武将の銅像と墓参り

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建福寺の由布姫の墓

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長野県伊那市の建福寺には、信玄の側室となって武田勝頼を生んだ由布姫のお墓があります。

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建福寺は高遠城からほど近いところにあります。駐車場ないので近くの商店街のを利用。
商店街からエッチラオッチラ階段上っていくと、山門が見えてきます。


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立派な本堂。鎌倉時代からあるお寺で武田勝頼や保科正之など
高遠城主との関わりが深く古文書なんかもたくさん持っているのだそう。


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本堂の左手にある墓域の最前に、由布姫 with 保科正光・正直のお墓があります。

由布姫は諏訪頼重の息女で、天文11年(1542)に諏訪家が武田信玄に滅ぼされた時、
側室となって甲府に移り、勝頼を生みました。体があまり強い性質ではなかったらしく、
勝頼が10歳の時に病没。勝頼が城主であった高遠の建福寺に葬られたそうです。


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3つのお墓が並んでいまして・・向かって左から保科正光、正直、そして由布姫です。
・・・てか保科正光と正直って誰? 保科正之ならともかく超~違和感ある並びだわ。


P1080150b.jpg

謎の保科さん2名の墓はおいておき、左側の由布姫の墓にフォーカスしますw

父を殺した敵の側室となった由布姫は、諏訪氏再興を願って勝頼を産みます。

信玄は諏訪衆を取り込むため、勝頼を武田の後継ぎに指名せず、
「諏訪四郎勝頼」と名乗らせて高遠城主としました。勝頼は由布姫がなくなると供養に努め、
元亀2年11月に大龍山臨済寺の鉄山和尚を招来して17回忌を高遠城で執り行ったそうです。


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敵の側室となって子を産み、その子、勝頼が成人する前に亡くなった由布姫。
信玄はとても大事にしたというけど、由布姫はどんな思いだったんでしょうね。
戦国の世の女はこんなものと割り切ってそれなりに幸せな短い人生を過ごせたのか、
イヤだイヤだありえない・・と思って世をはかなんだ末に短い人生を終えたのか・・・


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法名を乾福寺殿梅岩妙香大禅尼。甲府では諏訪御料人と呼ばれていました。
諏訪家を滅ぼし由布姫を側室にして子を産ませた信玄でしたが、武田家が滅亡した時の当主は
信玄が後継ぎに指名しなかった諏訪家の血を引く勝頼でした。まぁ結果論ですけどね。


由布姫の墓はきちんとお花が活けられ、丁寧に扱われているのがよかったわ。
由緒あるお寺にある有名武将の墓でも、ろくに手入れされていないのとかもあり、
そういうの見ると何だか物悲しい気持ちになるものでね・・・年かなwww



建福寺は高遠城のすぐ近く。五郎山には仁科盛信の銅像もあります。ぜひ全部セットで!



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