武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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誓願寺の片桐且元の墓

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静岡県丸子市の誓願寺には片桐且元夫妻のお墓があります。

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丸子城跡のすぐ横、とろろ汁で有名な「丁子屋」のすぐ近くです。
行くまでの道が細いけど、広い駐車場が完備で墓参り&城めぐりにおっけw


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山門をくぐると長い参道が続き、山を背に立つ本堂はちょっと日本昔話風の佇まいです。
駐車場も参道もどこもかしこも綺麗に手入れされた気持ちのよい境内でした。


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まだ3時くらいなんだけど秋の夕暮れは早く、誰もいないから非常にひっそりしてます。
お寺の創建は古く、建久年間(1190~1199)に源頼朝の両親追善のために建てられて、
天文年間に丸子城の戦火で類焼したのを惜しんだ武田信玄が再建したんだそうですよ。


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本堂の左手の方に進むと「片桐且元公の墓」と書かれた案内があります。
この後、本来の目的である丸子城跡に登らなきゃいけないのでさっさと行きましょう。


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案内板がところどころに出てるので迷うことはありません。4つぐらいあったかな?


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墓域の割りと奥まったところにありました。片桐且元夫妻のお墓。
子孫の片桐貞昌という人が建てたものらしいです。


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水平じゃなくてね、灯籠も石段も年季が入った感じになってます。
お花がないだけじゃなく、あまりお手入れされていないようでなんだかさみしげ。


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方広寺の鐘銘「国家安康君臣豊楽」は家康の名前を分断し、
豊臣の子孫繁栄を望む意味だと徳川方が難癖をつけたあの事件。

片桐さんは大阪の陣のきっかけになったこの「国家安康」の文字について、
駿府城の徳川家康に申し開きするため、この寺に滞在したそうです。


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片桐さんは海千山千の金地院崇伝や本多正純相手にすっごい頑張ったんだと思うよ。
それなのに豊臣方に裏切りモノ呼ばわりされて大阪城から追放されちゃってね・・

片桐さんが追放された翌年の大坂夏の陣で豊臣家は滅びてしまいました。
そして大阪落城から20日後、後を追うように片桐さんも病死したそうな。

自害じゃないのかな?とも少々思ったりしないでもないけど、
そんなにがっちり食いつくところじゃないからまぁいいかw


お寺のすぐ前は丸子城跡、すぐ近くにはとろろの丁子屋。
お腹空いてなくて行けなかったけど、とろろ飯食いたかったわ~




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| | 2015/02/11 22:11 | |

kanageohis1964さん こんにちわ!
コメントありがとうございます(^_^)

お城にあちこちいってと、宿場や旧街道を見ることもあり、
東海道を辿っている方って多いですね!

誓願寺は丁子屋の横を入ってすぐなので、お食事の後、散歩がてらぜひ歴史を感じに行ってみてください!

| あも | 2014/04/20 09:10 | URL |

こんにちは。

東海道あるきをしていて丸子に来ると、とろろ汁を食べてそのまま宇津ノ谷峠に向かってしまいがちですが(私もそうでした)、こういう場所があるのですね。次訪れた時には忘れずに立ち寄るようにします。

| kanageohis1964 | 2014/04/19 21:46 | URL |















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