勝願寺の小松姫と仙石秀久の墓
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埼玉県鴻巣市にある勝願寺には小松姫、戦国秀久、真田信重のお墓があります。

この地に建立されたのは天正年間(1573~1592)。2世住職円誉不残上人は学僧の誉れ高く、
慶長11年(1606)に後陽成天皇から、僧として最高位の紫衣を与えられたそうです。
浄土宗の関東十八檀林の由緒あるお寺で、仁王門もどっしり年季入った堂々たるかまえね。

徳川家康が鷹狩りの際、この勝願寺を何度も訪れていて、文禄2年(1593)には
不残上人の学識に感銘を受け帰依したそうで、以来、徳川家の庇護をうけました。

そんなわけで将軍家の定紋である「三つ葉葵」の使用も許されていたそうで、
本堂にかかる幕には、イヤでも目に入るアノ紋所があります。すっごい存在感ですw

屋根の上にも三つ葉葵。写真には写ってないけど軒下丸瓦ももちろん御紋入り。

本堂の中もふすまから壁からふんだんに三つ葉葵がちりばめられています。
軒下のちょっとしたところも含めて、「使用を許されてるアピール」すごいですw

お墓は本堂の左手にありました。向かって左の見えづらい小さいのが仙石秀久さん、
真ん中が真田信重さんとその室の墓、右が真田小松姫のお墓となっております。
最初、案内版がどっちの五輪塔のなのか分かりづらくてまいったね。

仙石秀久さんは秀吉の最古参の家臣の一人で、もっとも早く大名になった人です。
淡路洲本で5万石>島津相手の九州攻めで大失態を犯し、高野山に追放されますが、
天正18年(1590)小田原征伐に、浪人を集めて家康の後押しを受けつつ陣借りで参戦。
功績を挙げたことにより信州小諸5万石の大名に復活しました。
秀久さんは慶長19年(1614)江戸から小諸への帰路、ここ鴻巣で病没し、
遺名により長野県上田市の本廟から勝願寺に分骨されたそうです。
秀久さんの墓の隣にあるデカい方のが、なんとまさかの真田信重の室の墓w
その奥の控えめなやつが真田信重さんですよ。信重さんは信之の三男。
慶安元年(1648)に鴻巣で病没し、母の小松姫の縁で勝願寺に埋葬されたそうな。

で、こちら右が小松姫のお墓。真田お兄ちゃん信之の正室で、本多忠勝の娘。
ワタクシはこういう気丈でしっかりした女性が好きなので大大大ファンです。
小松姫は元和6(1620)年、病いの療養のため江戸から草津に向かう途中、
ここ鴻巣で亡くなりました。享年48歳。遺骸は火葬され上田市の芳泉寺に葬られ、
鴻巣の勝願寺、沼田市の正覚寺に分骨されました。
お墓参りの人の目も気にせず、丁重に手を合わせて拝んでおきました。
近いうち上田市の芳泉寺にもお参りに行きたいと思ってマス。
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埼玉県鴻巣市にある勝願寺には小松姫、戦国秀久、真田信重のお墓があります。

この地に建立されたのは天正年間(1573~1592)。2世住職円誉不残上人は学僧の誉れ高く、
慶長11年(1606)に後陽成天皇から、僧として最高位の紫衣を与えられたそうです。
浄土宗の関東十八檀林の由緒あるお寺で、仁王門もどっしり年季入った堂々たるかまえね。

徳川家康が鷹狩りの際、この勝願寺を何度も訪れていて、文禄2年(1593)には
不残上人の学識に感銘を受け帰依したそうで、以来、徳川家の庇護をうけました。

そんなわけで将軍家の定紋である「三つ葉葵」の使用も許されていたそうで、
本堂にかかる幕には、イヤでも目に入るアノ紋所があります。すっごい存在感ですw

屋根の上にも三つ葉葵。写真には写ってないけど軒下丸瓦ももちろん御紋入り。

本堂の中もふすまから壁からふんだんに三つ葉葵がちりばめられています。
軒下のちょっとしたところも含めて、「使用を許されてるアピール」すごいですw

お墓は本堂の左手にありました。向かって左の見えづらい小さいのが仙石秀久さん、
真ん中が真田信重さんとその室の墓、右が真田小松姫のお墓となっております。
最初、案内版がどっちの五輪塔のなのか分かりづらくてまいったね。

仙石秀久さんは秀吉の最古参の家臣の一人で、もっとも早く大名になった人です。
淡路洲本で5万石>島津相手の九州攻めで大失態を犯し、高野山に追放されますが、
天正18年(1590)小田原征伐に、浪人を集めて家康の後押しを受けつつ陣借りで参戦。
功績を挙げたことにより信州小諸5万石の大名に復活しました。
秀久さんは慶長19年(1614)江戸から小諸への帰路、ここ鴻巣で病没し、
遺名により長野県上田市の本廟から勝願寺に分骨されたそうです。
秀久さんの墓の隣にあるデカい方のが、なんとまさかの真田信重の室の墓w
その奥の控えめなやつが真田信重さんですよ。信重さんは信之の三男。
慶安元年(1648)に鴻巣で病没し、母の小松姫の縁で勝願寺に埋葬されたそうな。

で、こちら右が小松姫のお墓。真田お兄ちゃん信之の正室で、本多忠勝の娘。
ワタクシはこういう気丈でしっかりした女性が好きなので大大大ファンです。
小松姫は元和6(1620)年、病いの療養のため江戸から草津に向かう途中、
ここ鴻巣で亡くなりました。享年48歳。遺骸は火葬され上田市の芳泉寺に葬られ、
鴻巣の勝願寺、沼田市の正覚寺に分骨されました。
お墓参りの人の目も気にせず、丁重に手を合わせて拝んでおきました。
近いうち上田市の芳泉寺にもお参りに行きたいと思ってマス。
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