武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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熊谷駅の熊谷直実の銅像

[熊谷直実] ブログ村キーワード

埼玉県熊谷市の熊谷駅前ロータリーには熊谷直実の銅像があります。

P1060137.jpg

ロータリの中・・タクシープールを越えたところにあるので写真を撮るのちょっと大変。
ずかずか歩いてタクシープールを横切り、銅像がある場所まで近づく必要があります。
バス待ちしてる人やタクシー運転手さんの目が気になりますが、気にしてたら銅像は見れませんw


P1060142.jpg

平安末期から鎌倉時代初期、武蔵国熊谷郷(現・熊谷市)で活躍した武将。
元は平家に仕えていましたが「石橋山の戦い」で破れた源頼朝が木の洞に隠れているのを
見つけたものの、直実はホヤの枯れ枝で木の洞を隠し捕らえることをしませんでした。
平家の兵が怪しんで入り口をつつくと二羽の鳩が飛び出し、野生の鳩がいるなら
人が隠れているはずがないと納得してその場を立ち去ったため、頼朝は助ります。

後に直実は頼朝の御家人となりますが、この時のことを覚えていた頼朝から「向かい鳩の紋」
をもらったと言われています。その後、直実は数々の戦さで名を上げ鎌倉幕府成立に貢献しました。


P1060139a.jpg

直実は一ノ谷の戦いで平家の若武者、平敦盛を打ち取りますが、息子ほどの年齢の若者の命を
奪ったことに戦の無情さや世の無常観を感じ、頼朝の前で髪を落として出家します。
浄土宗を開いた法然上人の弟子として蓮生と名乗って修行を重ね、各地に寺院を開基しました。


P1060143.jpg

気性が荒く直情型だったと言われる熊谷直実さん。こうと決めたら曲げない人ですね。
何を思って石橋山の戦いで頼朝を助けたのか詳しい事情や心情は分からないし、
なぜ一の谷の戦いで急に出家するほど無常を感じたのか、それも全く分からないけど、
ワタクシは面白い・・魅力があるという意味で直実さんみたいなの結構好きですw

戦国時代も色々な武将がいて面白くてやっぱり一番好きだけど、戦国の頃とはまた微妙に違う
武士としての考え方や道徳観のある源平の頃の武将も知れば知るほど興味深く思えます。


熊谷駅近くに行ったらぜひ、人目に負けず熊谷さんの銅像を見てみてくださいw






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| 武将の銅像 | 21:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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菅谷館の畠山重忠の銅像

[畠山重忠] ブログ村キーワード

埼玉県比企郡の菅谷館跡には畠山重忠の銅像があります。

P1060390.jpg

菅谷館は鎌倉時代に武蔵武士の畠山重忠が住居したと言われています。
吾妻鏡にも記述があり、畠山重忠さんとともに当時は有名なところでした。
大きな郭や深い空堀や土塁が見事に残る二の郭の土塁上に畠山さんが立っています。


P1060395.jpg

畠山重忠さんは知勇兼備の武将として常に先陣を務め、鎌倉幕府創業の功臣です。
武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と言われた畠山さん。
以前のエントリー、畠山重忠公史跡公園のところでも紹介していますが全くもって素敵な武士です。

静御前が源頼朝と北条政子の前で舞を舞った時、鼓を打ったのは重忠さんだったそうで、
武勇に優れるだけじゃなく文化芸術もイケる! 源平盛衰記 義経記にも登場するわけだ!

銅像は圧倒的に畠山重忠公史跡公園の方が実寸イメージにも近くポーズも含めかっこいいけどねw


P1060396.jpg

ほら・・銅像の作りもバランスも悪いから前のめり気味で紐につられちゃって・・(ノд-。)
昭和4年(1929)に造られた竹筋コンクリート製(!)なんだって・・・いい加減やばいでしょ。
菅谷館跡は国の史跡。でも銅像は町指定文化財なんだとか。寄付でも募って早く直してほしいわ。


P1060399a.jpg

やぶ蚊に刺されながらも畠山重忠さんの銅像をねっちり眺めているワタクシ。
どこに行ってもだいたいこんな感じで、前から後ろから下から脇からガン見が常ですw


P10604.jpg

畠山重忠さんの銅像in菅谷館は、埼玉県立嵐山史跡の博物館の敷地内にあります。
駐車場あり、館跡は無料。博物館は有料ですが、貴重なロボ畠山重忠さんが見れますw



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| 武将の銅像 | 19:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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清州公園の織田信長の銅像

[織田信長] ブログ村キーワード

清州城前の清州公園には織田信長と濃姫の銅像があります。

清州 信長と濃

まずは信長様から。若かりし日・・桶狭間の戦いの出陣場面を表現しているんだそうです。
なるほど後年のイメージから受ける迫力や貫禄はまだなく、凛々しい感じがよい銅像だと思います。
安土駅前の能を舞う信長像より、岐阜駅にあるゴールデン信長より、ワタクシはこれが好きです。


清州 信長と濃

で、こちらがもれなくセットの濃姫。濃姫は形式ばかりの正室だったとか、ほとんど関わらなかったとか
色々な説があるようですが、まぁ戦国ロマンってことで清州に建つ銅像としてセットはありだと思いました。
信長が寵愛したのは吉乃やお鍋の方だというから、こういうシーンくらいは正室の存在感をあげてもね。


清州 信長と濃

二人の位置関係はこーんな感じ。信長はそっぽ向いてるんじゃなくて桶狭間方面を見ているらしいよ。
愛する夫の死ぬか生きるかの出陣を黙って見送る・・後に桶狭間の戦いと呼ばれる戦の厳しさを知ればこそ、
「ご武運を」って言葉すらかけられず、ただただ祈るしかないみたいな感じが表現された銅像だと思います。


清州 信長と濃

最後に凛々しすぎる信長様を別角度からもう1度w イメージ通りかと言われれば難しいケド、
採点2割増の騎馬像でもないけど、信長様特別ルールで4割増カウントw いい銅像だと思いました。

信長と濃姫の銅像は清州城の中ではなく、線路の向こうにある清州公園の中にあります。
やたら観光客に人気な模擬天守の清州城以上に清州古城跡とこの銅像をお見逃しなくw


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| 武将の銅像 | 01:02 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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妻沼聖天山の斉藤実盛の銅像

[平家物語] ブログ村キーワード

埼玉県熊谷市の妻沼聖天山には斉藤実盛の銅像があります。

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戦国ロマンじゃなくても、生き様がかっこいい武士らしい武士は称えておかなきゃ!
ということで畠山重忠さんに続き、源平の頃・・平家物語に登場する斉藤実盛さんの銅像です。


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実盛さんが右手に筆、左手に鏡を持っている姿は平家物語(巻第七「実盛最期」)の場面より。

