武将の銅像と墓参り

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崇福寺の織田信雄七代の墓

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群馬県の甘楽郡小幡の崇福寺には、織田信雄から七代のお墓があります。

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小幡陣屋(楽山園)の通りを道沿いに進むと、「織田宗家七代の墓」という看板が出てきます。
そこを左にはいって車を停め、つきあたりを右に進むと墓所の案内版が見えてきます。


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甘楽町の指定文化財になっている織田家七代の墓。七代というのは織田信長の次男、信雄から
信良、信昌、信久、信就、信右、信富までのこと。信雄以外の人は良く知りませんがお参りですw


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元和元年(1615)、織田信雄は大和と上野合わせて5万石の領主となり、子の信良が小幡に入封して
織田藩政が始まりました。当初、菩提寺は宝積寺でしたが4代信久の時、ここ崇福寺に移されたそう。


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五輪塔が並ぶお墓の中、信雄さんのお墓は向かって一番右にあります。

信雄さんと言えば、信長の息子3人の中で一番出来が悪いと言われていて、本能寺の変後には、
血迷って安土城に放火したと言われてしまっている人物。清州会議で織田重臣の誰も味方なかったし、
小牧長久手の戦いでも後ろ盾だった家康を放って、勝手に秀吉と和睦してしまったり、その後も
秀吉の口車に乗って弟である信長の三男、信考も自害に追い込んでしまったと言われている
暗愚で残念なイメージの人です。ワタクシも信長の野望であてにしたことはありません(´Д`)


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墓地の先に進んで崇福寺の境内に入るとすぐ位牌堂があります。写真手前は本堂。

悪い言われようがあまりにかわいそうすぎる信雄さんですが(ワタクシもゲームで全く信頼してないけど)、
織田家中でも常に「三介殿(信雄)のなさることよ・・」と呆れられていたのは事実の様子。
ワタクシは安土城に放火というのは、いくらなんでも・・とひそかに思ってはいるんだけど、
そういうことにされても不思議ではないおバカさんぶりを発揮してたのは間違いないんだと思います。


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位牌堂がこちら。案内板には信雄が小幡を支配するにいたった経緯や、152年間この地を統治したこと、
昭和61年に建設され、歴史的に価値の高い位牌を安置保存している・・と言ったことが書かれてます。


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宗家初代である信雄さんの位牌は真ん中かと思いきや、なんと右から2番目のやつなんですね~

残念なイメージの信雄さん最大の功績は、織田信長直系の血を後世に残したことと言われています。
信長の三男で信雄さんの弟、信考さんは子供作る前に自害させられちゃってるし、信長の嫡男、
信忠の子、三法師・・秀信はたしか子孫は残したと思うけど・・この人って何だかよくわからない。
ワタクシは何百年も後の子孫には何の感慨も覚えないので、どうでもいいっちゃいいんですけどw


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信雄さんのお墓は安土城にもありましたけど、そういえばやっぱ代々引き連れてたねwwww


近くには小幡城(小幡陣屋)跡や、信雄さんが作った大名庭園 楽山園もあります。


庭園は素晴らしいのでこれはぜひセットでw




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