安宅の関 義経・弁慶・富樫の銅像

小松市にある「安宅(あたか)の関」は義経と弁慶にゆかりのある名所。
歌舞伎の勧進帳で有名なので、小松城に行きがてら寄ってみた次第。

銅像のある安宅の関は安宅住吉神社の奥、日本海丸見えのところにあるので必然通りかかると、
遠方の方ですか?由緒などご説明させていただいております~と巫女さんが声をかけてきます。
が、ワタクシはホントに時間がなかったので丁重に、しかしきっぱりとお断り。
事前調査でみた色んな人の話だと最後にマストでお守り勧めてくるらしいので面倒だしね。
フフフ・・こりゃワタクシもさっそく難関突破しちゃったわと勝手にほくそ笑みますw

神社の先の松林を抜けると目の前が開け・・左から義経、弁慶、富樫の銅像にロックオン!
右下に書かれた「智仁勇」というのは弁慶の知恵、富樫の情、義経の勇気を表したもの。
さっそくもっとかぶりついて、難関突破のシーンを勝手に妄想していきましょうw

こちらが源義経さん。壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした義経さんはノリノリで京へ戻りますが、
兄頼朝に謀反を疑われ追われる身となってしまいます。義経さんは弁慶と共に山伏の姿となり、
奥州平泉の藤原氏の元へ落ちのびようとしますが、頼朝が設けた関所「安宅の関」で
安宅の関守、冨樫に見とがめられ、厳しい詮議を受けることになるのです。
凛々しい武者のイメージでいてほしいって勝手な思い込みがあるの中年ぽくて少々残念w
安宅の関の場面では弁慶と富樫に食われ、坊ちゃん育ちの義経さん正直影は薄いです。

こちらが武蔵坊弁慶さん。富樫の尋問を受けた弁慶は「東大寺復興勧進のため諸国を廻る役僧」
だと言い張ります。しかしそもそも疑われての詮議。「ああ、そうでしたか」とはなりません。
そこで弁慶は持っていた白紙の巻物を取り出し、富樫の前で勧進帳として読み上げて見せます。
勧進帳というのは寺院建立の資金集めの趣意を記した書類。主君を守りたい弁慶必死の演技でした。
弁慶さんは「牛若丸」の絵本を読んだから、幼稚園の頃から知ってる歴史上の人ですw
怪力無双の荒法師で、五条大橋で笛を吹いていた牛若丸に戦いを挑んで返り討ちに合い、
以来、家来となって活躍します。弁慶は最後まで義経に寄り添い、たどり着いた奥州で
藤原氏の裏切りに合うと、義経を守って堂の入り口に立って薙刀をふるって奮戦し、
雨の様な矢を受けて立ったまま死んだ・・弁慶の立往生っていうのもとっても有名

こちらが富樫泰家さん。富樫さんは弁慶が必死の演技で勧進帳を読み上げるにも関わらず、
強力姿(荷人役)の義経に目を付けます。しかし弁慶が金剛杖で義経を打ち付けるのを見て、
その忠義に心をうたれ、義経主従と気付きながら関の通行を許してしまうのでした。
弁慶は「お前が義経に似てるから面倒なことになってるんだ、その顔が憎い」的な事をいって
義経を打ち据えたそうですが、大ピンチを切り抜けるためとはいえ主君をぶっ叩くなんて
なかなかできない。主従に絆があって、お互いの思いが通じているからこそのことで、
それを感じとるだけじゃなく、実際に情けもかけた富樫さん。あんた・・立派な男だよ。

弁慶と富樫の妄想に大満足したところで、安宅住吉神社に戻って巫女さんと目が合わないよう
勧進帳を読み上げる弁慶の銅像を眺めます。プレッシャーハンパない中、白紙の巻物を眺め、
さもあちこち勧進に廻ったように次々と自信ありげに読み上げるって考えるほどすごい!
神社よりむしろ弁慶の銅像に「難関突破のご利益を」と心の中で拝んでしまいましたわw
この後、ワタクシは小松城に向かうのですが、途中渡った橋の欄干に弁慶と富樫を見つけ、
しかし停まることも分離車線で戻ることも出来ず少々無念でした。事前に知ってたらなぁ・・
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ヒロ男爵や他の銅像ハンターらと一席囲みつつ、銅像や史跡話などしたいですね。武者ピーの話なども。
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| サムライ銅像研究会 | 2014/10/05 23:47 | URL | ≫ EDIT