実盛は当初源氏に仕えていて、合戦で討ち死にした源義賢の子、駒王丸を匿い木曽に送りました。
この駒王丸は後の木曽義仲。その後、実盛は平治の乱で源義朝を助けて戦いますが、敗北後、
時の流れに従って平宗盛に仕え、領地(熊谷市妻沼)を安堵された恩義を貫きます。

寿永2年(1183)、倶利伽羅峠の戦いで源平が激突しますが、平家は敗北。
源氏の追跡軍をかわしながら篠原まで退いたところで総崩れとなってしまいます。

兵士が逃げる中、実盛はたった一騎で源氏方に挑み、討ち死にする覚悟を決めます。
この時、実盛73才。老武者と見られることを恥じて白髪を黒く染めて覚悟の出陣でした。
そして潔く一騎で斬りこみ奮戦するものの、源氏方の手塚光盛に討ち取られます。

首実検をした源氏方の大将・・・木曽義仲は実盛の首を見て人目を憚らず泣いたと言います。


P1060160.jpg

実盛さん大丈夫。ちゃんと染まってますよ!!バッチリ決まってますよ!!

この銅像は覚悟の出陣前、実盛さんが髪を染めている姿を表現していたもの。う~泣ける。

当時の73歳で叶わぬまでも一騎打ちして死に花咲かせようという気概もすごいし、
首実検の時に老武者と見られることを恥じて髪を染めて出陣する覚悟もすごいし、
相手方の大将が木曽義仲と知りつつ何も言わず戦い散っていく壮絶さもすごいし。


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男の、武士(もののふ)の背中ですよ。涙が出そうになってきます。

自分が助けた時2歳だった子供が立派な大将になって目の前の敵軍を率いている・・
実盛さんはどんな思いでそれを眺め、どんな気持ちで源氏にむかっていったのだろう。

畠山重忠さんにしろ、斉藤実盛さんにしろ、ブレない、潔いのはマジ惚れますね。


P1060173.jpg

実盛さんの銅像がある妻沼聖天宮は、実盛さんが本拠地である武蔵国長井庄に自分の守り本尊である
大聖歓喜天を奉り、聖天宮(1179年)を開いたのが始まりとされています。日本三大聖天の一つで、
2012年に何と国宝に指定されました!写真がその国宝になった本殿「歓喜院聖天堂」。
平成の大修理でよみがえった極彩色の彫刻がすばらしかった~! 山門も見どころよ。

近くにお立ち寄りの際はぜひ、斉藤実盛の銅像in妻沼聖天堂をご覧くださいw



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| 武将の銅像 | 19:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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石田会館の石田三成の銅像

[石田三成] ブログ村キーワード

長浜市の石田町にある石田会館には石田三成の銅像があります。

16.jpg

石田町は石田三成の地元。
三献の茶の銅像のところでご紹介しましたが、子供の頃、小姓をしていた秀吉と出会ったお寺は
この石田町から山一つ越えたところにある観音寺です。三成さんは石田町で生まれ、育ったんです。

その町内にある石田会館という三成ゆかりのブツの展示をしている建物の敷地内に建っている銅像。
石田治部少輔出生地の碑もあいまって、出生の地=三成ファンの聖地って感じを盛り上げますw


17n.jpg

どうこれ、いいお顔じゃない? 平成2年(1990年)に三成の390回忌に際して建立されたもので、
京都の大徳寺に葬られている遺骸と青森杉山家に伝わる三成の肖像画を参考にして作られたそう。
よく細面で狐顔とか言われるけど、それも徳川の悪口作戦じゃないかと疑りたくなりますw
肖像画とか優しげな感じのやつあるものね。ゲームがイケメンすぎるのは別問題としてΣ(゚Д゚)!
知的で品があって温和な表情で・・・三成のイメージどうりかは別としていい銅像だと思いました。

ワタクシは特に三成の大ファンというわけじゃありませんが、嫌な印象とかは全然持っていなくて、
むしろ大した人だと思っています。大谷さんや直江さんなんかとも堅い友情で結ばれてたしね。
関ヶ原は断然、西軍派なので未だ三成さんを慕う地元民のいる石田町めぐりは楽しかったわ~


石田町には石田三成公一族の供養塔や香炉堂の立つ一角や三成産湯の井戸などがあり、
また近くには三成が小姓をしていた観音寺や、三献の茶の水汲みの井戸などもあるので、
三成ファンだけでなく戦国ファンも一度は訪れるといいと思います。

訪れた際はぜひ、三成さんのことが大好きな石田町の人々とお話をするのがおすすめです!

※石田町と近隣のスポット、石田町の方がどれだけ三成さんが好きかはこちらでご紹介しています。


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| 武将の銅像 | 18:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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長浜駅前の秀吉と三成「三献の茶」の銅像

[石田三成] ブログ村キーワード [豊臣秀吉] ブログ村キーワード

長浜市の長浜駅前ロータリーには秀吉と三成の銅像があります。

長浜駅 三献の茶 銅像

秀吉と三成の出会いのエピソードとして有名な「三献の茶」の一幕を表現した銅像です。

長浜城主となった秀吉は鷹狩の帰り、領内の観音寺に立ち寄り茶を所望します。
汗をかいた秀吉の様子を見た寺の小姓、佐吉少年は一杯目は大きな茶碗にぬるいお茶をたっぷり出し、
秀吉が二杯目を所望すると、今度は先ほどより少し熱いお茶を茶碗に半分ほど出しました。
さらに秀吉がもう一杯所望すると、三杯目は小さな茶碗に熱いお茶を入れて出しました。
秀吉は相手の様子を見て、茶の入れ方一つに気を配れる佐吉少年を気に入り召し抱えます。

この佐吉少年が後の石田三成・・三成が秀吉に取り立てられた時の有名なエピソードです。
本当かどうか別として、後に官僚として頭角を現す知恵者で機転の利く三成はもちろん、
ノリに乗っていた頃の秀吉の冴えっぷりも表している感じでなるほど納得な逸話ですね。

この銅像、駅前ロータリーにあるのですが、ロータリー狭すぎて一瞬も路駐できない雰囲気。

寝ないで埼玉から行って、朝から小谷城を含む山3つ、姉川古戦場あたりをうろついていたため、
ワタクシもう足が本当に痛すぎて、離れたところから歩くのも難儀だったゆえ、
何とか車からちゃちゃっと撮ったろ思い、うまいこと銅像の前の信号停止線で止まれるまで
ロータリーを3周もしてしまいましたΣ(゚Д゚)! こりゃワタクシも相当知恵者だわ・・フフ。

とものぐさをしたため写真は1枚しかありません。というか車をちょいとずらして何枚か
撮っただけなので似たような写真ばっかでお見せできるのがこれだけなのよ・・(´Д`) 


長浜市には三成生誕の地「石田町」もあり、またその近くにはこの「三献の茶」の舞台となった
佐吉少年が小姓をしていた観音寺もあります。小谷城や長浜城と合わせてこちらもお忘れなく!


