秀長の位牌は東光寺(現・春岳院)に託されますが墓地が荒廃し、
その後、春岳院の僧・栄隆らによってこの地に五輪塔が建立されたそうです。(案内板より抜粋)


P1060814.jpg

これが秀長さんの五輪塔・・写真撮ろうとしたら後ろの木陰に笑顔認証が反応。
誰もいないのに笑顔とか検出するの、怖いからマジやめてほしいんだけど・・

秀長さんは秀吉の異父弟。とても有能だったようで、秀吉はもちろん諸大名からの信頼も
とても厚い武将だったそうです。秀長さんが長生きして秀吉死後も存命していたら、
家康のやり方も、そして豊臣家の有り方もきっと変わっていたんだろうと思います。


P1060809.jpg

大納言塚の入り口には「お願いの砂」というものがありまして。

秀長様は優しく賢く、とても立派なお殿様で学問の智将とも呼ばれています。
お参りしたお礼を申し上げた後、「自分の名前」と「願い事」を言いながら、
3回または7回、門前の石の箱へお砂を通すときっと願いを聞いてくださいます。

ということらしいです。


P1060817.jpg

門の前にこんなのがあるわけ。せっかくだからもちろんやるでしょw


P1060818.jpg

↑の写真のところに「お願いの砂箱」と書かれた蓋が。
穴に通す砂がしまわれているみたい。ここから砂を出して穴を通すわけだ。


P1060816.jpg

人が誰もいないので若干、大きい声で名前と願い事をリアルにぶつぶつ言いながら
砂を通すこと7回・・念入りにΣ(゚Д゚)! 「埼玉から」来ましたとも付け足しておくw


大和郡山城からすぐ近くなので、登城の際はぜひ、こちらにもお立ち寄りください。



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