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武将の銅像と墓参り

武将の銅像と墓参り~武将ゆかりの地巡礼から見える戦国ロマンをご紹介しています

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豊国神社の加藤清正銅像

長浜市の豊国神社には加藤清正の銅像があります。

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長浜城と線路を挟んで反対側に建つ豊国神社。慶長3年(1598)に秀吉が亡くなった後、
長浜の人々が京の豊国廟にならって建立したもので、その後、大阪の陣で豊臣家が滅んだ後、
徳川幕府によって一旦、取り壊されるものの、町民が商売の神様「恵比須宮」を祀りたいと
彦根藩に頼んで一社を建立。奥にこっそり秀吉の像を隠してお参りしてきたそうな。


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現在の社殿は明治31年(1898)、秀吉の300回忌に造営されたものです。
御祭神はもちろん豊臣秀吉。そして配祀神として加藤清正と木村重成も祀られています。


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清正さんの銅像は豊国神社の隣にある、出世稲荷側の参道沿いに建っています。
戦前に奉納された銅像は戦争中の金属供出で台座だけになり、昭和55年に再建されたんだって。


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ワタクシが訪問した時は雨降りだったから、上手く撮れず暗い写真になっちゃいました。
銅像もコンパクトだし、お立ち台が高すぎて、晴れてても難易度は高かったと思うけど・・


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境内には秀吉が長浜城主になった時、清正が寄進した庭石もあります。
秀吉は城内において、「虎石」と呼んで気に入っていたんだって。


長浜城はマストとして、長浜駅前の三成と秀吉の三献の茶銅像、街中の大通寺も。
いや、なんなら石田町の石田会館行って三成銅像なんかもセットで見たら最高です!



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| 武将の銅像 | 16:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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本宗寺の石川数正の墓

愛知県岡崎市の本宗寺には石川数正のお墓があります。

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本宗寺は薬医門の佇まいが重々しい浄土真宗本願寺派のお寺です。

蓮如上人が応仁 2年(1468)創建したお寺ですが、永禄 6年(1563)の
三河一向一揆で拠点になったことから、家康に徹底的に破壊された後、
家康の叔母、妙西尼の願いにより、現在の場所に再建されました。
妙西尼は家康の生母於大の方の姉で石川数正の母親。家康の叔母です。

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こちら本堂・・昭和43年に火災により本尊の阿弥陀如来像などとともに焼失し、
昭和48年に鉄筋コンクリートで再建されたものなんだそうです。違和感あるw

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本堂の左手にお墓発見!墓域の奥の方じゃなく分かりやすくて助かりました。
墓所に供養塔・・分かりやすいどころか、念入りに碑が立っています。

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こちらが石川数正と母の妙西尼のお墓。妙西尼の墓が正面に来てまして、
肝心の数正さんは右。数正さんのは後付けですね。間違いないですw

家康の従弟として子供の頃から小姓として従い、酒井忠次と共に家康を
支えていた数正でしたが、小牧長久手の戦の後、突然家康の元を出奔し、
秀吉に仕えてしまいます。本能寺の変後、秀吉側との交渉を任されてるうち、
秀吉に籠絡されたとか、あえて秀吉側について家康を支えるためだったとか・・
色んな説を聞きますが、理由ははっきり分かってないんですよね。

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数正さんは家康が関東移封された後、松本10万石に封され、息子の康長と共に
松本城や城下町を整備。文禄2年(1593)松本で亡くなりました。享年61歳。
墓所は松本の正行寺にありますが有名武将のお約束。生まれた所にも供養塔ね。

歴史を後から見ているワタクシに数正さんの立場や考えは図れないけど、
一廉の武将が何かしらの信念を持って決断したこと・・ただ静かに合掌。



岡崎は德川所縁の寺や家臣所縁の地も多いので色々セットで回れます。

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| 武将の墓 | 08:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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山形城の最上義光の銅像

山形城と城前の最上義光歴史館前には最上義光の銅像があります。

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山形城はお金がかかっているので、復元された門とかも見どころなんだけど、
今回は最上さんを目指してやってきたので、ほかには目もくれずかけよりますよ!


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長谷堂合戦で陣頭に立つ勇姿を描いたコレ、武将銅像の中で1、2を争うかっこよさ! 


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はぁはぁ(*´Д`)  ただうっとり眺めるべし。言葉はいらない。


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正面からもまたコレ、かっこいいん! ダーティな人にみられがちだけど、
家臣からも民からも慕われ、今だって山形県民のヒーローですよ!!


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お城の近くにある最上義光歴史館の前にも銅像があるのでお見逃しなく。
ちなみに最上義光歴史館は無料! 絶対に中も見た方がいいです。


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せっかくだし、武将銅像には違いないから見逃したくはないんだけれど、
にしても普通すぎて、こちらの義光さんには全くそそられませんw


山形城の近くには、義光の眠る光禅寺、義康の眠る常念寺、駒姫の眠る専称寺もあります。



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| 武将の銅像 | 13:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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法泉寺の武田勝頼の墓

山梨県甲府市の法泉寺には武田勝頼のお墓があります。

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鐘楼のある山門は寛永14年(1637)建立、甲府市の指定文化財。


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墓所は本堂左手。案内があるので助かる。階段を登って先にあるようです。


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法泉寺殿武田勝頼公之墓の標柱と勝頼軍団戦死将士供養塔があります。

天目山で自刃した勝頼の首は信長の命で京の六条川にさらされますが、
不憫に思った法泉寺の快岳禅師が京に行き、首を譲り受けて甲斐に戻ります。
本能寺の変後、織田軍が撤退すると山桜を植えて勝頼を葬った・・という。


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法泉寺を勝頼の菩提寺と定めたのは本能寺の変後、甲斐を治めた家康。
武田領の民心をつかもうっていう腹黒い目的があったんでしょうねw


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隣には武田信武の墓も。信武は甲斐武田中興の祖と言われる人。
足利尊氏に従って甲斐守護になって・・勝頼からだと10代遡るのかな。


近くには大泉寺や東光寺、甲斐善光寺など武田史跡が目白押し。セットで!

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| 武将の墓 | 12:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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韮崎市役所の武田信義の銅像

韮崎市役所の建物入り口前には、武田信義の銅像があります。

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信義公銅像は建物入り口横。一心不乱に向かいましょう。

信義さんは新羅三郎義光のひ孫。武田氏初代・・信玄のご先祖様です。


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豪気な感じで堂々たるいい銅像です。


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武田ってやっぱ濃い!!ってのはワタクシの勝手なイメージです。


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反対から見てもとても素敵な銅像。なかなかのお値段だと思います。


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大鎧着てね。「やぁやぁ我こそは!」ってやってた時代の武士もかっこいいです。


近くには信義のお墓がある願成寺や、元服して武田を名乗った武田八幡宮の他、
甘利さんの眠る大輪寺や新府城など武田関連史跡が目白押し。お見逃しなく!


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| 武将の銅像 | 09:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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