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| 武将の銅像 | 13:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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河毛駅の浅井長政とお市の銅像

[浅井長政] ブログ村キーワード

小谷城近くの河毛駅前には浅井長政とお市さんの銅像があります。

河毛駅 浅井長政とお市の銅像

河毛駅は小谷城の最寄駅になります。その駅前に二人の銅像が建っています。
浅井攻めの際に信長が陣を置いた虎御前山から小谷登城前の早朝に立ち寄ったのですが、
朝のこの時間に正面から撮ろうとすると残念ながら逆光になってしまいました。

この二人、思いを残す小谷城を眺めるのではなく、なぜか背中を向けている立ち位置なんです。
小谷の城の方を向いて建ててもらってれば逆光にならず、ドラマチックだったのにねw


河毛駅 浅井長政とお市の銅像

仕方がないので背後に廻りました。お二方とも腰がどっしり据わっていますw

政略結婚ながら仲睦まじかったという長政さんとお市さん。天正元年(1573)小谷落城の際、
秀吉の説得を受けた長政に諭され、三人の娘を連れて小谷城を離れ、織田家に帰還します。
愛する夫を殺した兄の元に戻ったお市さんの心はいかばかりか・・長くなるので割愛しますw


小谷登城をする際は車で10分ほどなので、せっかくだから河毛駅前にも寄ってみてください!


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| 武将の銅像 | 20:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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浜松城の徳川家康の銅像

[徳川家康] ブログ村キーワード

浜松城の本丸跡には徳川家康の銅像があります。

浜松城 家康の銅像

タイトル「若き日の徳川家康公像」・・・ん? なんか様子がおかしかありませんか?
痩せているから若い時を表現してはいるんでしょうけど、それにしちゃ若さが足りないような。

家康さんが浜松城にいたのは、信玄との戦いに備えて移った29才からの17年間。若い!
若すぎて三方ヶ原で武田信玄にコテンパンにやられ、自分への戒めとして自身の惨めな姿を
書かせたという「しかみ像」は有名ですね。その絵は浜松城内で見ることが出来ます。

この銅像、家康さんがそれくらいイケイケだったって感じはあんまりないでしょw


浜松城 家康の銅像

近寄ってみました。スリムなヤング家康さんが手に持っているのは歯朶(羊歯=シダ)。
この歯朶は家康さんが験を担いでもっとも気に入っていた甲冑飾りだといわれているそうです。

青年期の家康さん・・小さい頃から苦労したから年より老けちゃったって解釈にしときましょうかw
駿府城公園の本丸跡にいる鷹を手にした家康像の方が落ち着いた風格があって雰囲気あると思いマス。


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| 武将の銅像 | 21:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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長浜市の浅井長政ファミリーの銅像

[浅井長政] ブログ村キーワード

長浜市役所浅井支所の向かいに浅井長政ファミリーの銅像があります。

長浜市役所浅井支所 浅井長政 銅像

北近江攻略に行った際、絶対にこの銅像も見てこようと決めていたのでナビで支所を登録し、
ゴールデンウィークでも開いていた支所の駐車場に車を停めて通りを渡った正面に・・いたいた!!

同じ台座の上に家族6人で銅像というとっても珍しいパターンです。6人家族で・・ん?

長政パパとお市ママ、嫡男の万福丸に弟の万寿丸、茶々に初に・・江与ちゃんがいない!?
江与は小谷落城の時で1歳だったから、座っている子供は出家して生き延びた万寿丸ということに。
万寿丸は側室の子とも言われ、初と江与の間に生まれているらしいのですが、せっかく銅像作るなら、
実子かあやふやな子より、赤ちゃん江与をお市さんが抱っこしてる感じにすればよかったんじゃ・・


長浜市役所浅井支所 浅井長政 銅像

小谷城最寄の河毛駅では長政とお市さん、小谷城に背を向けて鎮座していましたが、
ここでは浅井長政ファミリーは方向的にちゃんと小谷城の方を見ているようです。
その方向を指さすお市さん・・「お城が!お城が燃えている!」・・そりゃ白虎隊かΣ(゚Д゚)!

落城前ちょい前の家族構成、年代だとすると長政は20代のはずだけどけっこうオッサンぽいw

ツッコミどころの多い銅像な気がしますが、弱肉強食・下剋上・ともすれば親も子もない戦国時代。
そんな時代の夫婦愛、家族の絆を表現したこの銅像もそれはそれで戦国ロマンということでw


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| 武将の銅像 | 15:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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米沢城址の上杉謙信の銅像

[上杉謙信] ブログ村キーワード

山形県の米沢城址(上杉神社)には上杉謙信の銅像があります。

米沢 上杉謙信像

こっちの方がそうとう間近で見られる分、迫力はあるけど、面構えとどっしり感でも迫力はあるけど、
ワタクシは遠目にしか見えなくても春日山城の頭巾をかぶった謙信像の方がかっこよくて好きですw
だってこの銅像、どう見たってほっぺのお肉が垂れ下がりすぎじゃない?・・何だかおすもうさんみたいなΣ(゚ロ゚;)


米沢 上杉謙信像

台座を含めた全体像はこんな感じ。謙信公の銅像は上杉神社参道右側を少し入ったところにあり、
この謙信公の銅像より通りに面したところに天地人の景勝&兼続の仲良し銅像があります。
謙信の銅像の方が先にあって、場所がなかったのか何なのか、天地人はそれより前に建てちゃったのね。


米沢 上杉謙信像


正直、でっぷりしていて貫禄ありすぎるので若いんだか年取ってんだかわかりづらい感じです。
ちょっとワタクシのイメージする謙信とは違いすぎるわ~GAKUTOとか想像してませんよマジ全然。
でももうちょっとキリッとしているというか、凛々しい感じというかそういうの欲しいっす。




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| 武将の銅像 | 21:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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米沢城址の上杉景勝と直江兼続の銅像

[武将] ブログ村キーワード

山形県の上杉神社(米沢城址)には上杉景勝と直江兼続の仲良し銅像があります。

米沢 上杉神社 景勝と兼続銅像

神社参道の右側に建っています。この場所には他に上杉謙信の銅像もあるのですが、
なんとこの2人、謙信公を差し置いて、それより前の目抜き通りに建ってるんですよ!!
タイトルは「天地人 上杉景勝公と直江兼続公 主従像」大河ドラマ記念の建立だそう。


米沢 上杉神社 景勝と兼続銅像

兼続君は小脇に「愛の前立兜」を抱えちゃってます。確実に主の景勝君より目立ってる。
まぁ天地人は直江兼続の話で、その記念の銅像だから別にいいっちゃいいんですけどw

ワタクシは大河ドラマは見ないので「天地人」の銅像として特に思い入れることはないんだけど、
戦国武将の銅像マニアとしては、演じている俳優さんに似た銅像じゃなくてよかったわ~と
見た瞬間、それは普通に思いました。次に二人とももう少し若くてもよかったかもな~と。


米沢では謙信公より景勝公、そして景勝公より鷹山公の方がさらにさらに人気がある様子。
立ち位置や銅像の数からそんな気がしました。謙信公と鷹山公の銅像は後日ご紹介します!



