武将の銅像と墓参り

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長年寺の長野業政の墓

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群馬県高崎市の長年寺には、長野業政ら長野氏の墓があります。

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長野氏の菩提寺です。開基は鷹留城の初代城主長野尚業。創建は文亀元年(1501)古いお寺です。


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お墓の場所が分からずウロウロしていたらお坊さんが出てきたので思い切ってお尋ね。
「長野様のお墓は本堂を上がって左手に行くとありますよ」と素敵なバリトンで教えてくれましたw


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お坊さんのおっしゃるとおり、本堂の左手に案内版が出ていました。
お寺の裏は戦国の当時、箕輪城防衛の重要拠点である鷹留城があったそうです。


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小道を進んでいくと、何やらすごいような雰囲気が漂ってきました。密集度高っ!!


長年寺

初代長野業尚から左右に3基づつ七代の五輪塔が並んでいるようです。
墓石の最下段である方形石の地輪正面に、それぞれ戒名が刻まれている・・と。


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長野氏は関東管領山内上杉氏に属する箕輪の豪族で、
周囲の豪族をまとめており、その集団は箕輪衆と呼ばれていました。

上杉氏が北条氏康による川越野戦で大敗し、上野を追われた後も北条氏に従わず、
関東管領職と山内上杉氏の家督を継いだ長尾景虎(上杉謙信)に従って北条氏と戦います。

上野には武田信玄も侵攻を開始しますが、箕輪衆は6度にわたってこれを退けました。
信玄は「業政ひとりがいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と言ったそうな。


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その業政さんの五輪塔(右から2番目)に刻まれた戒名がこれ。「一清長純居士」 
死に際、業政さんは嫡男、業盛さんにこんな遺言を残しています。


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我が葬儀は不要である。菩提寺の長年寺に埋め捨てよ。
弔いには墓前に敵兵の首をひとつでも多く並べよ。決して降伏するべからず。
力尽きなば、城を枕に討ち死にせよ。これこそ孝徳と心得るべし。

業政の死を知った信玄は「上野を手に入れたも同然」とすぐ箕輪城に兵を出します。
業政の嫡男、業盛は1500の城兵で武田軍2万を迎え撃ち、力の限り奮戦しますが、
上杉の援軍も間に合わず、城内で自刃。箕輪城は陥落しました。


大国にはさまれ、他にもっと生きる道があってもそれを良しとせず、
俺流を貫いた業政さん、滅亡しても「我が人生に悔いなし」なんですかね。
不器用で下手な乱世の生き方だろうけど、ワタクシは業政さん案外好きですw


近くの長純寺、来迎寺にも長野氏の墓所があります。(次回エントリー予定)
箕輪城の見事な土塁もぜひセットで見てほしいです。



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| | 2014/02/24 21:44 | |















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