岡崎の本多忠勝の生誕地
武将の銅像や墓を目指して出陣してますが、生誕地にも遭遇するのでカテゴリ増やしてみた。
愛知県岡崎市西蔵前町に本多忠勝の生誕地が残っています。

まぁ場所を探すのにえらく難儀しました。近くまでナビで行き、あとはあらかじめ
ポイントしておいたGooglemapのGPS頼みで近隣をうろついての到着。
生誕地の碑があるだけなんだけど、民家の敷地内にあるので礼儀正しく行きましょう。
住んでる方がいらしたら見学させていただきます~と一言声をかけるのがいいですね!
この生誕地の碑は大正4年に子孫である本多忠敬氏によって建立されたものだそうです。

天文17年(1548)に松平家家臣、本多忠高の長男として西蔵前町で誕生した本多忠勝さん。
忠勝という名前には「ただ勝つのみ」という願いが込められたといわれています。
幼名は鍋之助といい、永禄3年(1560)13才で初陣して以降、生涯で57回の出陣で
ただの一度も負傷しなかったといわれている徳川四天王のひとり。

小さい頃に父親が討ち死にしている忠勝さんは叔父の所で育てられたと言います。
体も大きくて腕っぷしも強く、剛毅で負けん気の強いやんちゃな子だったんでしょうねw
子供の頃から家康に寄り添って数々の戦を戦い抜き、徳川政権の樹立を支えた忠勝さんは
上総大多喜10万石>桑名10万石へ。桑名にある菩提寺「浄土寺」で眠っています。
ただ碑があるだけなんだけど、墓と同じく好きな武将に寄り添った気になりますねw
岡崎城から車ならそんなに遠くないので、忠勝さんの銅像とセットで見ないとね!
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まぁ場所を探すのにえらく難儀しました。近くまでナビで行き、あとはあらかじめ
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生誕地の碑があるだけなんだけど、民家の敷地内にあるので礼儀正しく行きましょう。
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この生誕地の碑は大正4年に子孫である本多忠敬氏によって建立されたものだそうです。

天文17年(1548)に松平家家臣、本多忠高の長男として西蔵前町で誕生した本多忠勝さん。
忠勝という名前には「ただ勝つのみ」という願いが込められたといわれています。
幼名は鍋之助といい、永禄3年(1560)13才で初陣して以降、生涯で57回の出陣で
ただの一度も負傷しなかったといわれている徳川四天王のひとり。

小さい頃に父親が討ち死にしている忠勝さんは叔父の所で育てられたと言います。
体も大きくて腕っぷしも強く、剛毅で負けん気の強いやんちゃな子だったんでしょうねw
子供の頃から家康に寄り添って数々の戦を戦い抜き、徳川政権の樹立を支えた忠勝さんは
上総大多喜10万石>桑名10万石へ。桑名にある菩提寺「浄土寺」で眠っています。
ただ碑があるだけなんだけど、墓と同じく好きな武将に寄り添った気になりますねw
岡崎城から車ならそんなに遠くないので、忠勝さんの銅像とセットで見ないとね!
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