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| 武将の銅像 | 15:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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春日山城の上杉謙信の銅像

[上杉謙信] ブログ村キーワード

春日山城の春日山神社入り口には上杉謙信の銅像があります。

春日山城 上杉謙信の銅像

上越市内を見下ろす軍神・・かっこよすぎて、これだけでご飯が4杯は行けそうですΣ(゚Д゚)!
埼玉から4時間も車を走らせた早朝、駐車場になってるここに到着した瞬間、謙信のお出迎えよ。
居城だった春日山城に登城する前からアドレナリンやら何やら色んなものが出そうな勢いです。


春日山城 上杉謙信の銅像

ゲームやGAKUTOの謙信をイメージしてちゃいけません。ワタクシこの銅像イメージ近くて好きです。
加えてこの銅像の素晴らしいところは設置された場所。中途半端な手の届くお立ち台じゃなくて、
下々のワタクシたちには手の届かないところにいるってのが軍神らしさ倍増で非常によろしいのよ。


春日山城 上杉謙信の銅像

立ち位置、ポージング、目線の配り、軍神らしさ・・騎馬じゃなくても星三つ!! 
まぁ強いて言うなら、もう少~しスリムでもいいのかな~ってところかしらw
謙信の銅像は今のところ八幡原史跡公園の信玄との一騎討像かこの春日山のが一番!!
米沢城址(上杉神社)にもありますが、それはもっとでっぷりしていて好みじゃありませんw

余談ですが謙信の銅像は他にもまだ未確認のものが3~4はあります。そのうちウォッチしてきますw

春日山登城の際はどんなルートで回ろうと、絶対のこの場所だけは見逃さないでください!!


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| 武将の銅像 | 01:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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駿府城の徳川家康の銅像

[徳川家康] ブログ村キーワード

駿府城公園の本丸跡には徳川家康の銅像があります。

駿府城 徳川家康の銅像

今川氏の人質としてこの駿府に19歳までの12年間、暮らしていた家康さん。
家康さんの銅像は主だったものだけでも岡崎城、静岡駅前、浜松城と他にもありますが、
この駿府城公園のは天下を取って大御所、そして神君となった貫禄たっぷりな銅像です。
岡崎城の銅像は同じ晩年でも何となく年寄くさいから、こっちの方がよろしいなw


駿府城 徳川家康の銅像

今川の人質だった子供の頃から鷹狩りを始めたという家康さん。肥えてる印象があるけど健康オタクだったから
多分、実はそうとう筋肉質だと見ます。ちなみに浜松城にある銅像はもう少し若くてスマートw


駿府城 徳川家康の銅像

ワタクシ、数ある家康さんの銅像の中で、ここ駿府城公園にあるのが一番イメージ近くて好きです。
家康さん、左側からの角度の方が決まって見えますねw 駿府城登城の際はお見逃しなく!! 


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| 武将の銅像 | 19:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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熊本城の加藤清正の銅像

[加藤清正] ブログ村キーワード

熊本城の行幸橋近くには加藤清正の銅像があります。

熊本城 加藤清正の銅像

ワタクシが一番ときめいた銅像です。加藤清正の銅像は熊本市内だけで他に2体、
それ以外に名古屋城や中村公園にもありますが、清正の銅像としてもこれが一番!
そして銅像としてもウルトラスーパー完璧なものの一つだと思っています!!

いつもは「騎馬で2割増」とか言ってるけど、この佇まいならむしろ馬なんかいなくてよし!
賤ヶ岳の七本槍から54万石まで上り詰めた男の、武将の生き様がビシビシ表現されてる。


熊本城 加藤清正の銅像

実はワタクシこの時は熊本に出張で来ていました。清正公に会う前日の朝は4時起きで飛行機、
熊本城を横目に1日中、市内を仕事でかけずりまわり、接待終わったのが午前様で2時就寝・・。
2日目だって仕事がある・・せっかく人生初熊本なのに仕事で見られないなんて生き地獄よ!!
なので根性で朝5時起床。そして日の出を待って鼻息荒く、熊本城に行った次第w

ホテルのフロントがやっていなかったので、どこにいるかも分からないくせにタクシーを探し、
「清正公の銅像のところまでお願いします!!」と伝え、待つこと10分。

写真を眺めている時から、これぞ清正!これぞパーフェクト銅像!と萌えていましたから
ようやく会えた清正公に思いもひとしお。早朝で誰もいないので見とれてしまいました。


熊本城 加藤清正の銅像

清正は父親を早くに亡くし、9歳で秀吉の小姓になりました。賤ヶ岳の戦いで「七本槍」の1人に数えられ、
以降、数々の武功を立てると、天正16年、肥後北半国19万5000石の領主となって領地経営に力を注ぎます。
文禄・慶長の役では朝鮮に渡り主力部隊として7年間戦い、54万石の大大名となって熊本城を築城しました。

勇猛で戦上手な武将であると同時に、政治手腕も築城技術もあった清正。
仁智勇を兼ね備えた感じ、ワタクシは三国志の関羽のイメージを持っている。

地元の人に今もとても愛されているようで、載せてきてくれたタクシーの運転手さんはじめ、
熊本で仕事中に会った誰に聞いても、次から次へと清正公の自慢をきかせてくれました。
ワタクシなんか埼玉で北条支配ながら支城ですからね、自慢の殿様いるのが羨ましい限り。


熊本城 加藤清正の銅像

後ろ姿ももれなく撮っちゃうわよ!! ああ・・かっこいい。膝の上に座りたいです。

清正と言えば長烏帽子形の変わり兜。高さが70センチくらいあったんだとか。
兜は黒漆が塗られた上に銀箔が押され、両側面には朱で日輪。
清正は大柄だったというから、戦場でひときわ目立っただろうね。


熊本城 加藤清正の銅像

別にリアル清正じゃないけど、ワタクシたぶんガン見する目がハートだったと思います。
鐘馗髭はありませんが、思慮深そうな、そして大音声が出そうな迫力のあるお顔のつくり。
銅像を作った彫刻家さんのセンスに感謝せずにはいられないわ!!


