武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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逍遥院の武田信廉の墓

甲府市の逍遥院には武田信廉の墓があります。

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住宅街に溶け込んだ山門。車でうっかり通り過ぎそうになってしまいました。


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こちらのお寺では案内とかもなく、事前に調べてなかったら見つけられなかったかもな。
場所は本堂左に行ってすぐ。正確には墓じゃなく祠なんだって。


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武田信廉は信玄の末弟で武田二十四将の一人。
信玄と姿が似ていたことから影武者を務めていたとも言われます。

勝頼の代には飯田城代や大島城代などの重要拠点を任され、
天正3年(1575)には長篠合戦にも参陣。一族の重鎮として支えましたが、
天正10年(1582)、織田徳川による甲州侵攻が始まると甲斐に退却するも、
後に織田軍にとらえられ、甲斐府中で処刑されました。享年51歳。


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絵画が得意な人で「絹本著色武田信虎像」や「武田信虎夫人像」など
現存するいくつかは、国重要文化財に指定されてるほどの腕前。

信玄の死後、追放されていた父信虎を引き取って世話したというし、
ヘタレじゃないにしても武人には向かない優しい人だったんだろうなぁ。




近くには甲斐善光寺や東光寺など武田史跡が目白押しです。セットで是非!


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| 武将の墓 | 15:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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塩山駅北口の武田信玄

山梨県甲州市の塩山駅北口に信玄公の銅像があります。


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塩山駅は信玄のお墓がある恵林寺の最寄駅。
ロータリ前の通りからの遠目だと、思ってたのよりだいぶ小さく見える。


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甲府駅前のどっしり濃いやつと違って、鎧兜なしの入道姿。なんかかわいいw
塩山ライオンズクラブ寄贈で、長谷川等伯の書いた画を元に造られたんだって。


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佇まいがちょっとかわいいと思ったけど、アップで見たらやっぱ濃い!!
信玄の雰囲気がちゃんと表現されて、武将銅像レベルも高めだと思いました。


コレ見たら次は恵林寺 信玄の墓参りをするざます。


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| 武将の銅像 | 17:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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長久手古戦場の秀吉方武将討死の地

長久手古戦場跡周辺には秀吉方武将討死の地が残っています。

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古戦場公園で資料館を見て、マップをもらうと効率よく回れます。


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まずは公園内にある勝入塚。池田恒興(入道して勝入と号した)が討死した場所です。

信長の乳兄弟だった恒興は小牧・長久手の戦いで秀吉に味方し、
家康の本拠地である岡崎への中入を進言して自ら軍を率いて侵攻しますが、
途中の岩崎城攻めに手間取り、家康軍と激突、死闘の末討死しました。享年49歳。


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次は勝入の反対側にある勝入の長男、池田元助討死の地。
父勝入とともに奮戦の末、討たれました。享年26歳。庄九郎は元助さんの幼名。


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お次は公園から少し歩いて武蔵塚へ。恒興の娘婿でもある森長可討死の地です。
鬼武蔵と呼ばれる勇将でしたが、奮戦中、井伊隊の銃弾に斃れました。


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最期は勘解由塚。この場所わかりづらかった。大通り沿いで車だと通りすぎちゃってw

木下勘解由は岡崎侵攻の総大将、三好信吉(後の三好秀次)の家臣で、
家康軍と闘って、徒歩で逃げてきた信吉に自分の馬を与えて逃がし、
自身は兄木下助左衛門祐久とともに戦って討死した忠義の人ですよ。

そもそも走って逃げてくるみっともない信吉も「おいこら!」って感じだけど、
最初に可児才蔵に馬を貸せと頼んで断られてからの~地獄で仏の勘解由ですからね。

涙が出そうになります。ワタクシ心から合掌しました。


近くの常照寺には池田勝入と森長可のお墓もあります。お見逃しなく。



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| 武将の討死地 | 14:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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興徳寺の蒲生氏郷のお墓

会津若松市の興徳寺には蒲生氏郷のお墓があります。

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興徳寺は大通りを入った商店街の奥にあって少々分かりづらかったよ。

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境内は狭いので奥に進めば目指すところはすぐ見つかります。

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利休七哲の一人だった氏郷さんの辞世の句は評価が高いんだって。

~限りあれば 吹かねど花は散るものを 心短き春の山風~

花はいつか散るのに春の山風はこんなにも短気に散らすものよ・・・って(泣)

悟りの境地だよ。40歳で無念だったろうけど、そういうの全然におわない。

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墓所に行きます。右側には氏郷公顕彰碑やお墓の説明、肖像画なんかもあります。

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氏郷死去の翌年、子の秀行が建塔した五輪塔で遺髪が納められています

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司馬遼太郎の「街道をゆく」で「姿が実にいい」と書かれている五輪塔。
当時は霊屋もあったんだけど、戊辰戦争で燃えちゃったんだって・・泣

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お墓の後ろでは氏郷が建てた頃の鶴ヶ城七層天守も見られます。


市内には子の秀行、孫の忠郷のお墓もあります。蒲生三代セットで!



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| 武将の墓 | 10:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大輪寺にて甘利昌忠の墓参り

i韮崎市には武田家臣甘利昌忠のお墓があります。

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せっかく韮崎武田めぐりに来たなら大輪寺にも立ち寄らないとね。

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甘利昌忠のお墓は本堂左手奥を入った正面墓域内にあります。

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センターのは昌忠の三男で父を開基として大輪寺を創建した慶受院日国聖人の墓碑。

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甘利昌忠は上田原合戦で討死した甘利虎泰の嫡男で13才で
虎泰の跡を継いで武田信玄に仕え、譜代家老衆として活躍しました。

昌忠も猛将と言われた父と同じくなかなかのツワモノ。
その豪傑ぶりを今に伝える「馬糞汁」というエピソード。

武蔵松山城攻めの際、腹を撃たれて深手を負った家臣に鉄砲傷に効くと
いわれる芦毛馬の糞をとかした汁を飲ませようとした昌忠。
家臣に「そんなの飲むなら死んだ方がまし!」と拒否られると
「生き延びて主君に仕えるのが家臣の務めじゃないか!」と叱り飛ばして
汁を二口飲んでみせ「うまし!」。それを見た家臣がしぶしぶ汁を飲むと
痛みが引いて命を取り留めたそうな・・・ちょw どうかしてるw

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部下からも信玄からの信頼も厚かったという武田有力家臣なのに没年不詳。
落馬により不慮の死を遂げたと言われていますが解せないのよね、なんか。

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大輪寺とその周辺は甘利氏の居館跡とも言われています。


韮崎市で武田めぐりをするならこちらもぜひ訪れてください。
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| 武将の墓 | 12:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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