武将の銅像と墓参り

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金剛寺の皆川広照の墓

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栃木県栃木市、皆川城の麓の金剛寺には、皆川広照のお墓があります。

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お墓の由緒などは詳しく分からないんだけど、金剛寺には皆川広照が着用した南蛮鎧兜や
広照の子、隆庸が寄進した薬師如来像などがあって市の文化財となっているとのこと。


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住職さんとかお寺の人がいたら話を聞きたかったんだけど、お彼岸の最中で忙しいのか、
人影はなく・・というより墓地もあるのに墓参りの人すらおらずシーンとしていました。


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本堂の左手に皆川歴代の墓所がありました。案内板には↓なことが書いてあります。

藤原秀郷を祖とする皆川氏は長沼五代を経て、長沼五郎秀宗の時にこの地に移り
その子氏秀に至り皆川姓を名乗り、永享元年(1429)観音山に皆川城を築きました。
皆川広照の代、秀吉の小田原攻めに際し家康のもとに降伏し、旗本として幕府に仕えました。


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ずらーーっと並ぶ皆川氏歴代の墓石が。戦国時代から遺骸は必ず菩提寺である金剛寺に葬られ
一代も欠けることなく現在に至るんだそうですよ。これはなかなかすごいことです。


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入口から見て一番奥にあるのが広照さんのお墓。石の劣化が少なく一番きれい。


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墓石にはもれなく歴代藩主の名札が立っているので非常に分かりやすい。

皆川歴代城主の中で一番名君だったと言われているのがこの広照さん。
信長の野望だと浪人登場で扱いイマイチ悪かったりする場合もあるんだけど、
先見の明があり、乱世を生き抜く嗅覚が冴えてる人だったようです。

広照さんは天正9年(1581)、信長に馬を贈って礼状をもらっていて、
家康もそれを喜んだという記録があるのだとか。武田がようやく滅ぶかって頃に
栃木にいる広照さんが信長に誼を通じておこうとしたって結構すごい。

残念ながら信長は翌年、本能寺の変で死んでしまい、広照さんはその後、
時節の流れで北条方として小田原攻めに参陣するけれど、開城前に城を抜け出し
家康を通じて投降、皆川は安堵されたんだから、はしっこいことこの上ないです。


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広照さんの墓の並びには初祖や初代など始め、皆川の中でもビッグネームがずらり。


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広照さんのお墓からは、在城した皆川城跡がよく見えます。小田原攻めの後、
広照さんは栃木城に移ったけど、やっぱり生まれ育った城ですからね。


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門前でもう1度、皆川城を~別名を「法螺貝城」というだけにマキマキですw



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