熊本城と清正が好きで熊本城の一口城主になっているワタクシ。
結局、この出張中、仕事をまいて2時間ほど駆け足で登城することはできたんだけど、
そんなんじゃ満足できるわけがなく、他の清正公の銅像や菩提寺参りも含めて、
次に行く時は熊本に住民票置くか迷うくらい居つく覚悟での登城を目論んでいます。

威風堂々・・・熊本城の清正公マジかっこよすぎです。




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| 武将の銅像 | 21:22 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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信玄VS謙信の龍虎一騎討ち像

長野県の八幡原史跡公園には武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像があります。

信玄VS謙信 一騎討像

この一騎討ち像は昭和44年に放映された大河ドラマ「天と地と」を記念して建てられました。
永禄4年(1561)の川中島の戦いにおけるクライマックスシーンが再現されたものです。
八幡原史跡公園からほど近い「典厩寺」にある武田上杉両雄合戦之碑に書かれた絵が元ネタ。

実際にはあったとかなかったとか、あってもこういうんじゃなかったとか色々言ってるけど、
ワタクシは学者じゃないから100%分かってること以外、基本は自分的歴史ロマン優先で考えるわよ!!


信玄VS謙信 一騎討像

紺糸縅の鎧に萌黄緞子の胴肩衣、金の星兜に立烏帽子白妙の練絹で行人包、
長光の太刀を抜いて名馬放生の上から斬りつける謙信・・・気迫が伝わるわぁ(はあと)


信玄VS謙信 一騎討像

諏訪法性の兜、黒糸縅の鎧の上に緋の法衣、軍配で受ける床几上の信玄・・・濃いわぁw

それにしてもすっごいレベルの高い銅像よね~躍動感があって世界観が表現されていて
信玄にしろ謙信にしろ、万人がイメージする通りの雰囲気が出ていて。見惚れてしまいます。


信玄VS謙信 一騎討像

謙信は3度切りつけたと言われているんだよね・・・・・見惚れながら3Dで脳内再現中


「いやぁーーっ!」
「ぬ!」
「いやぁーーっ!」
「ぬっ!」
「いやぁーー!」
「ぬぅーっ!」


戦国最強軍団の大将同士の渾身の一騎討ちだもの。言葉少ながいいと思って。
「信玄覚悟!」とか「おのれ謙信!」とか妙に芝居がかってたらイヤじゃない?


松代(海津)城への登城や川中島出陣の場合はもちろん、善光寺参りなどの際ももれなく
「八幡原史跡公園」に寄ることをお勧めします。見ておいて絶対に損はない迫力ですものw



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| 武将の銅像 | 11:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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川越市役所前の太田道灌の銅像

[太田道灌] ブログ村キーワード

埼玉の川越市役所前には太田道灌の銅像があります。

川越市役所 太田道灌の銅像

川越市役所は川越城大手門跡にありますが、碑がなきゃわからないくらい普通の交差点前です。
なので道灌さんの銅像はとても目立ちます。遠目に見て早くもバランス悪いのが気になりましたw

光秀の銅像勝頼の銅像秀吉の銅像・・頭がデカいとか手足のバランスが悪いのはどうも・・(´Д`)
銅像ってのは全く違和感感じない(イメージに近い)のと、「おや?」っつうのと2種類ありますね。


川越市役所 太田道灌の銅像

写真でしか見たことないけど日暮里駅前やさいたま市にある騎馬の銅像は堂々として英雄らしさ満載なのに。

太田道灌は室町時代の武将で扇ガ谷上杉家の家宰として、関東平野を駆け回り負けなしの戦歴を誇る
文武両道の名将と言われ人望も厚かったそうです。道灌の活躍で扇ガ谷上杉家は関東管領山内上杉家を
凌ぐ勢いになると、恐れた山内上杉顕定は「道灌が謀反を企てている」と扇ガ谷上杉家正に讒言。
道灌はその言葉を信じた主君家正に糟谷の館(伊勢原市)に招かれ暗殺されました。享年55歳。

道灌は死に際「当方滅亡!!」と叫んだという。(扇ガ谷上杉もこれまでという意味)
その後、両上杉家は何度も戦いを重ね、最後は北条氏の前に滅んでしまいました。

アフォな主君に仕えると尽くしてやっても馬鹿を見ちゃうね・・
下剋上の世の中、道灌さん謀反した方が世のためにはむしろよかったかもw

文武の他、築城の才もあり、江戸城・河越城・岩付城の縄張もした太田道灌。
川越市開府の始祖と仰がれて川越市役所前に今こうして銅像があるそうです。


川越市役所 太田道灌の銅像

ワタクシは生粋(?)の埼玉っ子。心も思いも常に戦国が激熱だった西を向いていますが、
限られた貴重な埼玉の有名武将・・畠山さん北条さん、そしてこの道灌さん・・
城はもちろん、銅像や墓についても引き続き地味に食いついて行こうと思っていマスw




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| 武将の銅像 | 13:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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畠山重忠公史跡公園の畠山重忠の銅像

[畠山重忠] ブログ村キーワード

埼玉県の畠山重忠公史跡公園には畠山重忠の銅像があります。

畠山重忠の銅像

戦国からさかのぼりますが、ワタクシけっこう気質が武闘派なのでお上品な平家より源氏好き。
なので鎌倉武士・・特にこの畠山重忠さんなんか大好きなんです。

畠山重忠さんは源頼朝の信頼が厚かった御家人。武蔵七党の一つとして千葉常胤と共に頼朝を助け、
木曾義仲追討では先陣を務めてこれを破り、義経に従って平氏討伐にも参戦。
文武両道で忠誠心の厚い、これぞ坂東武者!の見本のような素敵な武士なんです。


畠山重忠の銅像

一の谷合戦の鵯越(ひよどりごえ)の逆落しの際、自分の愛馬三日月を背負って斜面を降りたという
有名なエピソードが残る重忠さん。普通に考えたらありえないから、せいぜい馬を降りて労わりながら
降りたんだろうけど、強くて人柄がよく、慕われていたからこそ残る逸話なんだろうと思います。

ワタクシは平安末期から鎌倉時代のことは戦国ほど覚えた知識や興味があるわけじゃなかったのですが、
地元埼玉は戦国ターゲットで見ると北条だらけで西に比べて面白みはないけど、時代をさかのぼると
鎌倉街道あり、新田義貞ゆかりの地あり。でもって登城で足利氏館や菅谷館に行ったりするうち、
畠山重忠さんを知り、知れば知るほど惚れ込んでしまった次第。そしたらなんと名前の付いた公園が
埼玉にあるというから、思い立ってすぐ行ける埼玉県民でよかったと珍しく心の底から思ったわw


畠山重忠の銅像

ワタクシ銅像の採点は騎馬で2~3割増の計算ですが、これを見ると馬背負いもアリですねw
この銅像かっこいいよね。ビビッて腰が引けてる馬の様子もよけりゃ落ち着いた風格の重忠さんもいい!

重忠さんは6尺3寸も身の丈があったと言います。強い!人望がある!かしこい!戦上手!
加えて押し出しのある堂々たる体躯だったら文句なし! ツボにどんぴしゃなんだわ~


畠山重忠ロボ

ちなみにこちらは埼玉県比企郡の菅谷館がある資料館内のロボ重忠君Σ(゚Д゚)!

大鎧で坂東武者の風格漂わせながら、目の前に立つとギシギシ妙な音をさせながら身振りを交え、
重忠さんが生きた鎌倉時代の武士の生き様~な話を聞かせてくれるんです。

誰もいない展示室・・・せっかく話してくれるのに何だか悪くて重忠さんの一代話、
ついつい最後まで聞いてしまったワタクシなんて人がいい!!(笑)

人望の厚い御家人だったと言われる重忠さんらしく、北条氏に騙し討ちされた
非業の死について自らは何も語らなかったところがまたナイス!

ワタクシこのロボ重忠君に毒気を抜かれて、菅谷館跡の郭や土塁を見ながら
肝心な銅像を見逃してきてしまいましたww 絶対また行かなけりゃ!!

畠山重忠公史跡公園内にはお墓もあります。さらに近くには満福寺という菩提寺もあります。
長くなるからそれはまた別のエントリーで紹介したいと思います。


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| 武将の銅像 | 20:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大垣城の戸田氏鉄の銅像

大垣城のある大垣公園内には戸田氏鉄の銅像があります。

大垣城 戸田氏鉄 銅像

イケてる感は「騎馬で2割増」のはずなのですが・・すいません、あなた誰?って感じです(´Д`)
戸田氏鉄(とだうじかね)と読みます。そもそも大した知識があるわけではありませんが、
それにしてもまったくワタクシの記憶の中に名がない武将 戸田さんです。

調べてみると大垣城の大垣戸田藩の初代藩主で、維新まで230年余続く大垣藩の藩祖のようです。
近江膳所城主である父の跡を継いで城主となり、関ヶ原、大阪の陣を経て最終的に大垣10万石へ。


大垣城 戸田氏鉄 銅像

譜代大名で10万石なんて相当のものよ。四天王と言われた本多忠勝だって10万石だったんだから!
天正17年くらいに家康の近習になって、文禄の役の頃には従五位下采女正になったそうですが、
戸田さんどんだけのスピードで出世したんだ! というよりどんな功でマッハ出世をしたんだ!
名前もそうですが、活躍の次第がよく分からないところが謎すぎて気になって仕方ありません。

それまで藩主が入れ替わりまくっていた大垣は、戸田氏鉄が藩主になって藩政が安定。
治水や新田開発、教育などにも力を入れた戸田氏鉄は地元のヒーロー。銅像が建ちました。



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| 武将の銅像 | 22:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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北の庄城跡の柴田勝家の銅像

[柴田勝家] ブログ村キーワード

越前北の庄城跡には柴田勝家とお市プラス三姉妹の銅像があります。

北の庄城跡 柴田勝家の銅像

北の庄城跡は現在、北の庄城公園になっていて柴田勝家とお市さんを祀った柴田神社も建てられています。
その北の庄城公園のど真ん中で柴田のオッサン・・もとい、柴田勝家が睨みを利かせております。

信長が若い頃には信長の弟、信行に肩入れして信長排除を画策、一時は信長と争いながら、
戦いに敗れて剃髪して降伏。それが許されたのも信長の後年にはあり得ないミラクルΣ(゚Д゚)!

六角氏に兵糧攻めを受けた時は、残りの水を兵士に分けた後、水瓶を叩き割って出撃したため
「瓶割り柴田」などとも呼ばれ、勇猛で猪突猛進、戦以外の細かいことに頭が回らないみたいな
イメージの武将ですが、お市さんが添い遂げたくらいだし、小説やドラマで作られたイメージより
実際は豪快ではあるけれど、非常に気持ちの優しい気配りのできる人だったのではと思います。


北の庄城跡 柴田勝家の銅像

ワタクシ親しみを込めて、柴田勝家のことを「柴田のオッサン」と呼んでおります。
無骨一辺に語られることが多い武将ですが、個人的には不器用だけど暖かい優しい人だと思っていて。
どう贔屓目に考えてもイケメンでもないし品もないだろうけど、人間的な魅力がありますね。

この銅像はちょっと小柄でワタクシのイメージする「鬼柴田」感が少し足りない気がしてマス。
顔ももうちょっと・・豪快でいかつい雰囲気があったらよかったな~なんて思ったりw


北の庄城跡 お市さんの銅像

北の庄城の片隅にある柴田神社の鳥居をくぐったところにはお市さんの銅像もあります。

お市さんは天正10年(1582)10月、柴田勝家に嫁ぎますが翌年4月24日、北の庄城は落城。
勝家は娘と共に城を出るよう諭しますが、お市の方は娘3人を秀吉の陣に送った後、
勝家と静かに盃を交わし、辞世の和歌を残して自害したと言われています。

「さらぬだに うちぬる程も夏の夜の 夢路を誘う ほととぎすかな」

短い夏の夜の眠る頃合いだというのに、別れをせかすようにほととぎすが鳴いています・・

お市さんの辞世の句です。今風に言ったらこんな感じの雰囲気なんじゃないかしら・・。
1年と満たない結婚生活ながら夫とともに自害する道を選んだお市さんの心中はいかばかりか。

「夏の夜の 夢路はかなき跡の名を 雲井に揚げよ 山ほととぎす」

そしてこれが柴田のオッサンの辞世の句。無骨なだけじゃないことがうかがえる句だと思います。


北の庄城跡 浅井三姉妹の銅像

お市さんと少し離れて茶々、初、江与・・浅井三姉妹の銅像もあります。
茶々が伸ばした手は、義父勝家とと母の市が残る北の庄城に心を残す様子を表現したものかしら?


北の庄城跡 柴田勝家ファミリーの銅像

5人の銅像の位置関係はこんな感じ・・なんでお市さんを柴田のオッサン側にしてあげなかったの?
それでなきゃ、せめて娘3人と同じところにするとかね。お立ち台スペースの関係かと思いますがw


北の庄城は結城秀康の福井城築城に際し取り壊され、現在の公園には目立つ遺構はありませんが、
柴田のオッサンとお市さんに思いを馳せに、近くに行った際はぜひ立ち寄ってみてください。



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| 武将の銅像 | 19:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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長浜城天守跡の豊臣秀吉の銅像

[豊臣秀吉] ブログ村キーワード

長浜城の天守台跡(豊公園)には豊臣秀吉の銅像があります。

長浜 豊臣秀吉の銅像

元は「今浜」と言ったこの地を信長に与えられた秀吉が、信長の一字をとって「長浜」に改称し、
城下町を作りました。江戸時代、伊井家の領地となって長浜城は廃城となりましたが、
秀吉によってつくられた城下町ということで未だ、【秀吉ラブ】が強い土地柄なんだそうです。
歴史博物館となっている模擬天守の目の前にある天守台跡に秀吉さんの銅像が建てられています。


長浜 豊臣秀吉の銅像

大阪城内の豊国神社にある秀吉像を見た時にも、銅像としては素晴らしいケド何かイメージ違うわ~
なんて思ったけど長浜に来てまた違った秀吉像を見て、その思い「さらに倍!」みたいなΣ(゚ロ゚;)
大阪城にある銅像より年齢的にも外見的にも太閤イズム満載なのに風格よりもどことなくファニーww


長浜 豊臣秀吉の銅像

ワタクシ色んな銅像を見て何となくわかってきました。頭デカ目な銅像はワタクシ的にしっくりこない!
近いうち、名古屋にある秀吉の銅像を見に行くつもりだけど、秀吉の銅像は期待できない気がしてマスw

ちなみにワタクシが長浜を訪れたのはゴールデンウィークの夕刻、西日の時間。
綺麗に銅像を撮りたい場合はあまり遅くない時間の方がいいのかもしれません。


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| 武将の銅像 | 20:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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津城にある藤堂高虎の銅像

[藤堂高虎] ブログ村キーワード

津城の本丸跡には藤堂高虎の銅像があります。

津城 藤堂高虎の銅像

ワタクシ的に激しくイケてる銅像です。騎馬というだけでまず2割増。イメージ通りで3割増しの計算w
躍動感があるわけじゃないけど、ワタクシの想像する在りし日の姿どおり。迫力もなかなかなものです。


津城 藤堂高虎の銅像

藤堂高虎はワタクシの好きな武将ベスト10に入る。力が強い、本職である戦がうまい、
築城とか内政、外交など戦う以外の能力にも長けている、知性が感じられる、品が感じられる他、
文学や茶の湯、能楽や句など文化人な一面と押しだしのある堂々たる体躯だったら武将として文句なしw


津城 藤堂高虎の銅像

遠目で惚れ惚れなのでガン見・・「やだ~かっこいぃ~」ってギャル風のじゃなくマジにかっこいいっす!

藤堂高虎といえば うさ耳 黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬりとうかんなりかぶと)。
身長が6尺2寸(約190㎝)もあったという高虎、銅像でも迫力だから戦場では相当目立ったわね。


津城 藤堂高虎の銅像アップ

顔のディテールまで相当イケてる銅像なのでアップもお楽しみくださいw

主君を何度も変えたとか家康に急速に接近とかイヤな感じに書かれることもあるけど、
伝わっている逸話やエピソードなどを見聞きすると、高虎は人となりがよく分かる武将。

放浪時代に餅屋で無銭飲食をした時、故郷に帰って親孝行しろと路銀を恵まれたことを忘れず、
大名に出征してから参勤交代の際に立ち寄って餅の代金を返したという話が残っていたり、
高虎が生前に遺した数々の教訓を家臣がまとめた遺訓二百か条を見ても納得なことも多く。

朝起きた時から今日は死ぬ番だと常に死を覚悟していれば心が動じることはない。

使っている者に良い者悪い者はない。それぞれの長所を見出して使えば人に屑はいない。
できない事を申し付けるからいけない。

ワタクシ死は覚悟しませんが、腹を括って仕事をしてますので非常に納得。
部下を持つ立場としても「馬鹿とハサミは使いよう」的理論にも非常に納得。

松下幸之助も似たようなこと言ってるので高虎も経営手腕すごかったのだと思う。


津城 藤堂高虎の銅像

藤堂高虎の銅像はワタクシがまだ未攻略の四国・今治城にもあることはリサーチ済みですが、
そちらは騎乗でも晩年の姿らしくノーノーヘアのようなのでワタクシ的にはこちらがベストということでw


津城に立ち寄った際は残っている石垣とともに、どうぞ忘れず藤堂高虎の銅像をご覧ください。


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| 武将の銅像 | 22:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大阪城内豊国神社の豊臣秀吉の銅像

[豊臣秀吉] ブログ村キーワード

大阪城内の豊国神社には太閤 豊臣秀吉の銅像があります。

大阪城 豊国神社 秀吉の銅像

戦前には大阪中之島に建っていたという秀吉の銅像。戦争中に金属供出されてなくなってしまい、
その後、ずいぶん経った2007年になって、現在の大阪城内にある豊国神社内に再建されました。

中村晋也さんという彫刻の第一人者と言われる方の作品で文化勲章受賞作なんだそうです。
高さは台座を入れて5メートルくらい。豊国神社の大鳥居の前にあるので非常に目立ちます。


大阪城 豊国神社 秀吉の銅像

秀吉さん、具足に陣羽織姿で五三の桐が入った軍配を手に何やら非常に勇ましげな風情です。
でもこんなカッコで戦にバンバン出ていた頃よりずいぶん年は食っちゃってるな・・という感じで。
陽気な人たらし、人気者の太閤さんというイメージとはちょっと違う・・・もしやダークサイド秀吉?

写真がある近現代の偉人や普通の人体彫刻と違って、武将って人それぞれイメージがあるから難しいわね。
ワタクシは別に秀吉贔屓じゃないけど、やっぱり秀吉は人の良さがデフォルメされてる方がいいなぁ。




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| 武将の銅像 | 14:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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甲斐大和駅の武田勝頼の銅像

[武田勝頼] ブログ村キーワード

山梨県の甲斐大和駅前ロータリーには武田勝頼の銅像があります。

勇ましさ全く足らんです
甲斐大和駅 武田勝頼の銅像

JR中央本線 甲斐大和駅の小さな駅前にある、これまた小さなロータリーの片隅に建つ勝頼さん。

甲府駅前に鎮座するオヤジさんとは大きさも決めポーズもあまりに差があるの何だか気の毒。

普通に考えると太刀に手をかけ、軍配をかざす姿は勇ましいはずなのに、腰の据わりが足らんのか、
手足の長さが変なのか・・・むーん。ひょうきんに見えなくもないところが何だかとっても物悲しい。


風林火山の折れっぱなし放置はやめて
甲斐大和駅 武田勝頼の銅像

多分、地元のロータリークラブとかで建てた銅像だと思うんだけどスタイルは今さら仕方ないとして、
せめて折れた旗だけは何とかしてあげて!! 風林火山が泣いていますよ・・・(ノд-。)

甲斐大和駅は勝頼と北条夫人のお墓がある景徳院の最寄駅です。
すでに痛ましすぎる匂いを感じつつ、ワタクシは景徳院に向かいました。


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| 武将の銅像 | 14:08 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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甲府駅前の武田信玄の銅像

[武田信玄公像] ブログ村キーワード

山梨県の甲府駅前には武田信玄の銅像があります。

銅像にしてこのド迫力!!
甲府駅 武田信玄の銅像

どっしり腰の据わった感じはまさに「御館様」。さすが「動かざること山の如し」。
脂ギッシュ エネルギッシュさと貫録が表現されたこの銅像はホント素晴らしいと思います。


甲府城とセットでどうぞ。
甲府駅 武田信玄の銅像

この素晴らしい信玄の銅像は甲府城のある側の甲府駅前で見ることが出来ます。
甲府城の石垣も素敵なので武田信玄の銅像と必ずセットでお楽しみくださいw



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| 武将の銅像 | 09:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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越前大野城の金森長近の銅像

越前大野城の本丸前には金森長近の銅像があります。

小さいおじいちゃん
越前大野城 金森長近

銅像を見つけた一瞬、ヨーダを思い浮かべましたよワタクシ。いっぱしのメジャー武将なのに・・
だって信長の赤母布衆のひとりよ? でもまだ岐阜にいた頃の話じゃダメなのかもしれないね。

金森長近さんは結構すばしっこい人です。気を見るに敏というタイプですかね。
賤ヶ岳では勝家を見捨て、秀吉側にいたと思えば関ヶ原では東軍として参加。
この銅像は晩年の老獪な政治家チックなところを表現しているのかもしれませんねwww



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| 武将の銅像 | 02:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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津山城の森忠政の銅像

津山城には森忠政の銅像があります。

どすこいどすこい
津山城 森忠政

森忠政さんは森可成の6男。鬼武蔵の異名を取った長男の長可は小牧長久手の合戦で戦死、
蘭丸・坊丸・力丸の3人の兄も本能寺で戦死。で結果、森家を継ぐことになった人なのです。

忠政さんが森家を継いだのは幼少の頃。幼少だからと領地の一部を召し上げた石田三成を
恨んでいたらしく、関ヶ原では徳川方へ。秀忠軍として信州上田攻めに加わっていましたが、
戦後には美作18万石へ移封。初代藩主として津山城を築きました。

そんな忠政さん・・・なんでこんな銅像にされちゃったんだろう? 
鬼武蔵と呼ばれた兄の激しさなし。イケメン蘭丸の面影皆無・・どう見てもおすもうさん風よ。


銅像を作った人のイメージなのか、発注主の好みなのか・・謎は深まるばかりです。



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| 武将の銅像 | 02:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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上田駅前 真田幸村の銅像

上田城からほど近い上田駅前のロータリーには真田幸村の銅像があります。

歴女とあわやバトル勃発?
上田駅 真田幸村の銅像

言わずとしれた悲運のヒーロー真田幸村君。昔々・・戦国の当時から人気があった武将ですが
赤備えでイケメンに描かれた戦国無双のゲームでさらに女性ファン層を広げ、絶賛人気爆発中!!

上田駅というのがすごいんです。写真にあるような六文銭多様くらいなら町おこしでいいけれど、
戦国無双かBASARAのキャラ旗なんぞニョキニョキ立てて幸村をビジュアル系にのし上げているw
だからというわけじゃないんだろうけど、ギャル風の歴女さんが銅像の前で写メ大会を繰り広げ、
幸村君の銅像をピンで、好きな角度で撮りたいワタクシは待っている間、マジギレ寸前ヽ(`Д´)ノ

やだ~かっこいい~!! ちょっともう1枚一緒に撮ってぇ~★

みたいな感じで入れ違い立ち代り続く続く・・・

次の予定もあり先を急いでいたワタクシはアラフォーの図々しさ全開で一言。

「すぐ済むから先に1枚撮らして」で、瞬殺してその場を立ち去りましたとさw

どう考えても8頭身のアニメキャラより、この銅像の方がリアルにかっこいいと思うのだが。


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| 武将の銅像 | 01:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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新発田城の溝口秀勝の銅像

新発田城の本丸表門を入ったところには溝口秀勝の銅像があります。


新発田城 溝口秀勝の銅像

溝口伯耆守(ほうきのかみ)秀勝は新発田初代藩主。
藩主に恐れ多いからと当時の人は箒(ほうき)のことを「なで」と呼んだのだとか。

溝口秀勝さんは丹羽長秀に仕えていたところ信長の直臣に取り立てられて地道に頑張り、
慶長3年(1598)秀吉の命により、加賀大聖寺から6万石の新発田に入封。
関ヶ原で東軍について家康から領地安堵され、1610年この地で亡くなったそうです。

近くのお寺にお墓があるというのに新発田城や隣の自衛隊の敷地にばかり気を取られ、
詳しく知らない溝口秀勝さんについて写真1枚でうっかりスルーしてしまいました。

地元では今でも大変人気があるお殿様だそうですよ。



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| 武将の銅像 | 01:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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坂本城跡の明智光秀の銅像

[明智光秀] ブログ村キーワード

滋賀県の琵琶湖のほとりにある坂本城跡の一角には明智光秀の銅像があります。

ちょっぴり様子がおかしいようです
坂本城 明智光秀の銅像

ルイスフロイスが「安土城にも並ぶ美しい城」と書いた坂本城ですが今は遺構もほとんどありません。
公園としてひっそりと残る坂本城公園の一角に立つ光秀さんの銅像・・どうもイケてません。


しげしげと眺めてみました
坂本城 明智光秀の銅像

少し離れてしげしげと眺めてみました・・・む~これはどう見てもスタイルが悪すぎる!!
立ってる場所も佇まいもとってつけたような感じだし、信長がマイフォーエバーカリスマながら、
光秀も何気に好きなワタクシとしては、この銅像を見てかなり気の毒に思いました。


何もかもがダメ
坂本城 明智光秀の銅像

スタイルだけじゃなく、よく見たら着てるものも何だか変。甲冑なのかなんなのかハッキリして。
だいたい他の銅像と違って甲冑にしても立体感がなさすぎなのよ。立体感と言えば顔だってのっぺり。
朝青竜とかっぽくない? なんか日本人ぽくないのよ。作った人に悪いけどこれはひどすぎる。


イメージを壊さないことが大切
坂本城 明智光秀の銅像

騎乗でさっそうとした姿とか、品ある智将イメージを大事にした佇まいとか・・
戦国時代きってのビッグネーム光秀なんだから、もっとイケてる銅像を激しく希望シマス。



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郡上八幡城の山内一豊と千代の銅像

郡上八幡城の駐車場には山内一豊と千代の銅像があります。

日差し強すぎて色飛んじゃってますけど・・
郡上八幡 山内一豊と千代

山内一豊は今さら説明するまでもなく、関ヶ原前の小山会議で一番に徳川につくと表明した上、
掛川城も差し出すと言って、本番の戦いで武功がなくても24万石を得た武将。妻は賢妻と名高い千代。
嫁入りの時に持ってきた10両で夫一豊のために名馬を買い、信長の目を引いたというエピソードは有名。
近江八幡城の中には千代の良妻賢母ぶりや内助の功を称える展示が数多くありました。

一豊が凡将と言われながら土佐24万石の大名になれたのは妻を大事にして妻を信じたからじゃない?
この時代に後継ぎがいなくても側室も持たず妻一筋。それはそれである意味すごいことかなと思ったりw



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